タイの公式政治史

夕方、 World Trade Center 5階にある食品売場でエーンと買い物をしたついでに、これまでずっと欲しいと思っていた「タイ国高等学校社会科教科書『歴史』」(日本語版, タイ紀伊国屋価格1,350バーツ)を6階の紀伊国屋書店で購入した。

帰宅後に興味津々で読み始めたが、その内容のあまりの貧弱さに驚いた。

タイ人の歴史は各地に点在していた集落が約700年前にひとつの王国に統一されたところからはじまる。教科書の本文中には「最初の王朝ができた仏教歴19世紀(西暦13世紀)以前のタイ人に文化がなかったとは考えにくいためこれからの研究が期待される」とタイ人の民族意識を擁護するような表現が目立った。

その後、タイの政権はスコータイ朝⇒アユッタヤー朝と続くが中国や日本のような官僚制は西暦の18世紀になるまで整備されなかった(宮廷内に原始的な行政機構はあったが官僚制度と呼ぶには貧弱すぎる)。タイ国王(中央政府)の統治能力は19世紀まで都の周辺部に限定され地方の統治は領主任せになっていたようだ。

当時、サックディナー制(位階田制)によって人々の社会的地位は位階田の大きさで表されていた。タイ国王は版図全域の神という建前から位階田を持たなかったが、現在のタイの面積51.3万平方キロメートルに対して、副王格の地方知事が50万ライ(800平方キロメートル)、下級官吏が400ライ(0.64平方キロメートル)、市民階級が25ライ(0.04平方キロメートル)で、最下層の農奴階級は5ライ(0.08平方キロメートル)だった。位階田には俸禄のような意味合いもあったが、末期には形骸化して地位の高さを相対的に表すだけの数字となった。

本書では、タイ国王の王権が、タイ国民の父から仏教解脱者、仏教解脱者から神聖不可侵の神へと変容していった背景を誰もが受け入れられるように工夫が凝らされている。王朝の興亡についても歴史的事実にはほとんど触れず、勢力図が変化したため新王朝が勃興して新国王が即位したと説明するにとどめている。その理由についてエーンはつぎのように話していた。

「王権の正統性なんてものを教えてしまったら高校生たちが国王を疑い出すじゃないの!現在のラッタナゴースィン朝の始祖はトンブリー朝のタークスィン王を暗殺して王位を簒奪したんだから都合悪すぎる。国王を崇拝しなければいけない理由や大逆を犯してはけない理由を教師が子供たちに説明できなくなってしまう」

日本の天皇家は単一の血統によって継承されてきたとされているが、タイの王家はそうではないため王権の説明を難しくしている。

タイの公式政治史は、ひと味たりないどころか、まったく味気なかった。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。