カンボジアとタイの国境があるバンテイメンチェイ州ポーイペートへ向かう幹線道路国道6号線を走るバスの中。未舗装路のため車体がトランポリンのように大きく揺れ、眠ることすらできない僕たちは退屈を極めていた。そこでふたたび昨日の「日本人は愛国主義者だ」という話題になり、僕は直接的な表現で「日本人は排他的な差別主義者だ」と応じた(留学生日記2004年4月30日)。それがこの議論に火を付け、おかげで昼食のために立ち寄るポーイペートまでの道のりを退屈せずに済んだ。
「世の中が平等なんてモウソウよ。現実を直視できる真っ当な人なら、誰だって簡単に理解できるはず。炎天下で賃金の低い重労働を強いられているブルーカラーの人々がいる一方で、冷房キンキンの部屋で5倍もの賃金をもらって快適に働いているホワイトカラーの人々もいる。不平等であることを否定するんだったら、平均的な先進国の国民よりも裕福な暮らしをしている大小さまざまな資本家たちをどう説明すればいいのよ? 事実から目を背けたところで独力で格差がなくなるわけじゃないし、『キャッシュでベンツが買えるか』という客観的な指標で自ら否が応でも悟ることができるはず。能力過小自尊心過剰な人たちが、分不相応にもชนชั้นสูง(上流市民)への仲間入りを図って、ローンで買ったベンツを数ヶ月後には手放さざるを得なくなり、最後に残ったのは高額の自動車ローンだけ、なんていうのはそれこそタイではよくある話よ。何事にも『分相応』というものがあって、この言葉は自分を他人と比較したときに初めて意味をなすの」
このクラスメイトは裕福な家庭で育ち、大学2年の頃から父親に買ってもらったベンツで通学しているという。それだけに、自分が抱えている経済的困難を正当化するための自己完結型の屁理屈に陥ることなく、何の躊躇もなく思いっきり強者の論理を振りかざしている。基本的には僕もこのクラスメイトの主張に賛成しているが、それでも念のために一応忠告しておいた。
「たとえどんな環境にいようとも、日本人は経済的なことを含めすべてが平等で、自分自身も中流に属していると信じたがっている。これは子供の頃から学校で教え込まれてきたことだから仕方ない。もし平均以下の日本人の前でさっきみたいな主張をしたら、彼らは自分の信仰を否定されたかのように強烈な怒りと悲しみでダイニングテーブルを放り投げるか、もしくは為す術もなく泣き崩れるだろう。日本はタイとは違って、非熟練労働者でもローンを組んで中古高級車を買って、それで自分が VIP 階級の市民になったかのように思いこむことができる社会なんだ。その程度のことでは実在する格差を覆すことなんて全然できないけど、日本人は階級とか格差とかの話題にヒステリックな拒絶反応を示すはず。だから、さっきの君の話は日本人の価値観的には危険すぎる。相手が僕なら問題はないけど、ほかの日本人と話すときには細心の注意を払った方が良いよ」
どちらの主張も標準的な日本人の感覚からするとかけ離れているかもしれないが、日本の義務教育課程の教育指導要領に沿ってたたき込まれてきた「どんな労働でも労働は美徳」という盲目的信仰を無視して議論を進めていくと、自然とこのような展開になる。これぞまさに「文化の違い」、「価値観の違い」。
「あなたたち日本人が信じて疑わない平等信仰が嘘っぱちのモウソウだって、あなたは日本から離れてどのくらい経ったときに気づいたの?」
この程度のことはタイ人と心の通うレベルでコミュニケーションをとれるようになれば、1秒もあれば誰にだって理解できる。「平等」とか「標準」とかいった概念は、どこに基準を設けるかによっていくらでも変わるものだから、本当に無意味でバカバカしいことこの上ない。そもそも「標準的」とは、何を指して言っているのか? 日本の標準のことか、世界の標準のことか、それともカンボジアの標準のことか。
今からおよそ35年前、東南アジアに真の平等を目指した一つの国家が誕生した。民主カンプチア政府(カンボジア共産党, ポル・ポト政権)は、経済的不平等と教育的不平等の根源である通貨・市場・都市を根絶し、(農学・政治学以外の)高等教育機関を閉鎖して資本家や教員を抹殺粛清した。かくしてカンボジア人は世界で初めて真の平等を手にした・・・・・・はずだったけれど、本来不平等な社会に、現実を顧みない完璧平等システムを導入したためにカンボジアの国力は著しく低下して、最終的にヴェトナムの侵攻を招いて滅亡した。
午前7時、シアムリアップで8日間宿泊していたホテル「シティー・アンコール」をチェックアウト。途中、国道6号線の辺鄙な村で橋の補修工事に遭遇し、約2時間の足止めを食らった。午後1時半、タイ国境の街ポーイペートに到着。僕はタイ人クラスメイトたちと冒頭のような話をして移動に要した6時間をつぶした。
バンテイメンチェイ州ポーイペートにあるカジノホテルで不味いタイ料理ビュッフェを食べ、午後3時に国境を通過してタイ国内へと戻ってきた。大学には午後7時半頃到着し直ちに解散した。
世界の最貧国カンボジアのひどいインフラに約2週間にわたって耐えてきた僕の目には、タイの片田舎
サゲーオ県がまるでウォール街やブロードウエイのような輝かしい地上の楽園のように映った。