キングモンクット工科大学日本語専攻のガーンヂャナブリー旅行に参加してみた

バンコク東部にあるプラヂョームグラーオ・ヂャーオクンタハーンラートグラバング工科大学は、日本語ではキングモンクット工科大学と呼ばれている。日本政府の技術援助によって1960年に設立されたノンタブリー電信電話訓練所(現在の工学部)が前身の国立大学で、改組してノンタブリー県から現在のラートグラバング区へ移ってきた1971年以降も、校舎を整備するために1975年と1984年の2回にわたって日本政府からの大規模な財政支援を受けている。そのような経緯もあって、開設当初から日本語の教育には力を入れているという。

午前6時、ラートグラバング区にある民間の学生寮で目を覚ました。予定より1時間も寝坊してしまったが、洗面所を7人で交代して使いながらも30分以内に身支度を整え、産業教育学部言語社会学科が所有しているエアコンがないバスに、なんとか定刻どおりに乗り込むことができた。

今回のガーンヂャナブリー旅行は、日本語の授業の一環としておこなわれるもので、日本語を専攻している4年生21人のほか、教員2人、本物の観光客1人を含むツアー参加者役の日本人6人の合計29人が参加している。

ガーンヂャナブリーは、ミャンマーとの国境があるタイの西部に位置している。第二次世界大戦のときには、日本の陸軍鉄道隊が現地の労働者や連合国軍の捕虜を徴用して建設にあたった泰緬鉄道の拠点となった。1957年に公開されたピエール・プール原作の映画「戦場にかける橋」の舞台としても知られている。ツアーのルートはつぎのとおり。

チュンカイ連合国軍兵士共同墓地 → 泰緬鉄道建設にともない死亡したアジア人労働者と連合国軍捕虜の慰霊碑 → クウェー川鉄橋 → 旧泰緬鉄道の旅 → 象のトレッキング → イカダの川下り

ツアーガイド役の学生たちは、さまざまな名所を日本語で案内してくれた。しかし、日本の戦争責任を糾弾する内容のぎこちなくて間違いだらけの日本語が、睡眠不足のためフラフラになっていた脳みそにさらなる追い討ちをかけ、次第にイライラが募っていった。

夕方、左右を岸壁に囲まれたクウェー川の渓谷をイカダで下っていたところ、学生たちは拡声器を取り出してカラオケ大会をはじめた。バンコクへ戻るバスのなかでも、拡声器あり太鼓ありの即席ディスコ状態で大騒ぎだった。

バンコクへ戻るバスのなかはクソ暑いうえにとんでもなく騒がしかったが、昨晩の睡眠不足と炎天下を歩き回ったことによる疲労のため、ぐっすりと熟睡することができた。

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バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。