強烈に皮肉な光景を目の前にして、僕たちは唖然とし、そして心から彼らに同情した。
先月から続いているタイの若者文化に対する好奇心は、今月に入ってからというもの、エスカレートの一途をたどっている。この調子でいけば、年内にもバンコク都内にあるイケてるパブを全て制覇してしまいそうな勢いだ。これまで夜の街へ繰り出すという機会はほとんどなかったから、見るものすべてが新鮮で興味深く感じている。なによりも、この機会を逸してしまうと、タイの若者文化に触れる機会が永遠に失われてしまうのではないかという強い強迫観念が、僕を夜の街へ駆り立てている。
夜、トーングロー10街路にあるパブ Booze へ友人と繰り出した。午後9時半に到着して店内を見渡してみると、まだ混み合う時間ではないのに、なぜかもうすでに空席がなかった。
そこで、店員に言ってステージの前にある空間に補助テーブル(といっても単なるウイスキー置き場)を設置してもらい、やっとのことで酒を飲むための陣地(席と呼べるようなものではない)を確保した。つぎに、今晩起こりそうなハプニングを事前に予測するために周囲を見渡して観察した。目の前にはバンドが演奏するためのステージ、右隣には見るからにオタクっぽいイケてない6人組の女性たち、背後には従業員用の出入口があって、左隣には場違いなスーツを着ているタイ人の中年男性5人が若くてキレイなタイ人女性5人とともに4人用のスペースに座っていた。
午後11時、ようやく店内が混み合っている理由が分かった。それまでタイポップスを演奏していたバンドがステージを去ると、代わって2人組の女性司会者が現れた。
「きょうは、私たちのスーパースター Peacemaker によるコンサートを、携帯電話機モトローラ E398 の提供でお送りします!」
すぐ後ろにあった従業員用の出入口から Peacemaker の2人組が現れると、店内からは大きな歓声が上がった。演奏が始まると、日本の通勤電車のように混み合っているフロアで、人々がそれぞれ思い思いに身体を動かしてリズムを取り始めた。そして僕の腕や背中には、左側のデーブルにいる女性の胸や中年男性の腹が約1時間にわたって接触し続けた。
自分の陣地を守りながらそのむさ苦しい腹の重圧から逃れるために、僕は足の位置を動かさずに身体の重心だけを大きく反対方向に傾けるという、日本の通勤電車で獲得したスキルを発動した。振り返って彼らの様子を観察してみると、女性たちは女性同士で密着しており、中年男性のひとりが彼女たちと一緒に踊ろうと(自分の正当な権利を行使しようと)、腕に触れたり肩に手を回したりといった試行錯誤を繰り返しているせいで、このむさ苦しい腹が僕の背中に当たり続けていることが分かった。まったく迷惑なことこの上ない。
Peacemaker がステージを去ると、店内はようやく落ち着きを取り戻した。そのとき、僕たちの左にあるテーブルで中年男性5人組と一緒に酒を飲んでいた女性のうちのひとりが、カジュアルな場面で用いるタイ語としてはあまりにも丁寧すぎる言葉遣いで話しかけてきた。
「誠に恐縮ですが、あなたの電話番号を教えていただけないでしょうか? あそこにいるコがどうしてもほしいと言っているのです」
僕は、中年男性たちが直面している強烈な皮肉を目の前にして、思わず同情せずにはいられなかった。世間はあまりにも非情だ。そのとき、大きな腹を気持ちよさそうに揺らしながら踊っていた中年男性5人組の動きがピタリと止まり、瞬く間に表情が凍り付いていく様子がハッキリと見て取れた(このときはさすがにヤバいと思った)。こうして、僕たちのグループは隣にいた女性数人を吸収した。
タイに特別な感情を抱いている一部の日本人男性たちのあいだでは、タイがまるで「援助交際パラダイス」であるかのように信じられている。ところが実態は、娼婦のなかでも Go Go Bar で働いているような娼婦のなかでも特にショッボイ下級娼婦ばかりを相手にしてタイ人女性の全体像を理解しているにすぎない。タイ人の女性について考えるときに、彼らが逆立ちしても知り合うことができないフツウのタイ人女性たちを基準に考えろなどと端から無理な注文をつけるつもりはないが、せめてこのように美しくて教養もある娼婦の存在を念頭に置いたうえでタイの売買春について考えてみれば、もしかしたらもう少し真実に近いものが見えてくるのではないだろうか。
「私は、大学の教授のすすめで、ある有力者と知り合った。月々3万バーツの手当をもらいながら、まあまあ高級と言えるレベルのコンドミニアムで快適に暮らしている。彼も忙しいようで、会うのはどうせ月に一度くらいだし、結構気ままで悪くないわよ」
つい最近、こういった話を21歳の現役大学生から聞いたばかりなだけに、タイにおける売買春が日本人男性たちのあいだで正確に語られていないのではないかと感じている。
ところで、その電話の持ち主、アー(年齢職業不詳)からもらった電話番号だが、僕はいったいどうしたらよいだろうか。タイ人の上流階級がタイ人の女性をどのように囲っているのか探ってみるというのも非常に興味深い研究課題(実際に近年この手の論文がもてはやされる傾向にある)だが、彼女はマヒドン大のブワひとりでも持て余しているぐらいだし、これ以上 Starbucks Coffee での自習時間を減らすのも気が進まないし……。
そして今晩はもうひとつ新しい発見があった。タイ人の女性は恋人の行動に対して異常なまでに神経質で、数時間おきに電話を入れるなど監視に余念がないといわれているが、その理由は、ひとたび夜の街へ出かければ、このようにあっけないほど簡単に見知らぬ女性たちと親しくなれる機会がゴロゴロしているからだ。
きょうはヂュラーロンゴーン大学に外部講師を招いて行われたタイ舞台演劇論の特別講義に出席してから、夕食後に不要になったミニコンポを僕の部屋まで取りに来たタイ人の友人に売り渡し、トーングロー11街路にあるパブ Booze へ友人と繰り出した。