タイという階級社会で生きる

もともとの予定では、きょうはスクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の自室に籠もって、丸一日をかけて必修科目「 ASEAN 地域論」のペーパー(小論文)を片付けるつもりだった。

ところが昼過ぎになって部屋のベルが鳴った。誰かと思って玄関の扉を開けてみると、そこにはモップを持ったメーバーン(清掃婦)が立っていた。メーバーンによると、きのうは所用があって来られなかったから代わりにこれから掃除をしたいという。ここは怒鳴って追い返してもいいところなのかもしれないが、部屋の清潔と家財の安全のためにメーバーンとは仲良くやっておきたい。

さすがに室内が掃除中とあってはペーパー作業に集中できない。仕方なく、気分転換を兼ねて自宅から900メートル離れたスクンウィット5街路にある Starbucks Coffee へ移動し、きのう政治学部の図書館へ行ってコピーしてきたばかりの英文の学術雑誌に収録されている「タイとアメリカの瞑想の違い」という論文に目を通しはじめた。そこで忌々しい「あの単語」を見つけてしまい、コーヒーをひとくちすすってから大きなため息をついた。

英文学術雑誌に書かれていた忌々しい「あの単語」のせいでとても憂鬱になり、さらなる気分転換のために Starbucks Coffee を出て、今度はかれこれ1年以上も足が遠退いていたスクンウィット8街路へ向かった。大都市バンコクの喧騒のなかで、このソーイ(街路)にはいまもなおタイの地方都市を思い起こさせるような長閑な雰囲気が残されている。左右に立ち並ぶ商店のひとつひとつをゆっくりと観察しながら街路の奥のほうへ足を進めていくと、そこにはオープンエアーの外国人向けのタイ料理屋がひっそりと佇んでいた。

さっそく店へ入って風通しの良い席に荷物を下ろし、店員にカーオパットアメリカン(チキンライスのような食べ物)を注文してから、ふたたびさっきの英文学術雑誌を読み進めた。そしてまたしても忌々しい「あの単語」が目に飛び込んできて、いよいよ本当にイヤな気持ちになった。

Hierarchical Society(ヒエラルキカル・ソサエティー)

ああ! なんと嫌味で精神的に堪える言葉なんだろうか!! 日本国内に住んでいる日本人にとっては「外国の伝統的な社会構造を言い表している熟語」にすぎないのかもしれないが、実際にこのような価値観が社会に定着しているタイに住んでいると、なかなかそうも言って悠長に構えてはいられない。

タイにおける階級社会については詳しく解説してくれている論文がすでに豊富にあるため、ここでは僕たちが実際に見聞きできる具体的な事象について考えていきたい。

階級社会

階級社会とは、人々による閉鎖的なコミュニティーが階層別に形成されている社会のことをいう。われわれ日本人は、タイを旅行で訪れたときなど社会との関わりが薄いうちは外国人のゲスト(部外者)としてもしかしたらすべての階層からそれなりのもてなしを受けられるかもしれない。しかしひとたびタイへ来て居を構えると、タイ人と同じように階級社会の一員として扱われ、その階級相応の処遇を受けることになる。「先進国ニッポン」から来たというだけでは、すべての階層から仲間として受け入れてもらうことはできない。

タイにおける各級コミュニティーに参加するときには、かれらが定めているさまざまな「入会資格」を満たしていることを示す必要がある。無論、外国人もその例外ではない(バンコクに住んでいる一部の困窮日本人たちのあいだでは「外国人は階級社会の蚊帳の外にある」といった主張もあるようだが、それは発言者自身がおかれている窮状をなかったことにして自己の精神状態を健全に保つためにそう思い込もうとして言っているだけの集団的ヒステリーにすぎない)。過去、日本には「武士は食わねど高楊枝」といった格言があって実体がともっていなくても見せかけだけでなんとか誤魔化せるといった風習もあったようだが、ここでは爪楊枝以外にも実際に食べた料理の写真や領収書といったありとあらゆる物的証拠を開示して、自分にその階層に所属する資格があることをハッキリと証明して見せることが求められる。

