午後5時、高架電車のオーンヌット駅前にある大型スーパー Tesco Lotus の前で、9ヶ月ぶりに会う友人と待ち合わせ、そこからパッタナーガーン9街路にあるムーガタ屋(焼き豚を格安で好きなだけ食べられる店)3 Nor へ行って、午前零時まで緑茶メーカーの営業部長とウイスキーを飲みながら、日本料理について激論を戦わせた。
2005年6月
タイにおけるゴム製リストバンドの流行
タイは西洋文化を「選択的に」取り入れるお国柄であるため、リストバンドもタイの社会に最適化されて流行することになった。すなわち、タイで至高の価値を持つとされている3つの要素が、リストバンドというかたちになって、人々に広く受け入れられたのである。
バンコクのパブでフツウに振る舞う
今月の日記に繰り返し書いていることだが、近年登場したばかりのパブを、旧 RCA 系のディスコと同一視してしまうのは、あまりにもヤバすぎる。そこで今回は、バンコクのクラブシーンにおけるスタイルの変容について、音楽の流行の変遷をたどりながら考えてみたい。
ヂュラーロンゴーン大学が社会科学の分野で世界第46位にランクインしました!
午後、ヂュラーロンゴーン大学の文学部4号館へ行って、ミャンマー研究の講義に出席しようとしたところ、タイ・東南アジア学研究所の前にある掲示板で、とある掲示物を見つけた。そこには、ヂュラーロンゴーン大学、社会科学系で世界46位、人文科学系で世界50位にランクイン、と書かれていた。
フツウとはいったい何なのか
タイという階級社会において、相対的な価値基準である「フツウ」という概念は、話し手の環境によって、どのようにでも変化するものだ。この友人はラーチャパット大以下の学生を失格としているが、ヂュラーロンゴーン大学の一部の学生たちのあいだでは「ヂュラー以外はムリ」といった声もあるし、私立大学の一部の学生たちは「自分もフツウの範疇に入っている」としながらも、大卒未満の人々を平然と見下している。
無題
あさの講義で会った「もうひとり」のラオス人クラスメイトによると、ウィアングヂャンの郊外にあるカジノホテルは、ラオス国道13号北線と13号南線のどちらでも行けるが、13号南線の方が運転が楽という。詳しい場所については依然不明のままだが、なんとなくだいたいのカンジがつかめたような気がする。
無題
スィーロム通り沿いにある珈琲屋で友人と簡単な作業をしてから、スクンウィット11街路にある居酒屋「卯月」へ行って別の友人と酒を飲みながら、このブログの編集方針について語り合った。その内容については、いずれ機会を見て公表するつもりだ。
無題
いつものことながら、友人たちは距離や時間を意に介することなく、きょうも美食を求めてバンコクの都内を縦横無尽に走り回っている。夜、アサンプション大学フワマーク校舎の裏にあるラームカムヘーング24街路で友人たち8人と合流し、クルマ2台に分かれて、渋滞のなかをバンコク東部のミーンブリーへ向かった。
バンコクの中産階級的な視点から見た性風俗
バンコク人の女性は、娼婦を自分の身分を脅かすような存在とは考えていない。同様に、バンコク人の男性にとっても、娼婦は性の対象ではあっても、恋愛の対象という意識はない。なかには、「娼婦はヒトにあらず」との声もあるが、さすがにこれを声を大にして言うのはちょっと難しい。
無題
午後、タニヤ通りにある日本料理店「味里」で友人たちと昼食をとってから、スィーロム通り沿いにある珈琲屋へ行って溜まっていた日記を書いた。その後、スィーロム19街路にある小籠包屋「永和豆腐(タオフーヨングホー)」で夕食をとってから外へ出てみたところ、スコールが降ったため、中華料理屋の隣にあるマッサージ屋へ入って雨宿りをした。
ラオスの山道でエンジントラブル発生
きのう、カジノホテルへ行くにあたって、ターポックという小さな集落へ行ったところで、村人から方向が間違っていると指摘されて引き返した。そこで今日は、ラオス人のクラスメイトに電話をかけて道を尋ね、ふたたびカジノホテルを目指してラオスの田舎道をドライブすることにした。
旧 RCA 系のクラブを探せ!
閉店後の深夜1時半、ラオスの首都ウィアングヂャンにあるホテル Novotel に併設されているディスコ D Tech の前で、小雨が降っているなか、見ず知らずのナゾの女性に握りしめられていた右手を無理矢理ふりほどいて、逃げるようにしてホテルの客室へ戻った。
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