午前10時頃、ラッチャダーピセーク1街路にあるサービスアパートメント、タナタウィーパレスで目を覚ました。同じ部屋で寝泊まりをしている大学時代の先輩は、午前7時ごろに起きて、僕が眠っているあいだに音楽を聴こうと、220ボルトの電流が流れているタイのコンセントに定格電圧100ボルトの日本市場向け電気製品のプラグを差し込んでしまい、日本から持ってきたパソコン用のスピーカーを過電流によって壊してしまっていた。
僕がいま思い描いているタイ語の学習方法は、タイ人の友達をたくさん作り、日常生活のなかでタイ語をたくさん話すことによって、語彙力はもとより、自然なイントネーションを身に付けて、総合的に伸ばしていくというやり方だ。来年1月からヂュラーロンゴーン大学の文学部で受講する予定になっているインテンシブタイプログラム(集中タイ語講座)が開講するまで、まだ2ヶ月もある。それまでの時間を利用して、タイ語にはできるだけ慣れておきたい。
まず、正午すぎにラッチャダーピセーク通りからタクシーに乗って、高架電車のサヤーム駅から徒歩5分のところにあるショッピングモール、マーブンクローングセンターへ携帯電話を買いに行った。
タイ人の大学生たちのあいだでも日本と同じく携帯電話を持っているのが一般的なようで、これからタイで友人を作り、互いに連絡を取り合っていくうえで、携帯電話は絶対に必要となる。そこで、先輩とふたりでマーブンクローングセンターの4階にある携帯電話売場を見て回ったところ、聞いたことのないメーカーが製造している巨大で重たく液晶画面も単色の時代遅れな携帯電話が3,500バーツ、液晶画面は単色だがデザイン的にギリギリ許容範囲内の NOKIA 製の携帯電話が17,000バーツと、とんでもなく高い値段で売られていた。日本だったら1円で売られていても誰も買わないような携帯電話が日本円換算で46,000円もするのはオカシイと思って公衆電話へ行き、昨晩ドーンムアング空港まで迎えに来てくれたサに連絡を取って来てもらうことにした。
その1時間半後、スィーナカリンウィロート大学人文学部で日本語を専攻しているサが到着した。
結局、店側の言い値は、タイ人が相手でも変わることはなかった。日本なら5,000円も出せば買えるような携帯電話のために多額の出費を強いられるのもバカらしいと考え、この際、タイ人から馬鹿にされても構わないと割り切って、3,500バーツ、それでも日本円に換算すれば10,000円もする、 SAGEM という聞いたこともないメーカーの携帯電話を購入した。
つぎに、これからの生活の拠点となるアパートを探しに出かけた。授業料をのぞく生活費として月々18,000バーツしか用意していないのに、いま滞在しているタナタウィーパレスにこのまま住み続けて毎日750バーツも払い続けていたら、住居費だけで予算をオーバーしてしまい、留学資金がすぐに底をついてしまう。ここからは一日も早く引き払い、手頃な家賃のアパートを見つけて引っ越さないといけない。
来年1月から通う予定になっているヂュラーロンゴーン大学までの交通の便を考えて、大学があるパヤータイ通り沿いの物件を探すことにした。そこに、スィーナカリンウィロート大学で日本語を専攻しているヂャーリーが合流した。とりあえず、タイに住んでいる日本人たちのあいだで人気がある高架電車のアヌサーワリーチャイサモーラプーム駅(戦勝記念塔駅)から徒歩1分のところにあるラーングナーム街路へ行ってみたが、どのアパートも僕が希望している家賃に対して安すぎて、住居の質が低いうえ、街路そのものが絶望的なまでに貧民窟な雰囲気を醸し出していたため、別のところを探すことにした。紆余曲折を経て、高架電車のラーチャテウィー駅から徒歩3分のペッブリー18街路にあるアパート Venezia Residence に落ち着いた。
