タイにも遊園地はある。大学時代に教わったテーマパーク経営の理論によれば、遊園地存立の成否は、後背地と呼ばれる商圏となっている地域の人口に大きく左右されるという。バブル崩壊後の日本で、三大都市圏から離れたところに立地している遊園地が、つぎつぎと閉鎖へ追い込まれたのは記憶に新しい。バンコクの都市圏に1000万人もいることを考えてみれば、これだけの大都市に遊園地がひとつもないと思うほうがオカシイ。
ネムイ。とにかく睡眠時間が足りない。きょうは、バンコクに来てからいつも一緒に行動しているアップルとエーンに加え、ふたりと同じタンマサート大学に通っているシェーンとともに、バンコクの中心部から約40キロ離れた、パトゥムターニー県タンヤブリーにある遊園地、ドリームワールドへ遊びに行くことになった。別格の東京ディズニーランドを除く、日本国内にある一般的な遊園地と比較してみても、遜色のない規模と遊具を備えているタイ唯一の遊園地だ。
あさ、ペッブリー18街路にある住まい Venezia Residence まで、シェーンがクルマを運転して迎えに来てくれた。バスで行くには少し辺鄙な場所にあるため、クルマで行けることを知ったときには大はしゃぎをして喜んだ。
ドリームワールドは、バンコク・ドーンムアング空港のさらに北にある。大型のショッピングセンターが途中にいくつかあったものの、このあたりまで来るともうだいぶ田舎で、周囲には見渡す限りの田園地帯が広がっていた。駐車場には、いかにも中国人観光客向けと分かる観光バスが何台か停まっていた。チケット売場の掲示にも、タイ語や英語のほかに中国語まで併記されていた。
この外国語表記が、なかなかのくせ者だった。園内にあるすべてのアトラクションに一回ずつ乗ることができるクーポンが付いている入場券の料金が、タイ語では ๒๙๐ บาท(290バーツ)と書いてあるのに、なぜか英語では 450 Baht(450バーツ)となっていた。これは外国人料金と呼ばれている二重価格だが、僕はチケット売場や改札で無言を貫き、外国人とバレることを極力避けることで、きちんとタイ人向けの正規料金で入園することができた。
日本の遊園地は、待ち時間がとにかく長い割に、肝心のアトラクションに乗っていられる時間がとても短い。しかし、さすがはアメージング・タイランドといったところだろうか。アトラクション1回あたりの時間が異常に長く、目が回り、三半規管がおかしくなって吐き気を催しはじめてから、さらに2倍も3倍もの時間が経過して、ようやく終わる。そして、失われた平衡感覚が回復する前に、インターバルなしですぐに次のアトラクションに乗ることになり、体力が見る見るうちに消耗していく。
あらゆる基準が緩いタイらしく、安全面に懸念のあるアトラクションが多く、本当にハードだった。たとえば、上の写真の「バンバン・カー」というアトラクションでは、コースを走るのと同じスピードで、この密度のなかをカート同士でぶつかり合った。日本だったら、終わったときに殴り合いのけんかが始まっていてもおかしくないコンセプトであるうえ、衝突時の衝撃で外傷性頸部症候群になってしまうかもしれない。しかも、カートの後部から天井へ伸びている給電用のパンタグラフが、アトラクションを待っている人たちの列から手が届くところに張られていて、本当に危険だと思った。
アトラクションを13個ほど乗り終えた入園2時間後には、グッタリとして動けなくなり、施設の壁に寄り掛かって30分間も寝てしまった。なりふり構ってはいられないほど体力を消耗して、睡魔に抗うこともできなくなっていた。
ドリームワールドは、サービス満点! メチャメチャ楽しい!! そして、マラソンのようにキッツイ遊園地だった。
夕方、帰宅ラッシュの渋滞にはまりながら帰宅した。
そうそう、途中でシェーンが両親から買い与えられたという、ドリームランドの近くにある一軒家に立ち寄った。日本の一般的な家屋より豪華な建物に驚いた。みんな、僕なんかより全然金持ちなのかもしれない。
夜、家出人のエーンは、ペッブリー18街路にある住まい Venezia Residence 6階の自室に宿泊することになった。エーンはいま、僕が使っているベッドのすぐ隣にある、もうひとつのベッドに横たわってぐっすりと眠っている。