アユッタヤー時代(西暦1351~1767年)以降、タイにおける支配者と被支配者との関係はサックディナー制によって明確に区別されてきた。位階に応じて臣民(農民や商人も含まれる)に下賜されるライという単位の田畑の広さで定量的に明示されるため、この制度には日本の江戸時代にあった「士農工商」というような建前はまったくない。ところがアユッタヤー朝の滅亡にともなうサックディナー制の実質的消滅(厳密には現存する)、ヂュラーロンゴーン大王(ラーマ5世, 在位1853~1910年)による奴隷制や領主制の廃止、代わって導入された中央集権的な近代官僚制などによって、タイにおける身分秩序は次第に曖昧なものへと変容していった。カナラーサドーン(人民党)が引き起こした1932年の立憲革命で憲法が制定されると、立憲君主制におけるタイの民主化の流れのなかでタイ史開闢以来脈々と受け継がれてきた「法的拘束力のある身分秩序」は完全に崩壊し「法の下に平等」とされる現在の民主的な社会秩序が形成されていった、ということになっている。

しかし既得権益はなにがなんでも守り通そうと思うのが人の世の常。タイにおける権力者集団もその例外ではなく、相続税制度を骨抜きにして自らの経済力を温存し、一般庶民が容易に真似することのできない「上流社会の人民たる条件」を暗黙の了解のもとで設定し、いまもなお自らが設定した基準をもとに仲間を取捨選択している。

タイにおける中間階層

日本人としてタイに住むのであれば、せめて「タイの中間層」たる条件ぐらいは満たしておきたい。

東京大学社会科学研究所の末廣昭教授はタイの中間層について、①専門職・自由職、技術職、国営企業や大企業のホワイトカラー(中間管理職以上)、または中級以上の公務員、自営業者などで、②月収が2万~3万バーツ以上ある世帯で、自家用車、携帯電話、家電・OA機器、土地付きの自宅などを所有し、③ 大卒または短大卒以上の高等教育を受けた階層(学齢人口の48%, タイ教育省統計)と定義している。

社会的地位に基づく定義

社会的地位に基づく階級は、高級官僚や高級軍人を筆頭に、華人中心の財閥家集団、大企業の役員、中小資本家、管理職、大卒会社員、高卒労働者、店員の順で、非熟練労働者(ガンマゴーン)や農民(チャーオナー)はその最下級にあるとされており、日本人に人気がある娼婦はタイ人の社会観や宗教観などから「論外」として位置づけられている。

タイにおける給与所得者(サラリーマン)は職位や報酬をもとに序列づけられているため、日本のように「銀行員」や「大企業の社員」といった勤務先の業種や企業名だけで高い評価を受けることはできない。その背景には、①被雇用者という立場そのものが社会的にはそれほど高く評価されていないこと、②同じ会社で働いていても職種や職位によって待遇の差が極端にあるため個人の所得水準を会社単位で推し量るのが困難なこと、③タイは終身雇用制をとっておらず転職が常態化しており従業員の会社に対する帰属意識も薄いため勤務先の事業の安定性や将来性がそれほど重視されていないこと、などが考えられる。ただし日本人の会社員のうち「駐在員」については先進国レベルの給与所得や追加的に支給される手当等に加え、平均的な日本人労働者の月給にも相当するラグジュアリーな住居が会社から貸与されているため、それなりに高い「経済力による評価」を受けることができる(次項参照)。

またタイで「自分は皇族である」とか「自分は元大臣の息子だ」といった軽口をたたくと、かれらが決まって恐れ入るのもこのような価値観によるところが大きい。ただしこの種の騙り行為が発覚すると、それまで築いてきた信用のすべてを失うことになる。

