ロサンゼルスは全米2位の規模の都市で人口は3,844,829人。
昼すぎに旅の出発地ロサンゼルスまで戻ってきた。ラスベガスからの距離は約580キロで、今回の国立公園をめぐる旅では全日程合計2,884キロも走った計算になる。ロサンゼルスの市街地を縦横無尽に張り巡らされている通りには、それぞれ Main Rd., 1st Rd., 2nd Rd というような単純な名前が付いている。地図に目を落としてみると、なんと 116th Rd. というものまであった。
日本人街リトルトーキョーへ行って昼食をとったけど、日本料理ビュッフェ(6.99ドル)は貧弱を極めた。バンコクにあるエセ日本料理店 Oishi より少しマシな程度だった。
この街は土地の高低差が大きい。そんなことに興味を持ちながら周囲の風景を眺めていたところ、「アメリカは病んでしまった。緊急治療が必要だ」というプラカードを掲げている老若男女が街中の至る所に立っているのに気づいた。イラク戦争に対する抗議運動のようだ。
5th 通りの奥で政治集会が行われていたため、それを迂回して今日の最終目的地であるホテル「ラマダ」へ向かった。
ここのところアメリカのテレビニュースはイラク戦争の戦況を伝える報道一色になっている。インターネットでも戦争反対を唱えるウェブサイトに出くわすけれど、「戦争には反対だから反対する」というようなポーズだけの反戦運動には正直食傷気味になっている。
「戦争は悪いことだから止めよう」
「戦争は孤児を生む原因になるから止めよう」
「戦争は石油資本の利益のために始められた。自分勝手な行為だから止めよう」
こうした抗議行動の裏には参加者たちのエゴが常に見え隠れしている。自らの政治的見識や市民意識の高さを主張したいという気持ちは理解できるけれど、だからといって戦争がそんな単純な理由で始まるなんてありえないし、そんな単純な理由で中止できるようなものでもない。戦争という国家の大事を個人のレベルに落とし込んで論じるのは適切ではないと思う。政治や軍事について考えるときに、建前の部分を事の本質と取り違えていけない。
将来におけるドル経済圏とユーロ経済圏との戦いである、という説がもっとも妥当だと思う。当事者たちにとって、おそらくこの戦いは将来の基軸通貨を決定付ける重要なもので、人権云々なんて言ってられないんだろう。
アメリカのように世論が賛成派と反対派に二分されていて個人が自分の意見を主張をできるような環境があれば反対運動にもそれなりの意義はあると思う。しかし日本のようにマスコミの論調が常に正しいとされている国で鸚鵡返しのように戦争反対を唱えていて虚しくはならないのか。報道権力の権威を高めてやることに何の価値があるのか。報道権力のウグイスに成り下がっても自分の信念を陳腐化させるだけだ。
世の中には扇動する人と扇動される人がいて、情報には必ず発信者の意思や願望といったベクトルが付加されている。これを忘れたらただのピエロだ。
・・・・・・という理由で、いま流行っている「イラク戦争への賛否」については自分の意見を誰かに明かすつもりはない。
それにしても、ここアメリカでは毎週のように政治集会があるんだろうか。