バブル経済が崩壊した1990年代前半から2000年代前半にかけてのいわゆる「失われた10年」のあいだに、日本では「就職氷河期」と呼ばれる新卒の就職難や「リストラ」と呼ばれる中高年の従業員を対象とした大規模な解雇があったため失業者が急増した。
そんな時代における希望の光として、一部の失業者たちのあいだでは「タイ移住ブーム」が巻き起こった。自動車産業の多国籍企業化が進み、数多くの日系企業がタイに進出していたこともあって、いまでは数万人とも言われる日本人の貧困層と中間層がバンコク中心部の狭い地域に同居している。
それにともなって、バンコクの中心部では日本料理店が相次いで開店した。日本人向け無料情報誌の広告を見てみると、その多さには本当に驚かされる。
タイ人にとって日本料理がまだ目新しい存在だった1999年9月、日本料理ビュッフェ店 Oishi の1号店がトーングロー通りに開店した。以降、タイ人たちのあいだに「日本料理のイメージ」を広く定着させ、Oishi は常にタイにおける日本料理ブームの牽引役であり続けた。
Oishiの日本料理は、日本人にとっては拷問以外の何物でもないが、都市部におけるタイ人の中間層から絶大な支持を集め、いまでは日本料理の代名詞にもなっている。
タイ留学をはじめた頃から、僕はこの店に入ることを頑なに拒み続けてきた。しかし、そろそろ味が改善されたのではないかとの淡い期待を抱き、怖いもの見たさもあって、約3年ぶりに日本料理ビュッフェ店チェーン Oishi の1号店であるトーングロー店へ行って友人と昼食をとった。
料金は、ディナービュッフェ(午後5時から)が499バーツ、ランチビュッフェが399~445バーツ。もっとも安いのは、ラッチャダーピセーク通りにあるパホンヨーティン店のランチで299バーツだった。
僕の淡い期待は見事に打ち砕かれた。激マズ日本料理を大量に食べてから帰宅した。