上流階級以外の人民は、決して財閥を形成することなどできないし、政府高官や高級軍人になるのにも相当な困難がともなう。

経済力に基づく定義

タイにおける個人の経済力は、所有している自家用車や装飾品(プラクルアングを含む)の購入金額、化粧品、携帯電話、住居の時価または家賃などによって評価される。

タイ人が自宅よりも高価なベンツなどの高級車を乗り回し、食費を節約してまで新型の携帯電話を持とうとするのはまさにこのためである。バンコクに住んでいる一部の困窮日本人たちは、これを「タイ人の見栄っ張り」の一言で片付けることで「対抗できないんじゃなくて、あまりのバカバカしさに付き合っていられないだけ」という立場を取っているが、この階級社会でそのような主張が認められることはまずない。ただ相手に甘く見られるだけだ。また、一部の困窮日本人たちが好んで用いている「実は金持ちなんだけど、僕はケチなだけでね」といったクダラナイ言い訳も、ここでは一切聞き入れられない。証拠の品は包み隠さず、すべてを示さなければならない決まりになっている。「見えない証拠品」は「存在しないもの」としてみなされる。

企業を代表している日本人の駐在員たちが決まって異常に高価なコンドミニアムに住んでいるのも、実はこういった背景から説明することができる。会社が駐在員を過剰に厚遇しすぎているという主張もあるが、それは相対的に貧しい駐在員ではないタイ在住の日本人による言い分であり、本来の目的はもっと別のところにある。日系企業の駐在員は仕事柄、タイの上流階級との商談の場へ赴くことが多いため、対等な立場で交渉に臨む権利があることを相手にはっきりと示しておく必要がある。そうでもしなければ、平均的な日本人会社員の給与所得程度ではタイ人が定めているところの「上流階級市民」としてタイ人の経営者たちと互角に渡り合っていくことなど到底できようはずがない。

タイ人がすぐに他人が持っている物の値段ついて聞こうとするのも、別に金品を奪おうと狙っているわけではなく、ただ純粋に「相手が属している階級」を推し量るための情報を収集しようとしているにすぎない。

これが「タイでは人は見かけで判断される」といわれる所以でもある。それも、判断されるのは個人の人間性ではなく自らが属している社会階層であるわけだから、日頃から身なりにそれなりの気を遣っておかないと不当で不本意な辱めを受けることになる。

上流階級以外の人民は、新車のベンツには決して乗れないし、高価な装飾品や化粧品を買うのにも相当な困難がともなう。

教育に基づく定義

タイにおける個人の教育的なバックグラウンドは学位の格によって決定される。博士了を筆頭に、修士了、国立大学学士(国立4大卒)、私立大学学士課程(私立4大卒)、高等専門学校後期課程(高専卒)、中等教育学校後期課程(普通科の高校卒)・高等専門学校前期課程(普通科以外の高校卒)、中等教育学校前期課程(中学卒)、小学校卒と続く。しかしタイでは「国外の(日本人の場合は日本国外の)大学を卒業した者が高い評価を受けるのは当然」といった雰囲気があって、特に米英の主要大学を卒業したとなれば、いともたやすく他を圧倒することができる。

ところが、日本国内の名門私立大学の名称を聞いても、タイ人が感嘆の声を上げることはまずない。過去、タイにおける私立大学は「准大学」という地位にあって、総合大学である国立大学とは明確に区別されていたため、私立大学の格は不当とも言えるほど低く評価されている。近年、日本の早稲田大学がバンコク市内に日本語学校を設立して知名度を上げつつあるが、それでも私立大学は国立大学より劣るものとして見なされている(ここでは国立正規大学の対比として私立准大学と表記しているが、総合大学と私立カレッジのふたつに分類して呼ぶ方法もある。私立准大学の正規大学昇格の経緯についてはシリーズ「タイ大学めぐり」参照)。

タイにおける私立大学の社会的な位置づけ

2005.12.26

また上流階級の人々は「英語と米英の大学にこそ価値がある」と定めている。だから日本語や日本の大学は英語や米英の大学より格下としてみなされている。確かに日本語も外国語のひとつだし、日本の大学も外国の大学のひとつではあるが、タイの上流階級の人々がそうと決めている以上、ここではどんな理屈をもって反論しようとあまり意味をなさない。この項では、個人の能力の高さではなく、かれらが定めたルールの中でどれだけイケてる成果をおさめたのかが問われている。

