タイに住んでいると、定説と実態のあいだにある乖離に気づかされることがある。
スィーロム通りにある珈琲屋 Bug and Bee に籠もってトングチャイ・ウィニッヂャグンの論文 Siam Mapped を読んでいたところ、ペーパーの研究課題とは無関係だが、非常に興味深い一節を見つけた。
トングチャイは、社会科学や文化研究の領域における国民国家論の古典といわれているベネディクト・アンダーソンの論文「想像の共同体 – ナショナリズムの起源と流行」をタイ研究の分野に応用することで、タイ人に関する定説と実態のあいだにある乖離についてつぎのように説明している。
戦前から戦後にかけてタイの国政を担ってきたピブーン・ソンクラーム内閣(1938-1944, 1948-1957)は、ラオスやカンボジアなどの隣国が次々と共産圏に取り込まれていくなか、タイ国内における共産主義思想の拡大を抑制するとともに立憲君主制の政体を維持するために、「タイ人らしさ」という概念を定めた(汎タイ民族主義政策)。
これをタイの国民に広く植え付けるにあたっては、国軍などの政府機関が独占して運営してきたラジオなどのマスコミが大きな役割を果たした(「想像の共同体」の形成)。
1970年代の末に始まったラジオ番組「善悪とはなにか」では、仏教信仰を根拠に政治的権威(国王と王権)の正統性を強調し、逆に政治的権威や仏教信仰に背反することを「タイ人らしくない行為」として徹底的に否定した(現在でも午前6時45分と午後6時の1日2回放送されているので、タイ語が分かる日本人であれば「あれ!?」と思うような異様なラジオ放送を聞いたことがあるだろう)。
ところが、「タイ人らしさ」という概念は、とても曖昧で漠然としていたという。伝記「王朝四代記」の著者で元首相のモムラーチャウォング・クックリット・プラーモートも、「タイ人のアイデンティティーとはなにか、自分でもよく分かっていない」と語っている。
したがって、いわゆる「タイ人らしさ」という概念は、タイ政府による政治宣伝をつうじて人々のあいだに定着していったものであり、決してタイ人の行動様式について正確に言い表しているものではない。この概念については、タイ関連の日本語文献でも頻繁に紹介されているが、政治宣伝の内容を鵜呑みにして、そのままタイ人とかタイ人気質とかについてあれこれ論評するのは、あまりにも安直すぎるというものではないだろうか。
定説=政治宣伝の結果≠実態
これまでずっと、僕は「タイ人らしさ」という想像の産物に惑わされ続けてきた。「タイ人らしさ」について知ることは、タイにおける社会的なルールを理解するときの参考にはなっても、実態を知るうえではまったく何の役にも立っていない。
日没後、友人宅で行われた新年会に参加してから、午前5時まで珈琲屋で明日提出期限のペーパーを書き続けた。