ヂュラーロンゴーン大学の構内でウンコをするのは、この大学に初めて足を踏み入れた3年前から、常に一大決心を必要とする大事業であり続けている。便座が汚いのには目を瞑るとしても、トイレットペーパーが常備されていないのは本当に困る。
文学部の新校舎ボーロムラーチャグマーリー館にある便所は、それでもまだだいぶマシだった。トイレの個室にハンディーウォッシュレット(手元で水栓の開け閉めができるタイプのホース)が装備されているため、トイレットペーパーがなくても直接手で触れることなく洗浄できた。
ところが、今回はそうでなかった。
きょうの講義は、ボーロムラーチャグマーリー館の隣にある旧校舎、文学部4号館の2階で行われていた。便意を催して、急いで教室から抜け出し、男子便所の個室へ飛び込んだ瞬間、とても憂鬱になった。トイレットペーパーはおろかハンディーウォッシュレットすらない。あったのは、和式便器(厳密には少し違う)とプラスチック製のボウルが浮かんでいる水槽だけだった。
・・・・・・用を足したあと、いったいコレでどうしろと?
それでも急を要していたため、とりあえず目先の目的を果たすことにした。
そして決断の時がやってきた。途方に暮れて個室の扉を眺めていると、小学生の頃に聞いた歌が頭の中で流れ始めた。
「みっちゃん道々ウンコ垂れて、紙がないから手で拭いて、もったいないから食べちゃった」
おもむろに、水槽に浮かんでいたボウルを手に取って水槽の水で満たし、まずは肛門に向けて掛けてみた。それだけでは十分キレイにならなかったため、「食べることだけは絶対にするまい」と自分に言い聞かせながら、今度は水を流しながら素手で擦ってみた。これまでの人生ではじめての非常に強烈な体験だった。洗面台に石けんが用意されていたことが、せめてもの救いだった。
休み時間になって、この話をクラスメイトにしたところ、呆れたような口調で、僕流のタイ式便所の使い方を正された。
「使う手が逆じゃないの! 水槽が左側にあっても、ボウルは必ず右手で持って!右手をそれに使ったら絶対にダメだから!!」
きょうの東南アジア映画演劇論の講義では、マレー語の語彙を50語ほどを習ってから、マレーシアの島嶼部に伝わるダンスのステップについて学習した。タイやカンボジアの舞踊とは違って、ポルトガルの影響を強く受けているため、動きがかなりハードで体育の授業のように汗ダクになった。この教科は学期末に筆記試験もあるから、それなりにしっかりと暗記しておく必要がある。
来週から、この講義には着替えとトイレットペーパーを用意して臨もう。