カーオサーン通りはバンコク西部プラナコーン区の旧市街のにある繁華街。
この通りは1892年、グロムヨーターティガーンによってナーワットチャナソンクラーム通り(戦勝寺通り)として建設された。水上交通の要衝としてバンコクにおける米穀流通の中心地に発展し、プラモングットグラーオ王(ラーマ6世)の治世(1910-1925)に国王からカーオサーン通り(米穀通り)の名を下賜された。1982年にハリウッド映画の舞台となったことで世界的に有名になり1985年から1986年にかけて外国人観光客が急増。当時はまだゲストハウスはなく、外国人観光客は周辺の民家に下宿していた。現在のゲストハウスは1990年頃に外国人観光客のあいだでソングラーン祭りが大ウケときに相次いで建設されたという。現在はバックパッカーを中心に世界中からやってきた短期滞在者が集住している安宿街として非定住型スラムさながらの様相を呈している。
このカーオサーン通りはタイの地方都市と同じぐらい物価が安い。宿も料理も安い。だけど人々やサービスの質も値段相応。
バンコク都内にはもう少しだけカネを出せば楽しめる娯楽がたくさんあるのに、カーオサーン通りしか知らない人たちはなぜかスラム街で決して安くもない出費を強いられている。麻薬漬けのバックパッカーも少なくないけれど、外国人向け麻薬の相場は市価の2倍程度。
僕にはこの繁華街の魅力がまったく理解できない。
夜、日本風居酒屋で日本人3人とタイ人2人で飲んでからカーオサーン通りを2時間ほど徘徊した。