タイ人の同性愛者たちが好んで英語を話したがるのも、実はまったく同じ論理から説明できる。社会的に認められることが困難な嗜好を持っているかれらは、上流社会の共通語である英語を駆使してみせることで自分たちの嗜好に正当性を与えようとしている、と複数の論文が主張している。

上流階級以外の人民は、決して私費では先進国へ留学できないし、教育にふんだんな投資をするのにも相当な困難がともなう。だからこそ、奨学金を得て先進国の大学へ留学することが真に価値ある「サクセスストーリー」として社会的に賞賛されている。

海外逃亡論

近年、日本国内における失業者増の影響で、タイへ移住する日本人は増加の一途をたどっている。日本人向けのサービスも拡充され、タイにおける日本人社会の規模は急速に拡大している。世界大恐慌で日本経済が停滞し、街頭が失業者たちで溢れかえっていた1930年代に流行した「南米移民ブーム」が、太平洋戦争や高度経済成長期を経験した3世代70年の時を経て、今まさにここバンコクで再現されようとしているのだ。

「日本には未来がないからバンコクでやり直そう」

このような論調が一部の底辺日本人たちのあいだでは大腕を振ってまかり通っているが、皮肉にもタイで就労している日本人の多くは日本の景気に大きく左右される仕事に就いているのが実情である。かれらが好んで用いているこうした「日本経済悲観論」を「タイ新天地論」と結びつけて考えるのは起死回生の妙案のように思えるかもしれないが、実は根本の部分で重大な矛盾を孕んでいる。

もし本当に日本の経済力が失墜し、タイにおける日本人社会の経済力が著しく縮小したら、タイでどのように生計を立てていくつもりなのか?

日系企業が経費節減のために日本人駐在員の定員を減らせば、それだけでバンコクの日本人社会に流通している貨幣の総量が減少し、タイ在住の日本人を相手に商売をしている飲食店、理髪店、教育機関等の経営状態は一気に悪化する。またタイに進出している日系企業本体の経営が厳しくなれば、その事業会社である海外現地法人も撤退を余儀なくされ、ここでも新たな失業が生まれる。さらに「経済力が著しく縮小した日本」とのビジネスの重要性も低下するわけだから、当然タイ資本の企業に雇ってもらうことも難しくなる。

そのような環境のなか、現在「日本人の優越」という原則のもとで職位や給与の面で優遇されているタイ在住の日本人たちがそのままの待遇で働き続けていくことは本当にできるのか? どうやって会社に対してタイ人ではなく日本人を雇うことのメリットを説くのか? 同じ賃金をもらっているタイ人と本当に同じだけの仕事ができるのか? そもそもタイ資本の企業で働いていけるだけの資質があるのか? タイ人の上司とコミュニケーションを完璧にとれるのか?

これらの問いに対して、すべての項目で「楽勝で YES! だ」と胸を張って言える人だけが「日本経済悲観論」と「タイ新天地論」の整合性を主張できるのではないだろうか。

「21世紀の海外移民」たちが南米移民時代の日本人たちが経験したような不幸な失敗の轍をふたたび踏まぬよう、個人的には強く願わずにはいられない。

娼婦との結婚と一部の日本人社会

このような観点から、筆者はこのブログで「娼婦と付き合っても有頂天になるべきではない」と繰り返し主張してきた。同時に「娼婦と暮らすためにタイへ移住するなど、もってのほかの暴挙だ」とも訴え続けてきた。

(それ以外に結婚する方法がなければ、それも「人生の質」を確保するためにはやむを得ないことなのかもしれないし、娼婦の中にも心が清らかで人間としての魅力に富んだ優秀な人がいるのかもしれないが、それでも娼婦たちは誰かに強制されたのではなく、自活のためにもっとも安直な手段として売春という道を選んだという事実から目を背けるべきではない。互いに意思の疎通が十分にできないうちは娼婦と話しても退屈しないかもしれないが、自分がタイ語を完璧に話せるようになったときにその考えの浅はかさに気づいてウンザリする日が必ずやって来る・・・・・・とった可能性についても、あらかじめしっかり考慮に入れておく必要がある)

