มหาวิทยาลัยมหิดล (มหิดล) | |||
マハーウィッタヤーライ・マヒドン (マヒドン) | |||
種別 | |||
準上位国立大学 | |||
設立年 | 2432年 (西暦1889年) | ||
所在地 | バンコク都ラーチャテーウィー区(パホンヨーティン通り6番地・歯学部)、バンコク都バーングゴークノーイ区シリラート町(パラーンノック通り2番地・医療技術学部・看護学部の一部・医学部附属シリラート病院)、バンコク都バーングゴークノーイ区バーングクムノン町(バーングゴークノーイタリンチャン通り・看護学部の一部)、バンコク都ラーチャテーウィー区パヤータイ町(ラーマ6世通り・医学部附属ラーマーティッバディー病 院・理学部)、バンコク都ラーチャテウィー区パヤータイ町(スィーアユッタヤー通り442番地・薬学部)、ナコーンパトム県プッタモントン郡サーラーヤー(プッタモントンサーイ4通り・工学部・人文社会学部・獣医学部・環境資源学部・大学院・ドゥリヤーング芸術学校・国際学校・ラーチャスダー学校・体育技術学校・歴史学校)、バンコク都ラーチャテーウィー区(ラーチャウィティー通り・医学部ローン校・公衆衛生学部)、バンコク都ヂャトゥヂャック区(ラッチャダーピセーク通り・タイ語課程経営学校)、バンコク都サートーン区(南サートーン通り・国際課程経営学校) |
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設置学部 | 理学部・看護学部・薬学部・歯学部・医学部・医療技術学部・工学部・獣医学部・公衆衛生学部・人文社会学部・シリラート病院医学部・環境資源学部・経営学部・修士博士課程、経営カレッジ・ラーチャスダーカレッジ・ドゥリヤーング芸術カレッジ・体育技術カレッジ・インターナショナルカレッジ・歴史カレッジ | ||
標準学費 | 約6,000バーツ/学期 | ||
公式Wweb | http://www.mahidol.ac.th/ | ||
入試難易度 | 人文科学 | 情報なし | |
経営学 | 情報なし | ||
法学 | – | ||
医学 | 2位(シリラート病院医学部医学科・正答率71%、倍率5倍) | ||
工学 | 8位(工学部工学科・正答率44%、倍率16倍) | ||
キャンパス | 建築物 | 70点(古い日本の大学よりもイケてる) | |
学生街 | 60点(サーラーヤー校:飲屋街はないが、大学前にたくさんの料理店がある) | ||
オシャレ | 60点(派手ではないが清潔感あり。一般的な国立大学ファッション) | ||
ボディコン | 20点(大半の学生は制服を正しく着用している) | ||
歴史 | 2429年 | 病院建設委員会、プラミントラマハーヂキュラーロンゴーン・プラヂュンラヂョームグラーオヂャオユーフワ国王陛下の勅旨を賜っり、さらにラーマ3世以来宮殿として使用されていた土地と16,000バーツを下賜され、タイ初の病院建設計画が始動する。 | |
2430年 | 病院建設委員会、シリラートガクッタパン・プラヂュンラヂョームグラーオユーフワ親王殿下の行幸を賜る機会を得て、病院運営資金56,000バーツを拝領する。 | ||
2431年 | 国王陛下を招いて病院を開設し、「シリラート療養所」の名を下賜される。 | ||
2432年 | 「医学学校」、プラヂュンラヂョームグラーオユーフワ国王陛下の許可を得てシリラート療養所内に設置され、読み書きができる15名が2年間の医学専修課程の学生として受け入れられる。 | ||
2434年 | ジョージ・ビー・マックフォーランド、医学学校の教師として迎え入れられる。第一期生9名が卒業する。 | ||
2436年 | 「医学者学校(ペータヤーゴーン学校)」、医学学校から名称変更。 | ||
2443年 | 「ラーチャペータヤーライ学校」、プラヂュンラヂョームグラーオヂャーオユーフワ国王陛下および王妃陛下により、医学者学校から名称変更される。 | ||
2446年 | 医学専修課程、4年に拡充。 | ||
2460年 | 「ヂュラーロンゴーン大学医学部」、ラーチャペータヤーライ学校を併合。(その後、「シリラート療養所附属医学部」と名称変更) | ||
2486年 | 「医学大学(ペータヤサート大学)」、ヂュラーロンゴーン大学から医学部、附属シリラート病院、歯学部、薬学部、獣医学部を独立させ、公衆衛生省(保健省)管轄の大学として設立。 | ||
2403年 | 医学大学、公衆衛生省から内閣府管轄に移管される。 | ||
2508年 | 附属ラーマーティバディー病院、プラポーンミンタラマハープーミポンアドゥンヤデート国王陛下の勅旨により設立される。医学部、チアングマイ大学に併合される。 | ||
2512年 | 「マヒドン大学」、マヒドン大学設置法に基づき、プラマヒタラーディベートロードゥンヤデートの名を冠する、現在の名称に変更。 | ||
2513年 | マヒドン大学、ナコーンパトム県サーラーヤー郡の土地1,241ライを購入と、分校設立を奏上。 | ||
2515年 | マヒドン大学、王室資産管理局からナコーンパトム県サーラーヤー郡の土地1,242ライ20ターラーングワーを購入する。 | ||
2519年 | マヒドン大学、サーラーヤー校建設に伴う費用と、経済の低迷や物価の上昇に伴い、極度の財政難に陥る。 | ||
2526年 | マヒドン大学、プラテープ・ラッタナラーチャスダー・サヤームボーロムラーチャグマーリー殿下をサーラーヤー校に招いて、サーラーヤー校開校式典を執り行う。 |