Venezia Residence は、7階建ての、タイではアパートと呼ばれている賃貸マンションで、アパートとしては珍しくエレベーターがあった。このアパートにある平均的な部屋の広さは23平米(12畳ぐらい)で家賃も5,500バーツと比較的安いが、僕は、6階エレベーターホールの真正面にある、家賃8,000バーツで広さ31平米(17畳ぐらい)の特別室を選んだ。高架電車のチットロム駅からサナームギーラーヘングチャート駅(国立競技場駅)にかけての眺望が臨めるとあって、この部屋の家賃には500バーツの眺望特別料金が含まれている。浴室はバスタブがないトイレ一体型で、室内には決して豪華とは言えない据え付けの家具があるだけだが、さしあたって生活をしていくのには困らない。テレビや冷蔵庫は別料金で貸し出されているが、長期的には割高になるため、別途自分で調達することにした。オペレーターと呼ばれているアパートの入口にいる管理人のほか警備員も親切で、なかなか良さそうだった。
この部屋を押さえるためにオペレーターに手付け金の1,000バーツを支払ったあと、サとヂャーリーとは別れ、ラーチャダムリ通りにあるショッピングセンターのワールドトレードセンターへ行って、6階にある日本料理屋の鎌倉山で夕食をとった。バンコクにある日本料理屋の料金はどこも日本国内より割高だが、この店へ行けば日本の半額程度で美味しい日本米と日本料理にありつける。
夜、タイ人の別のメール友達にはじめて連絡を取って、あした家庭用の電気製品を買いに行くと話したところ、買い物に付き合ってくれると申し出てくれた。本当に助かる。しかも、今週末にパッタヤーへ旅行に行こうと誘ってくれた。まだ会ったことがない人たちと旅行に出かけることになるけれど、この友人のクラスメイトがパッタヤーにリゾートマンションを持っているそうで宿泊費はかからないというので、参加させてもらうことにした。
午前零時ごろ、ヂュラーロンゴーン大学の文学部が主催しているインテンシブタイプログラム(集中タイ語講座)を受講している日本人学生が住んでいる、Venezia Residence の3階の部屋へ遊びに行ったところ、同じアパートに住んでいるもう一人の日本人が合流した。部屋からは約40分で引き上げて、その帰りにスクンウィット15街路にある売春婦たちが集まることで知られている「テーメー」というバーに寄ってみた。目的は、もちろんタイ語会話の実践だ。売春婦のサービスが買えるほどのカネはないし、国民全体のエイズ感染率が2%、売春婦に限定すれば50%前後はあると言われているタイで、エイズの感染リスクに真正面から立ち向かうのは、あまりにも愚かだ。
午前2時の閉店後、スクンウィット通り沿いにある屋台で、日本人の友達がいるという30歳前後の売春婦とビールを飲みながら午前4時頃まで話した。そのまわりでは、バーの営業時間内に買い手がつかなかった売春婦たちが場外戦を繰り広げていた。ビールとつまみの代金は全額この売春婦が支払ってくれた。
ラッチャダーピセーク2街路にある仮住まいのタナタウィーパレスへ戻ってから、日中に購入した携帯電話の開通テストをするために、ロビーへ行って公衆電話から自分の携帯に何度か電話をかけてみたところ、なかなか上手くいかなかった。ロビーの奥でひとりでビールを大量に飲んでいた女性に話しかけて、タイの公衆電話とプリペイド式携帯電話の使い方を教わったあと、その女性の酒につきあった。
「わたしは母親を養うためにカラオケ屋で働いているんだけど、それがただ淡々と続くだけの毎日に嫌気がさしている。今年で30歳になるが、いまだ彼氏はおらず、いつも一人ぼっちで悩み続けている。身体を売れば事態を簡単に解決できるのかもしれないけれど、それは悪いことだからできない。売春ができればどんなに楽だろうか」
この女性は、そのように話して、俯いてしまった。そんな話に午前7時まで付き合ってから部屋へ戻って就寝した。ここでのビール代もタイ人の女性が全額を持ってくれた。