タイ人のコミュニティーは横のつながりが強い反面、ほかの階層との縦のつながりがほとんどない。異なる階層の異性と出会う機会も極端に限られているため、自然に同程度の階層の異性と結婚することになる。既婚者が属している社会階層はその配偶者から推測できるため、ここで変な妥協をしてしまうと自分自身が不当に低く評価されてしまいかねない。

たとえ自分がどのように思い込もうと、周囲の見る目と価値観を自分の思い通りにするのは容易ではない。娼婦たちの階層と深いつながりがあるというだけで「格好が悪い」以前の問題として、周囲から「娼婦階層」の人間としてみなされるリスクを自ら抱え込むことになる。世間一般のタイ人たちは、娼婦を自分たちより数十段も格下のヒトとみなしており、むろん娼婦相当の階層に属しているヒトとは一定の距離を置きたいと常日頃から考えている。

バンコクにおける日本人社会でもすでに階層化が進行している。経済的な格差だけではなく、価値観でもあまりにも大きな隔たりがある。もし仮に「タニヤのカラオケスナックへ行ってホステスと戯れながらウイスキーでも飲もう、どうせタダのようなものだ」と毎日のように誘われても僕の経済力では到底ついて行けないだろうし(そもそも個人的にもそういった趣味はないし)、逆に「タイポップスでも聴きながら楽しく酒を飲もう」と週末に友人をパブに誘っても「金がない」の一言で断られてしまっては一緒に行動することもできない。

ちなみに、日頃から行動をともにしている学内の日タイ混成グループは、学生街サヤームスクウェアで一食あたり150〜230バーツ程度の昼食をとっている。

それで僕はどうすれば良いのか

僕は自分が所属するコミュニティーのレベルを上げようと、これまでさまざまな工夫と血のにじむような努力を積み重ねてきた。しかし米英主要大学の博士課程への進学など夢のまた夢だし、支払える家賃も月々6万円が限度。愛車も10年落ちの中古の BMW (170万円)が精一杯で、友人達のレベルもこれ以上は望み得ない。どうやらこのあたりが自分の限界のようで、能力的にもこれより上を狙うのは厳しい状況にある。

タイで自分が考えているレベルの生活を送っていくためには、最低でも月々10万バーツの予算は欲しい(それでも賞与1ヶ月と仮定して年収354万円にすぎない)。せめてそれぐらいはないと貯蓄など到底できないし、貯蓄がなくては安心して老後を迎えることもできない。ところが、僕には駐在員として現地の工場を管理できるだけの能力も経験ないため、クルマを買い換えるどころか、いま乗っているクルマを維持するために必要なの待遇で雇ってもらうことも難しい。将来にわたって「タイの中間層」レベルを上回る生活を続けていくことに、どうしても自信が持てないのだ。

そもそも、「おまえはタイ人の中間層たる水準すら満たしていない」と言われることに、おそらく奇想天外な新理論を打ち立てて自分を騙し続けていかなければまともな精神状態を維持していけないだろう。

健全な精神状態を維持しながらタイで生活していくためには、「自分は日本人なのだから・・・・・・」といった根拠に乏しいクダラナイ選民意識なんか今すぐにでも捨てて、現実と向き合いながら変な欲を出さずに生きていくしかない。そして、もしこういった考え方にもとづいて実際に行動できるだけの胆力を持ち合わせている日本人がこのバンコクにいるのなら、僕はその人物に最大級の敬意を払いたい。

「階級社会」とは、ここタイにおける各級社会に深く根付いている、決して無視のできない伝統的な価値観である。それが受け入れられないとあれば、ただちにタイを拒否して日本へ帰国するか、もしくはホイップクリームをたっぷりとかけた抹茶フラペチーノよりもさらに甘い夢想の世界のなかで、自分と同じ世界観を共有している友人達とニンマリしながら幸せに暮らすほかに道はない。

