パガン(タイ語でプガームという)は、ミャンマーの首都ヤンゴンから北北西に約600kmの地点にある街で、ビルマ人が最初に興した王朝でもあるパガン朝(西暦11-13世紀)の都として栄えた。このエーヤワディー川の中流域にある平野部には、アホとしかいいようがないほどたくさんのヂェーディーが林立している。ここにあるものは、樹木や道路を除けば、小さなヂェーディー、普通のヂェーディー、大きなヂェーディーしかない。それこそ地平線の彼方までヂェーディーの密林が続いているのではないかと錯覚するほどだ。ミャンマー人のガイドによると、一帯には3,000~5,000ものヂェーディーがあるという。
ミャンマー政府は、この地域を「オールドバカン」と名付けて、考古学保護区に指定している。ところが、ミャンマー考古学の教授によると、ミャンマー政府は遺跡の復元事業のときに、オリジナルの建築様式を調査しないまま、それっぽいものを倒壊した遺跡の尖塔部分に「ポン」と乗せてしまったという。しかも、観光客の誘致と外貨の獲得のために、21世紀に入った現在でもヂェーディーを次から次へとあらたに建立し続けている。これは、世界中の考古学者たちがもっとも忌み嫌う「ロマンを消し去る考古学的破壊行為」であり、国際的な評価が得られるのはまず期待できない。当然、ユネスコによる世界遺産の登録にも失敗している。しかし、そういった事情から、パガンの遺跡群には、カンボジア遺跡のような寂れたイメージはない。
きょうは午前4時半に起床した。ヤンゴン国際空港は、第二次大戦中の地下鉄新橋駅を思い起こさせるように暗く、搭乗ゲートで手続きが始まるのを待っている人々は老若男女を問わず皆がミャンマーの国民服である巻きスカートをはいていた。そこからマンダレー航空461便に乗って、ミャンマーの中部にある古都パガンへ向かった。
その後、東南アジア研究科の一行はシュエジゴンパゴダ(1084年建立)をはじめ、ヂヤンシター寺院、ティローミンロー寺院などを見て回り、ミンガラーヂェーディーの頂上から太陽が無数のヂェーディーの彼方に広がる地平線の奥へ沈むのを眺めた。
日没後、ミャンマーの伝統芸能であるパペットを観劇しながら、パーテーションで仕切られたプレートに乗っている温野菜、魚料理、肉料理などのミャンマー宮廷料理を食べた。僕はすっかりココナッツライスの虜になり、パペット劇を無視してむさぼり食べていたところ、同じテーブルに座っていたクラスメイトたちからツッコミを受けた。
「ココナッツライスを気に入ってもらえたようでとても嬉しいわ。実は、タイ料理にも似たようなメニューがあるんだけど、あなたは食べたことあるかしら? まあ、いいわ。久々のまともな料理だからガッツクのは分かるけど、ココナッツライスには気をつけたほうがいいわよ。とにかく太るのよ。カロリーがものすごく高いの。・・・・・・だから、わたしたちはこの牛肉をお代わりすることにするわ」
そんなことを話しながら、この数日間で蓄積していた料理に対する鬱憤を晴らすかのように、ひたすら食べ続けた。それにしても、パペット劇をまじめに見ていた人なんていたのだろうか。