2003年

タイ語と労働

タイには教育省主催のタイ語検定「ポーホック」がある。この試験を合格しただけでは中学校以降に学習する歴史・経済・社会に関するテーマについて話し合うことや、公式な場面でそれなりに談笑することはできない。日本の外国語教育にたとえれば「中学校3年生で習う英語」程度の表現しかできない。

無題

レセプションに電話で問い合わせてみた。過去の経験からこのホテルでタイ語を使うと甘く見られるのは分かっていたから英語で聞いてみたけど、相手の英語がひどすぎてコミュニケーションがまったくとれない。判明したのは「15」ということ。この数字が何を意味するのか最後まで分からなかった。

ヒンズー教徒と牛肉

「実際にヒンズー教徒が『ハンバーガーに牛肉が入っているとは聞いてなかった』と抗議してくるケースはよくあるのよ。だから牛肉が入っているメニューを注文されたときには相手が誰であろうと必ず『このセットには牛肉が含まれていますがよろしいでしょうか』と確認する決まりになっているの」

夜のパッタヤー

きょうはバイト先の社員旅行に参加した。業務終了後、タイ人を含むすべての従業員を乗せた乗合バン(ロットゥー)のアクセルをベタ踏みにして、バンコク郊外のビーチリゾートとして知られているパッタヤーへ向かった。午前零時にタイ人従業員たちが寝静まったのを見計らってから日本人の同僚たちと夜のパッタヤーへ繰り出した。

道端の腕時計修理屋

昨晩スクンウィット通りにある屋台でブランド腕時計の模造品を買ったときにバンドの長さを調整してもらうのをすっかり忘れていた。腕時計が腕からスッポリ落ちてしまうようでは身に付けられない。そこで「腕時計ベルトの補修・交換承ります」という看板を掲げている露店で調整してもらった。20バーツだった。

あたらしい20バーツ札

あたらしい20バーツ紙幣は現行の500バーツ紙幣のような近代的なデザインで1,000バーツ紙幣と同じような色をしている。ほかの額面の紙幣と同じく前面に現国王プーミポン・アドゥンヤデートの肖像が印刷されているけれど、背面の肖像は従来のタークスィン王からアーナンタ・マヒドン王へ変更されている。

無題

タイ語訳を依頼されていた就業規則をメールに添付して送ってから、深夜までこのホームページにある掲示板用のプログラムを作っていた。

ハムスター投資 約2,000バーツ

ハムスター関連のホームページには「ハムスターは水に弱い」と書いてある。これでもしハムスターに死なれてしまったらエーンから口汚く罵られるだろう。いよいよ憂鬱な気分になった。同時にいまの設備が不十分なのに気付いて買い足すべきものをリストアップした。

無題

午後2時に目が覚めたころにはエーンがパソコンに向かって翻訳した文書を打ち込んでいた。正午頃にやってきたらしく、エーンの作業は3時間足らずで終わって引き継いだ校正作業を夕方まで続けた。夜、友人の会社でのバイトから戻ってくると、きょうエーンが持ち帰る予定になっていたハムスターが書置きとともに残されていた。

ヂャトゥヂャック週末市場

はじめてヂャトゥヂャック週末市場へ出かけた。タイへ来てから452日目になるけれど、この暑いなかを何時間も屋外にいるのは耐えられないから、これまで友人たちから誘われてもずっと断り続けてきた。アメリカ留学がなかったらあと1年は先送りにしていただろう。

はじめての文書翻訳

ある会社の就業規則をタイ語で作成する作業を有償で請け負った。タイの労働省へ提出する公的な書類だからカンペキなタイ語に仕上げる必要がある。そこで報酬の7割を分配する条件でエーンに手伝ってもらうことにした。

タニヤ昔話

「20年前のタニヤ通りは今とはまったく違っていた。カラオケスナックはどこも会員制で、はじめての客は会員からの紹介がなければ店に入ることもできなかった。当時はタニヤ通り全体がいわゆるハイソな街を形成していて料金相場も現在の数倍はしていた。ホステスの質はもちろん、容姿もサービスも今とは比較にならないほど優れていた」