ギック その3

「ギックはファッションの主流よ。友達といるときにギックから電話がかかってくるのってイケてるって思わない?」

安易な男女関係を促す言葉として数年前に流行した「ギック」は現在、タイの社会全体の堕落を招く元凶になっているとして、主要な社会問題リストの上位にランキングされるようになった。テレビでも「ギック」という概念について、「タイ人らしくないもの」として否定する内容の番組を連日のように放送している。

タイでは、「自宅でいつもと変わりない生活をしていると、ある日、何かの用事でやってきたイケメンと互いに『一目惚れ』して恋愛へ発展する」ことが恋愛のあるべきかたちと考えられてきた。それだけに、「一目惚れ」は恋愛における最大の美徳と考えられており、タイ人の男女が知り合ってから交際を始めるまでの期間も極端に短い。タイに住んでいる日本人であれば、知り合ったその日のうちに交際するように迫られて、度肝を抜かしたことが一度や二度ではないはずだ。そのため、タイの結婚式では、新郎新婦の出会いが事実と異なるかたちで公表されることもある。タイのトレンディードラマでも、「ある日、突発的な事件が起きて急に親しくなる」というパターンが多く、タイ人女性の受動的な恋愛観を形成する大元になっている。

ところが、これまで受動的な恋愛を志向していたタイの女性たちは、インターネットの普及にともない、自分好みの彼氏を積極的に物色しはじめるようになった。この友人によると、「ギック」という言葉は、「互いに探り合っている段階の相手」から「性的な関係をともなう浮気・不倫相手」までの広範にわたる男女関係を包括しているという。この可愛らしい新語の登場によって、それまで否定されてきた不純異性交遊が正当化され、若者たちのあいだで乱れた男女関係がトレンドになった。

スィーロム通りにある珈琲屋で、そんな話をしながらペーパーを書いていたところ、友人が「ギック探しサイト」を開いて実際に大量にギックを収集して見せてくれた。このサイトを活用すれば、「釣り堀の魚を底引き網漁法で一気に収奪するかのような効率」で大量のギックをゲットすることができる。ただし、一定水準以上の容姿、年齢、社会的地位、経済力、学歴等が必要で、日常会話レベルのタイ語をブラインドタッチ入力できる能力がないと難しい(無茶をしがちなバンコク在住の一部の日本人たちが知ってしまったら何をしでかすか本当に分かったもんじゃないから、この日記では「ギック探しサイト」の利用方法についての詳しい解説は避ける。また、バンコク在住の一部の日本人のあいだでは何人の娼婦をタダ(または有料)でゲットできたか競われているようだが、これを知ったらどんな馬鹿でも自分たちがしている競争の次元の低さに気づくはずだ)。

このサイトを利用することのリスクについて、友人はこのように話している。

「ギックがたくさんいるのって楽しそうと思うかもしれないけどさ、もしギックの全員に気に入られてしまったらどうするつもりなんだ? とかく感情的に行動しがちなタイ人に『割り切った関係』を要求するのは間違っている。一週間もしないうちに複数のギックから交際するように迫られて、あれよあれよという間に何人もの女友達と綱渡り的な交際をせざるを得なくなるよ。それって本当に楽しいのかなあ? 女の子の家族や親族に政府の高官とかがいたら、最悪の場合、自分の生命が危険にさらされることになるわけだし」

たしかに、持ち主不明の歯ブラシで洗面台が占領されたり、持ち主不明の洋服でクローゼットが占領されるのは避けたい。そんなヒッチャカメッチャカな人間関係を上手く管理していける自信もない。

ちなみに、今回の「ギック収集実践」に自らの携帯電話を提供してくれた献身的な友人は、今後数日間にわたって記憶にもないような無数の女子大学生からかかってくる電話に頭を抱えることになるだろう。

午後の講義に出席してから、スィーロム通りの珈琲屋で友人の奇行を見ながらペーパーを書いた。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。