「自分の親は自分では選べない。それは古今東西絶対普遍の真理なのよ。でも、ひとたび貧家の娘としてこの世に生を受けてしまったからには、標準以上の生活を手に入れるために、わたしはどんな努力だって惜しまないつもり。幸い、わたしはこうして大学まで進学できたからまだ可能性があるけれど、子供のころに一緒に遊んでいた近所のみんなは、中等教育学校にも進学できず、十分な所得もないというのに、頑張って子供を養っているわ」
スクンウィット53街路にある格安居酒屋「いもや」で午後9時半、友人は自分が置かれている境遇について一気にまくし立てたあと、涙ぐみながら黙り込んでしまった。この友人のおかれている境遇が自分とはあまりにもかけ離れすぎているため、いまひとつ現実感がなく、切迫している友人と思いを共有することもできなかった。まるで遠い世界のおとぎ話を聞いているかのような気分だった。
この友人は、プラヂョームグラーオ工科大学北プラナコーン校の4年生。ラオス人移民の3世として、ナコーンパトム県にある農村で、両親とともに貧しい少女時代を過ごした。現在、両親は子供たちからの仕送りだけを頼って生計を立てているため、友人は大学へ通いながら家具の部品を作る内職(1枚3バーツ)もすることで日々の生活費をなんとか工面している。その収入から学費(年間9,000バーツ)のほか、バンコク北部にあるアパートの家賃(月々2,500バーツ)を支払って、両親に毎週500バーツの仕送りまでしている。
友人が少女時代を過ごした農村の子供たちは、いまもなお経済的な理由から中等教育学校に進学できない状況が続いている。遊ぶ金もなく暇な時間を持て余している子供たちは、13歳から15歳ぐらいまでのあいだに避妊具を使わずに初体験を済ませてしまい、17歳になると家族を養うための経済基盤が整わないまま出産してしまうという。地方の農村部における貧困は、バンコクの中間層的な価値観からは容易に想像ができないほど深刻な状況にあるようだ。
ちなみに、この地域に住む女性たちにも、ひとつの目標があるという。
「理想を言ってしまえば、やっぱりそれなりの経済力がある男性と結婚することよ。でも、よほどの美人でもない限りそんな玉の輿には乗れないでしょうし、実際ほとんどの人が自分のチョンチャン(社会階級)相応の相手と結婚しているわ」
語学留学のためにアメリカへ渡ってから、僕はもっぱら中流以上のタイ人とばかり行動をともにしてきた。クラスメイトたちは、5万円は下らないだろう高価な携帯電話やブランド品のハンドバッグを普通に持ち歩いているし、現在交際しているブワも次回の日本旅行の計画を立てている。そのような環境に長く入り浸っていたせいか、ここのところ「タイに貧困問題なんて存在しない」かのような錯覚に陥っていただけに、この2日間は「タイ人社会におけるもうひとつの現実」と向き合うためのよい機会になった。
さらに、きょうはもうひとつ新しい発見があった。これまでは僕はタックスィン・チンナワット政権の政策を「国家の富をばらまき、財政を疲弊させ、教養のない農民を騙して票を得ている」だけと見なしていたけれど、倒壊寸前のほったて小屋に住んでいるような貧農にも近代的な医療を受ける機会を与えた「すべての治療を30バーツで」政策の意義について考え直す機会になった。
きょうは、ナコーンパトム県にあるホテル「ナコーンイン」で夕方まで友人とテレビを見ながら話し続け、日没後にスクンウィット53街路にある格安居酒屋「いもや」へ行って酒を飲んだ。