2003年

麻薬がらみの殺人事件で一色のニュース

警察による麻薬の取締は苛烈を極めている。今回の麻薬撲滅戦争では麻薬関連の容疑者が抵抗したら射殺を許可するとの通達が出されているらしく、きょうまでの死傷者は膨大な数に及んでいる。一説によればこの2ヶ月で300もの命が失われたという。これに対して国連の人権委員会がタイ政府に抗議しているらしい。

教育省によるゲーム時間規制

ここのところタイの高校生や大学生の間で通信対戦 RPG ゲーム「ラグナロックオンライン」が大流行している。町中の至る所にあるインターネットカフェには「ラグナロック1時間20バーツ」という掲示が貼り出されている。いまやインターネットカフェの経営は通信対戦ゲームなしでは成り立たない。

ポーホック合格証明書受領

きょうはポーホックの合格証を受領するためにラーチャダムヌーンノーク通りにある教育省の証書発行課へ出かけた。この試験の正式名称が「私立学校教員免許申請者のための初等教育第6学年相当のタイ語能力検定」であることから、すっかり教員免許証も同時に受け取れものと思っていたけれど、どうやら別途申請する必要があるらしい。

ひとり暮らし初日

きょうからは、起きる時間も、部屋の電気を点ける時間も、誰と電話するのも自由。世間では自由がいかにも素晴らしいことのように言われているが、いざ実際にホントウの自由を手にしてみると案外それほど良いもののように思えないから不思議だ。

エーンの引っ越し 後編

エーンは王宮方面へ引っ越すと偽ってフワイクワーング区のスーンウィヂャイ8街路にあるコンドミニアム「プライトンプレイス」へ引っ越していった。エーンの荷物は、プラスチックの収納箱1つと国内旅行用のカバン1つ、それからリュックサック1つに納まった。

エーンの引っ越し 前編

あすエーンはこの部屋から出て行く。エーンは当初アヌサーワリーチャイサモンラプームアヌサワリーチャイ戦勝記念塔付近の女子寮を借りると話していたけれど、どうやらそれを取りやめて王宮方面の女子寮に変更したという。家賃3,000バーツはそのままらしい。

無題

昼過ぎまで眠って旅行の疲れを癒してから、友人の会社へアルバイトに出かけた。退社時間と同時にタニヤ通りにあるカラオケスナック「ゆかり」の店主から電話で呼び出されて同僚たちと夜の歓楽街へ繰り出した。エーンの引っ越しが明後日に予定されているため早めに帰宅した。

ふたりの口座残高88バーツ

ラオス入国料の1,500バーツを引き出すためにバンコク銀行のATMへ直行した。出金しようと暗証番号を入力して10,000バーツのボタンを押したところ、画面に「残高が足りません」の表示が現れた。念のために口座残高を照会してたみところ23バーツしかないことが判明。エーンの預金残高も65バーツしかなかった。

少女マンガ読破

16号車(2等冷房寝台車)まで前進したところで車掌にそう注意されて後退を余儀なくされた。エーンが古本屋で借りてきた少女漫画を冷房のない3等車でもいいから椅子に座ってゆっくり読みたいと考えていたけれど、その希望すら叶えられなかった。

アメリカ留学手続始動

アメリカへ語学留学に行くのが確定した。ヂュラーロンゴーン大学の修士課程東南アジア研究科事務局へ英語検定 CU-TEP の結果を聞きに行ったところ460点では入学を許可できないとの回答があった。アメリカへの留学期間はおおむね3ヶ月半から5ヶ月半を予定している。

タイの労働法

経営コンサルタントからタイの労務関連の法令について説明を受けた。日本人がタイで働くためには、①商用ビザと②労働許可証の2つが必要で、商用ビザがなければ労働許可証を申請できないし、労働許可証がなければ不法就労として摘発される恐れがあるという。

エーンの自立

エーンも新しい部屋を借りたという。アヌサーワリーチャイサモンラプームちかくのコンドミニアム(家賃3,000バーツ)でリビングと寝室があって、リビングにはキッチンもついているらしい。突然の父親の訪問以来、エーンが「彼氏の家に居候するのは許されないことかも?」と悩み続けた末の選択だった。