ここ数日、常夏であるはずのバンコクがまるで冬のように寒い。ただでさえ大気汚染の影響を受けて霞んでいる空を、分厚い雨雲が覆い、熱帯気候特有のあの灼熱の太陽が放つ光を完全に塞いでしまっている。
――とは言っても、バンコク人が言う「冬のように寒い」なんて、せいぜい「半袖のTシャツ1枚だけでは少し肌寒く感じる」程度のものでしかないが、こうも悪天候が続くと次第に気分が滅入ってくる。
バンコクに住んでいれば、日本にはない珍しい物事に毎日のように出くわすし、日本で売っているものだってほとんど手に入れることができる。それでも「日本と完全に同一のもの」となると、なかなか簡単に体験することはできない。
たとえば、日本気分を堪能してリフレッシュしようと日本料理屋へ出かけたところで、出発の段階から失敗するのは端から目に見えている。
住まいがあるベネチアレジデンスを出発して道幅5メートルの狭いペッブリー18街路を駐車車両や往来する車両を避けながら歩き、大通りのペッブリー通りに出てからも昼寝している無数の野犬を避けながら段差のある歩道を進み、バンコク会計学校の前で停留所とは名ばかりの人々が群がっているだけのエリアでバスの到着を待つ。1990年代の初頭に日本からタイへ輸入されてきたいすゞ自動車製 MT111QB 型の路線バスは、整備が悪いせいでボロボロの状態でやってくると、まだ停車していないにもかかわらず、安っぽい乗降扉が「ドカン」と大きな音を立てて乱暴に開く。そこにスポーツをする感覚で飛び乗って、車内の空いている席を探す。しばらくすると女性の車掌が筒状の形をしている金属製の料金箱をバチンバチン鳴らしながら近づいてくるので、全区間一律運賃の3.5バーツを支払い、まるで戦前にタイムスリップしたかのような汚い藁半紙の切符を受け取る。舗装が悪い道を乱暴に車線変更を繰り返すせいで揺れに揺れまくる車内から、常時開け放たれたままの窓の外の景色を眺め、目的地が見えてきたところで車内に数箇所しかない降車ボタンを探し、押して、転倒しないように出口まで慎重に移動する。乗降扉は走行中に突然開くので、道路の端を猛スピードですり抜けようとするバイクに十分注意ながら飛び降りる。
日本料理店に到着したところで、そこで待ち受けているのは「サワッディーカ~」と可愛いが気の抜けるようなタイ語の挨拶だ。ここで無料の熱い緑茶を注文しないとボッタクリ価格の飲料水の代金を請求されることになるため、タイ人の店員が聞き間違えないよう、確実に ชาร้อน(チャーローン:温かい緑茶)と発音する必要がある。やっとのことで日本食にありつけたとしても、およそ50%の確率で日本料理とは似ても似つかない謎の日本風料理エックスを目の前にして暗澹たる気分になる。
―― というわけで、日本が恋しい。どうせ日本へ帰ったら、娯楽で溢れているバンコクというパラダイスが懐かしくなって、すぐに戻りたくなるのは目に見えているけれど、それでも3ヶ月に1度ぐらいは文化的で秩序正しい日本の空の下で暮らしたい。
エーンが帰宅した時、ちょうどパソコンに向かって呆然としているところだった。「どうしちゃったの?」と聞かれて「なんだか頭がボーとして何もやる気が起こらないんだ」と答えると、エーンは「チョコレートを食べれば治るよ。買ってきてあげるっ!」と言って出かけ、日給の230バーツをまるまる使って食べきれないほど大量のお菓子を買ってきてくれた。こういうときに親身になって心配してくれるのはとてもありがたい。
きょうでバンコクに来てから4ヶ月が経った。