こうして、田舎臭いタイ料理店の天井にくっついている巨大な扇風機を眺めながら、「大学院を修了したら数年のうちに必ず日本へ帰ろう」と改めて心に固く誓った。

4 件のコメント

  •  「階級社会で生きる」を読ませていただいて、「あっ、そういうことだったんだ!」と、ある謎が解けました。

     日本に留学しているタイ人女性や、日本企業で働いているタイ人を夫に持つ、日本に滞在しているタイ人女性達と会話する機会に、軽い会話から互いのプライベートな話に移行して、映画や音楽などの話しになった時、いつも「何故ここまで強い拒否反応が?」と思うハメになるQuestionが、「LOSO好きなんだよね、あなたは聴く?」でした。
     決まって彼女たちは眉間にしわを寄せ、「知ってるけど、いったいどこがいいの?」とストレートに答えたり、「へえ、そうなんだ」とだけ答えて、それからの会話が変な空気になったり、または あきらかに彼らの存在を知っているのに、「えーそういう人達、知らないわ」という答えもありました。
     ずっと自分の中での 大きな謎だったのですが、ケイイチさんのこのHPをちょっとずつのぞいて見るようになって、なんとなく思っていたことが、今はっきりと合点がいきました。
     階級社会から、日本人は蚊帳の外だと思っているうち(感じているうち)は、この謎は解けなかったんですね。
     最後になりましたが、いつも楽しみにHP拝見させていただいております。ありがとうございます(^^)。私も若かりし頃、せめて1年くらい、タイの中に身をおいてみたいと思っていたのですが、普通に主婦しています。でも、子供が大きくなったらいつか、その夢を果たしてみたいな~と思っています。
     新しい生活を始められたのですよね?陰ながら応援しています(^^)/ 頑張ってくださいね♪
     

  •  「階級社会で生きる」を読ませていただいて、「あっ、そういうことだったんだ!」と、ある謎が解けました。

     日本に留学しているタイ人女性や、日本企業で働いているタイ人を夫に持つ、日本に滞在しているタイ人女性達と会話する機会に、軽い会話から互いのプライベートな話に移行して、映画や音楽などの話しになった時、いつも「何故ここまで強い拒否反応が?」と思うハメになるQuestionが、「LOSO好きなんだよね、あなたは聴く?」でした。
     決まって彼女たちは眉間にしわを寄せ、「知ってるけど、いったいどこがいいの?」とストレートに答えたり、「へえ、そうなんだ」とだけ答えて、それからの会話が変な空気になったり、または あきらかに彼らの存在を知っているのに、「えーそういう人達、知らないわ」という答えもありました。
     ずっと自分の中での 大きな謎だったのですが、ケイイチさんのこのHPをちょっとずつのぞいて見るようになって、なんとなく思っていたことが、今はっきりと合点がいきました。
     階級社会から、日本人は蚊帳の外だと思っているうち(感じているうち)は、この謎は解けなかったんですね。
     最後になりましたが、いつも楽しみにHP拝見させていただいております。ありがとうございます(^^)。私も若かりし頃、せめて1年くらい、タイの中に身をおいてみたいと思っていたのですが、普通に主婦しています。でも、子供が大きくなったらいつか、その夢を果たしてみたいな~と思っています。
     新しい生活を始められたのですよね?陰ながら応援しています(^^)/ 頑張ってくださいね♪
     

  • > おぐりきゃっぷさん

    はじめまして。バンコク留学生日記をご覧くださりありがとうございます。

    たしかに、 LOSO がタイを代表するバンドのひとつであることには違いないと思います。しかしながら、バンコク人的な感性では、「かなりイケてない」という表現がピッタリかもしれません。オジサン達が田舎のカラオケ屋で歌っているような曲・・・そんなイメージなんですよね。まあ、吉幾三よりはマシだけど、サザンオールスターズには遠く及ばないといったカンジでしょうか。

    タイに関するコラムは、筆者がとっているスタンス次第でそれぞれ全く違った内容になってくると思います。たとえば、タイ人娼婦ばかりを相手にしているような貧しい「タイ沈没者」に言わせれば、演歌好きな娼婦に強い愛着を持ち、売買春に対しても肯定的というスタンスでタイを語るでしょうし、都市部の中間層にも劣る自らの惨めな生活を「日本人は階級社会の蚊帳の外にあるから、俺たちはタイ人に対して常に優越している」として自らを正当化することでしょう。また、地方の工場に派遣された日本人駐在員であれば、労働者階級のタイ人にスポットを当ててタイを語るかもしれません。ですから、タイに関する情報を収集する際、私たちは筆者がどのような立場でタイを語っているのかということに常に注意を払う必要があると思うのです(さらに、筆者が導く結論を注意深く観察してみると、それぞれのタイにおける階級社会的位置付けや交友関係の水準が判るので大変興味深いとも言えます)。

