考古学者の解説を聞きながら遺跡めぐりをしていると、「考古学とは何か」という疑問が次第に強くなっていく。
カンボジア史については、文字による史料がほとんど残されていない。だから遺跡の建築様式から年代を特定して、それをもとにその時代の政治や文化について推定している。ところが、考古学者にどんな質問をしても、返ってくる答えは常に「学者のあいだでも意見が分かれていて正確なところは分からない」という曖昧なものばかりだった。カンボジア考古学は19世紀のフランス領インドシナ時代からあるそうだが、この200年ものあいだ学者たちはいったい何を見て何を研究してきたのか。
考古学とは、正体不明な遺跡を前に、同年代に書かれた他国の文献を参考にして、なんとなく辻褄を合わせながら、男たちが過去に思いを馳せる歴史物語のことなのか? 日本人として、豊富な史料に裏打ちされた歴史を学んできたせいか、このように根拠の薄い仮説や伝説を聞かされ続けるのはあまりにも苦痛だ。
僕は考古学を専攻したことはないし、この分野に関する知識もほとんどない。だから、このような疑問は考古学者を逆上させるだけの極めて的外れなものかもしれないけれど、これらがロマンの域を越えているとはどうしても僕には思えない。
きょうの遺跡はつぎの6ヶ所。プラーサート・パックシーヂャムグロング、プラーサート・東メーブン、プラーサート・バンターイサリー、プラーサート・パープワング、プラーサート・ピマーンアガート、プラサート・バンターイサムレー。遺跡めぐりの毎日にもいいかげん食傷気味だ。