2005年3月

古都バガン

パガンは、ミャンマーの首都ヤンゴンから北北西に約600kmの地点にある街で、ビルマ人が最初に興した王朝でもあるパガン朝の都として栄えた。このエーヤワディー川の中流域にある平野部には、アホとしかいいようがないほどたくさんのヂェーディーが林立している。ミャンマー人のガイドによると、一帯には3,000~5,000ものヂェーディーがあるという。

不味い飯にふて腐れる

ミャンマー料理はとにかく脂っこい。もしかしたら、そうではないミャンマー料理もあるのかもしれないが、僕が知る限り、ミャンマー料理はすべて脂っこい。あんな料理ばかり食べていて、どうしてミャンマー人の胃はもたれないのか不思議だ。

ハッピーマネー

ミャンマーの物売りは素朴だ。マフィアに管理されている柄の悪いタイの物売りたちとは少し違う。物売りの少女たちは「ハッピーマネー」という言葉を繰り返し口にしていた。クラスメイトによると、ハッピーマネーとは「きょう一日の商売を占う最初の売り上げ」のことらしい。

ホテルの備品補償問題

昨晩、クラブ「パイオニア」へ行ってミャンマービールの中ジョッキを少なくとも10杯は飲んだ。当然それなりに酔っぱらっていたが、泥酔というほどではなかった。ホテルに戻ってからシャワーを浴びていたところ水道の蛇口が閉まらなかったため、少し体重をかけたら蛇口から変な音がして水が止まらなくなってしまった。

巻きスカート「ロンヂー」とヤンゴンのクラブ

道行く人々は、老若男女を問わず、皆がロンヂーと呼ばれるスカートを腰に巻いていた。見た目には少し違和感があるこの巻きスカートだが、日頃から熱帯の炎天下でジーンズ生活している僕にとっては、風通しがよくて快適な画期的なニューファッションだった(この旅の間、ずっとロンヂーを履いて、木陰に隠れてはパタパタさせて涼んでいた)。

ミャンマー連邦 寺院探訪12日間の旅

スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite へ戻って仮眠を1時間半とってから、バンコク・ドーンムアング国際空港までクルマで友人に送り届けてもらい、そこで東南アジア研究科のクラスメイトたちと合流して、ミャンマー航空332便でミャンマー・ヤンゴン空港へ向かった。

タイのアイドル

スィーロム通りにある珈琲屋には、午前2時頃になるとアイドルのボーンルーンちゃんがやってくる。彼女が出演している映画には、わくわくどきどき、タイ焼きそばの花嫁、グラビー幽霊の氾濫などがある。さわやかで元気いっぱいなイメージで売り出し中のアイドルだが、普段から僕たちが目撃しているのは、そのイメージとは正反対の、ナゾの中年男性との密会だ。

ミャンマー旅行の心得

東南アジア研究科のミャンマー調査旅行が2日後に迫っているなか、なんの連絡もなく、おかしいと思っていたところ、きのうの夕方になってようやく説明会の案内が来た。ここのところ夜明けまで珈琲屋に籠ってタームペーパーを書くのが日課となっていたため、午前9時に起きるのは本当に辛かった。

日本語文献のタイ語

タイ語学習をはじめたばかりの2002年、タイ関連の専門書に書かれているタイ語のカタカナ表記を見るたびに戸惑っていた。日本語で書かれているタイ語のカタカナ表記が、実際の生活のなかで耳にしているタイ語の発音からあまりにもかけ離れていたため、自分が知っているものと専門書に書かれているものが同一のものを指しているのか判断することが非常に困難だった。

バンコクの朝

午前6時10分、あす発表する予定のプレゼンテーション資料を作り終えてから、スィーロム通り沿いにある珈琲屋 Coffee Society の外へ出てみると、すでに空はうっすらと明るくなりはじめていた。ついさっきまでスィーロム通りの歩道を埋め尽くしていた土産物屋台の姿はすでになく、あたりに散乱していたビニール袋やタバコの吸殻などもきれいに片付けられていた。