    日本にお住まいの主婦の方でしたら、さほど抵抗感もなく冷静に受け止められることかと思いますが、一方でこうした「階級社会」という考え方を真っ先に否定しないと大変なことになってしまうという日本人も少なくありません(僕が沈没者だったら、将来を悲観して、今頃は地下鉄銀座線の線路にダイブしているかもしれません)。

    そんなこんなで、いろいろな日本人によって、それぞれ違ったスタンスから発信されている「タイ情報」ですが、おそらくどんなサイトをご覧になっても「タイ人はみんなこうだ!」といった情報は得られないかもしれません。このバンコク留学生日記も、都市部の中間層の価値観を探るには有益かもしれませんが、娼婦との関係を模索するために情報を収集しているような人にはきっと全く何の役にも立たないと思います。

    タイ関連の一部日本語サイトで持て囃されている LOSO についても、もしかしたらこれとまったく同じことが言えるかもしれません。要は、どの層からの支持を得ているバンドなのか、ってことですよね。

    応援ありがとうございます。

  • > おぐりきゃっぷさん

    はじめまして。バンコク留学生日記をご覧くださりありがとうございます。

    たしかに、 LOSO がタイを代表するバンドのひとつであることには違いないと思います。しかしながら、バンコク人的な感性では、「かなりイケてない」という表現がピッタリかもしれません。オジサン達が田舎のカラオケ屋で歌っているような曲・・・そんなイメージなんですよね。まあ、吉幾三よりはマシだけど、サザンオールスターズには遠く及ばないといったカンジでしょうか。

    タイに関するコラムは、筆者がとっているスタンス次第でそれぞれ全く違った内容になってくると思います。たとえば、タイ人娼婦ばかりを相手にしているような貧しい「タイ沈没者」に言わせれば、演歌好きな娼婦に強い愛着を持ち、売買春に対しても肯定的というスタンスでタイを語るでしょうし、都市部の中間層にも劣る自らの惨めな生活を「日本人は階級社会の蚊帳の外にあるから、俺たちはタイ人に対して常に優越している」として自らを正当化することでしょう。また、地方の工場に派遣された日本人駐在員であれば、労働者階級のタイ人にスポットを当ててタイを語るかもしれません。ですから、タイに関する情報を収集する際、私たちは筆者がどのような立場でタイを語っているのかということに常に注意を払う必要があると思うのです(さらに、筆者が導く結論を注意深く観察してみると、それぞれのタイにおける階級社会的位置付けや交友関係の水準が判るので大変興味深いとも言えます)。

    日本にお住まいの主婦の方でしたら、さほど抵抗感もなく冷静に受け止められることかと思いますが、一方でこうした「階級社会」という考え方を真っ先に否定しないと大変なことになってしまうという日本人も少なくありません(僕が沈没者だったら、将来を悲観して、今頃は地下鉄銀座線の線路にダイブしているかもしれません)。

    そんなこんなで、いろいろな日本人によって、それぞれ違ったスタンスから発信されている「タイ情報」ですが、おそらくどんなサイトをご覧になっても「タイ人はみんなこうだ!」といった情報は得られないかもしれません。このバンコク留学生日記も、都市部の中間層の価値観を探るには有益かもしれませんが、娼婦との関係を模索するために情報を収集しているような人にはきっと全く何の役にも立たないと思います。

    タイ関連の一部日本語サイトで持て囃されている LOSO についても、もしかしたらこれとまったく同じことが言えるかもしれません。要は、どの層からの支持を得ているバンドなのか、ってことですよね。

    応援ありがとうございます。

  • ABOUTこの記事をかいた人

    バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。