「それは片付けないで! それを僕たちがやってしまったら、その仕事をしている人たちが失業しちゃうから」
日本から遊びに来ている友人たちがStarbucks Coffeeで自分たちが使った食器を片付けようとしていた。とっさにこれを止めたけれど、直後に自分で自分を呪った。これは「日本人としてあるまじき言動」だった。標準的な日本人の価値観からしてみると、途方もない暴言以外のなにものでもなかっただろう。
さすがに普段は温厚で協調性のある友人もこれには腹を立てたようで、もう一人の友人は不快感を露わにしている。これにはまったく閉口したが、その言葉の意味を歩きながら要点をかいつまんで説明することの困難さを悟って、僕は黙り込むことでその場をやり過ごそうと決め込んだ。しかし、時間は元に戻らない。時すでに遅し。どう弁解しようとも、彼らには到底受け入れられないようなドジを踏んでしまった。
タイの雇用形態は非常に差別的だ。将来にわたって変更の余地すらない学歴社会の色彩を非常に色濃く反映している。5年近くタイに住んでいる別の友人の言葉を借りれば、これこそまさに「カースト制」そのもので、日頃から通っている小さなレストランひとつ取ってみても、その有り様を身近に感じ取ることができる。
大卒者は会社のデスクで基幹的な事務を担当し、高卒者は現場で金銭を取り扱い、それ未満は警備員や清掃婦などの単純労働に従事する。そうすることがタイでは社会的に強制されている。
このような人事は、チェーン展開している料理店などでよくみられる(店の前に張り出されている従業員募集の掲示物にそう書かれている)。ひとつの店舗のなかには、いくつもの職種があって、それらが排他的で絶対不可侵な関係を形成しているため、清掃婦がどんなに頑張ったところでマネージャーにはなれないし、マネージャーが店舗内を清掃することも絶対にありえない。こうした厳格なワークシェアリングがタイ国内における非熟練労働者の雇用を創出し維持するのに少なからず役立っている。
もし、僕たちが自分で使った食器類を自分で片付けてしまったらどうなるだろうか? まず、作業効率が上がることで、店舗運営をするうえで必要となる従業員の定員が減る。その結果、社会的弱者である清掃婦がまっさきに解雇される。次に、それぞれの従業員が店内の秩序を保とうと自発的に行動してしまうと警備員が失業する。失業した労働力が郊外の工場に流れると、今度は生産部門における労働力が過剰となり工場労働者の賃金水準が低下する。実家がある田舎へ帰っても、あまりにも経済規模が小さすぎて生計を維持できるだけの収入は得られない。集落の周りに広がる農場で働いても、食うに事欠くほどの貧しい生活が待っている。売春に手を染めるにしても、すでにタイの性産業部門における労働者は過剰を極めているし、本人も性感染症の危険に晒されることになる。失業者が増えれば犯罪が増えて国力も低下する。
そうなってはいけないので、タイ政府はつぎのような解決策を打ち出している。
「いま性産業に従事している人たちを訓練して、健康マッサージに必要な技能を身に付けさせて、タイ全土をスパと健康ランドの大地に変える。さらに、こうした市場を国際的に拡大することで、余剰労働力のために新たな雇用を創出し、人的資源の効率的な運用を目指す」
このような壮大な目標を個人のレベルで実現させようと努めても、無謀であるばかりか無意味なのは初めから分かりきっている(自分が娼婦と婚姻関係を結ぶなどして個人レベルで救済するなら話は別だが)。だから、僕は常日頃から単純労働者の既得権益を損なうことのないよう行動することを心がけている。「ファーストフード店で客である自分が自ら食器を片づけることはやめよう」というのも、単純労働者の権利を守るための運動の一環だ。
日本では常識であるとか正義であるとかされていることが、外国でもそうであるとは必ずしも限らない。・・・・・・そんなことを考えながら、結局、僕は友人には説明しないことにした。何しろ、これだけの説明をするためには10分ぐらいの時間が必要だし、もしその論理を完全に理解してもらえたとしても、彼らはもうすぐ日本に帰ってしまうのだから意味はない。
世の中とは、一見しただけでは平等に見えるかもしれないけれど、実はちっとも平等なんかじゃない。それは日本についても言えるはずで、日本人が平等だと信じているのは、学生運動が盛んだった1960年代当時の政府が打ち出した共産主義運動(階級闘争)を封じ込めるための世論誘導政策の名残に過ぎない。
午前中にパッタヤーを出発し、その足でアユッタヤーの遺跡を見学した。その後、高級百貨店 Emporium で土産物のブランド品を物色し、スクンウィット39街路にあるイタリア料理店「オペラ」で昼食を取った。
友人によると、Emporium に入っているGucciは日本より安いが、それでもたったの20%程度に過ぎないという。やはり、ブランド品はヨーロッパ諸国で購入した方が良さそうだ。