2002年

年越しカウントダウン 2546

アソーク駅からチットロム駅まで東京の朝の通勤ラッシュ並に混雑している高架電車で移動して、人混みに揉まれながら World Trade Center 前にあるカウントダウン会場まで牛のようにゆっくり歩いた。周囲は群衆の熱気とビールの臭いで充満していた。

タニヤ嬢とヒモ

突然何の前触れもなく乱闘騒ぎが始まった。通路に一番近いところに座っていた日本人のバーテンがタイ人男性に殴られて椅子から転落した。すぐさま周囲が止めに入って男はあっという間にどこかへと連れて行かれた。

ビアガーデン

毎年11月下旬ごろになると仮設のビアガーデンがバンコク都内のあちこちに出現する。バンコクに来たばかりだった1年前には季節はずれのビアガーデンにカルチャーショックを受けたけれど、どうやら夏は暑すぎるから屋外で飲めるこの時期に飲むしかないということらしい。

無題

夢のなかに突然あらわれた敵に回し蹴りをかますために身体を力いっぱい回転させたところ、ベッドから転落してタイルの床に思いっきり叩き付けられた。ベッドに戻ってからさらに3時間眠り続けた。この1週間まったく勉強をしていない。5日後に提出期限が迫っている宿題がまだ山のように残っている。

カミカゼ特攻モタサイ!

バイクタクシーは渋滞中のスクンウィット通りを時速80キロでバイク一台分の隙間を縫うように走った。約20分間の臨死体験アトラクションの末、ようやく目的地に到着した。運賃は80バーツだった。バイクタクシーを安全運転したときの3分の1の時間で済んだが、こんな思いをするぐらいなら友人をあと40分間待たせたほうがまだ良かった。

タニヤ嬢とタイ語

カラオケスナック「ゆかり」では自分の生活圏ではまず聞けないような凄まじいタイ語が飛び交っていた。タイ人の教育格差は深刻で想像を絶するほどのアホがたくさんいる。どうも脳味噌の構造が少し違うようで、唯一まともな会話が成り立ったのはラームカムヘーング大学に通っているホステスひとりだけだった。

無題

クリスマスの夜、スクンウィット10街路にあるオープンバーで日本人とビリアード勝負をしてから、グランドプレジデントホテルの日本人向けカラオケスナックで飲んだ。その後、スクンウィット15街路にある売春婦調達バー「トァーメー」へ出かけた。平日はいつも閑散としているけれど、今晩は男性客と売春婦たちでごった返していた。

バンコクのクリスマス・イブ

バンコクのクリスマスは日本ほど盛大ではないけれどそれなりの存在感はある。タイ・チャンネル3の番組紹介ではいつもの殺風景な背景がホワイトクリスマスのイラストに変わって、クリスマスソングが มีคุณค่าทุกนาที ดูทีวีสีช่อง 3(カラー放送3チャンネルを見る毎分には価値がある)というダサいキャッチフレーズとともに流されていた。

中古ビデオデッキ購入

買ってきたのは中古のビデオデッキで大学の先輩から2,000バーツで譲ってもらったという。しかし今どきの電気製品には必ず付いている液晶画面がなくタイマー録画の機能もない。しかし映像形式はタイの PAL 方式のほかに日本の NTSC 方式にも対応しており、電圧も100ボルトから240ボルトまで対応しているため使い勝手は良い。

二日も早いクリスマスイブ?

エーンは大学のダンスサークルで斡旋してもらったバイトをしている。いまはビアガーデンの特設ステージで英語の司会をしてダンスも踊り、コロナビールを売り歩くという仕事。午後7時から午前1時までの6時間勤務で日給は1,000バーツという。

バンコクの起業家

これまでバンコクで何人もの日本人起業志望者に会ってきたけれど、そのたびにずさんな事業計画に驚かされてきた。どうも発展途上国に来れば先進国の起業家は必ず成功するとでも勘違いしているようだ。頼むからもう少し現実を直視してほしい。

銀行預金残高2,500バーツ

バンコクの物価は同じ発展途上国の首都であるラオスのウィアングヂャンやカンボジアのプノンペンに比べるとべらぼうに高い。両親にはそれが分からないらしく、追加の仕送りをお願いしたところ麻薬でもやっているのかと疑われしまった。