「ちょうど1時間前に父がこの部屋に来たのよ。時間も時間だったからあなたと思って部屋のドアを開けたら父がいたの。いつもより遅く帰ってきてくれて本当に助かったわ。もし父があなたと対面していたら収拾がつかなくなっていたはず」
ペッブリー18街路にあるアパート Venezia Residence の644号室で午後11時、バイト先の社用車を借りて深夜のドライブを満喫してから部屋へ戻るとエーンが深い海溝の底に沈み込んでいた。
本当に危ないところだった。エーンが言うとおり、これでもし友人とドライブへ出かけていなかったらどんな事態に直面していただろうか。もし「おまえは私の娘の将来に責任が負えるのか?」という質問を浴びせられたら、ただただ右往左往して醜態を晒すんじゃないだろうか。
「家出して彼氏と同棲している女の世間体がどれだけ悪いかについては知っているでしょう? ああ、やっぱり同棲していないことをアピールするためにも、わたしはアヌサーワリーチャイ(戦勝記念塔)ちかくのアパートを借りるべきだったのよ」
アヌサーワリーチャイサモンラープームの東、ディンデーング通りに立ち並んでいるボロアパートなら月々2,500バーツで借りられる。もちろん冷房や温水シャワーはない。
「この部屋に10分ぐらいいた父は帰り際に泣いていたわ。あなたは自分の父が泣いているところを見たことあるかしら? はぁぁぁぁぁぁ……」
これまでエーンの父親が突然やってくるのに備えて5,500バーツも出して7階の部屋を借りていたのが無駄になってしまった。
きっとタイに来た当時にエーンとつるんでいたタンマサート大学のクラスメイトたちが内通したんだろう。そのクラスメイトとは僕たちが付き合ったのをきっかけに絶交している。