「タイ語曲を歌えなくても楽しめるのかなあ?」
夜、ヂュラーロンゴーン大学商学部の修士課程で勉強しているタイ人や、文学部集中タイ語講座(インテンシブタイ)で勉強している日本人交換留学生3人を含む総勢13人で、プララームガーオ8街路 (Royal City Avenue) にあるパブ Slim へ繰り出した。しかし、タイのポップスを知らないと退屈するのではないかと気遣って、タイ人の友人が、タイ語を勉強し始めたばかりの日本人の留学生たちを Slim の隣にあるヒップホップ系のパブ Flix へ連れて行こうとしていた。
階級社会におけるクラブシーンの特徴
カルチュラルスタディーズ隆盛の道を切り開いた W. ソジャ(ポストモダンの空間論的転向)は、歴史に回収されない「空間」という視座を導入して、社会理論の革命を成し遂げた。現実空間と創造空間という二項対立を超越した多元的な「第三空間」の理論を構築し、グローバリゼーションを批判するラディカルなポストモダニズムを提唱している。その理論を応用しているカルチュラルスタディーズでは、クラブカルチャーを「非日常」とみなしている。
日本のヒップホップ系クラブシーンの特色について、上野俊哉教授(文化メディア研究)は著書「カルチュラル・スタディーズ入門」のなかで、「ニッポン株式会社の抑圧に対する精神的マイノリティー層による抵抗行為」と説明している。それによると、ヒップホッパーたちは、ヒップホップ系のダンスや即興歌詞のなかに、イデオロギーを内包するメッセージを織り交ぜてアピールすることによって、集団における優位性(格好良さ)を競い合い、ヒップホッパーたちの集団における団結(ユニティー)を強めていくことに最大の意義を見出しているという。
深夜のクラブシーンが演出する非日常性は、人々を日常社会のしがらみから解き放つ。そして、DJが作り上げる音、VJが作り上げる映像(もしあれば)、共通の音楽的なイデオロギー、共通のダンス的イデオロギー、共通のファッション的イデオロギーによって、精神的なマイノリティーによるユニティーが形成されていく。
ところが、タイのクラブシーンに社会抵抗的なイデオロギーはない。ボードリヤール(消費社会の神話と構造)は、先進性、メッセージ性、ユーモア性などの多様な価値観を「社会的意味付け」として定義しているが、極端な階級社会(階層ごとに分断されている閉鎖社会)であるタイでは、社会的地位、経済力、教育的なバックグラウンドの3要素が「社会的意味付け」を決定づけている。
タイにおける至高の価値とは、エリートのライフスタイルを崇拝し、追従することである(6月10日付日記①②参照)。価値観の多様性が制限されている階級社会(=非大衆化社会)では、精神的マイノリティーによる社会抵抗的なイデオロギーは受け入れられていない。したがって、タイのクラブシーンにおける価値基準は、『非日常』というサブカルチャー的な社会的意味付けではなく、日常における社会的意味付けそのものが支配していると言える。
旧 RCA 時代のディスコ
精神的なマイノリティーによる団結が否定され、社会抵抗的なイデオロギーが記号論における「社会的意味付け」としてまったく機能していないタイにおいて、ヒップホッパーたちは、エリートを崇拝して、それに追従しようとする大衆(⇔多様性を主張する大衆)に迎合することを余儀なくされた。その結果、タイのクラブシーンでは、社会的なメッセージ性が希薄になり、無意味かつ快楽主義的な笑いばかりが追求されるようになった。
たとえば・・・・・・色とりどりのライトが宙を舞い、ダンスミュージックの重低音が鳴り響くなか、 MJ が高架電車の車掌の声色を真似て「つぎの停車駅は、サヤームホテルです」とアナウンスしたとする。サヤームホテルとは、サヤーム駅のことではなく、タイにおける社会的退廃の象徴で、未成年者売春の温床として知られている、ペッブリータットマイ通りにある宿泊施設だ。そのあとにどのような言葉が続くのかとワクワクしながら聞いていると、「お降りのお客様は、コンドームをご用意ください」という驚くほどシンプルなオチが待っていた(元ネタは「つぎの停車駅はサヤームです。スィーロム線方面へおいでのお客様はこの駅でお乗り換えいただけます」 สถานีต่อไปสยาม ท่านผู้โดยสารสามารถเปลี่ยนเส้นทางไปสายสีลมได้ที่สถานีนี้ครับ)。
この文脈には社会的なメッセージ性のかけらもない。タイにおける当時のクラブシーンは、 MJ が連発するシモネタによって、(エクスタシーなどの違法薬物に身を委ねながら)グデングデンになるまで酒を飲み踊り続けている人々に、性的かつ法的に不道徳な行いをさせる機会を提供しているにすぎない(このような MJ 文化は、現在でもラッチャダーピセーク6街路から8街路にかけてあるイーサーン館 Hollywood や Dance Fever に残されている)。
ハイソ系パブの誕生
旧 RCA 時代のディスコは、日本のクラブシーンに詳しい友人によると、あまりにもヘボすぎたという。ダンスや歌詞にイデオロギーがなく、精神的なマイノリティーによる団結もないクラブシーンは、クラブシーンとしてはまともではない。
この7年間でタイの都市部における人々の生活水準は飛躍的に向上し(平均所得が23%増加した)、中間層のあいだにも自家用車が広く普及するようになった。それにともない、擬似的な「ハイソ」が大衆化し、階級社会との親和性が極めて高い「ハイソ」が流行となった。
バンコクにおける若者たちの貞操観念は、これまで保守的といわれてきたが、人々が経済的に豊かになるにつれて次第に西洋化していった。若者たちのあいだに「ギック」(友達以上恋人未満)と呼ばれる新しいタイプの男女関係が登場すると、社会的不道徳(派手なセックスライフ)が日常生活のなかで横行するようになった。そうした流れのなかで、旧 RCA 的なクラブシーンの存在意義は大きく失われた。
2001年の下院選でタイ愛国党(タイラックタイ)が大勝利を収めると、党首のタックスィン・チンナワット警察中佐が首相に就任し、政府は高い内閣支持率を背景に強権的な「麻薬撲滅戦争」政策を実施した。それまで社会的退廃の象徴として国民からの怨嗟と非難を浴びていた旧 RCA は格好の標的となり、警察による執拗な立入検査(営業を中止させ客全員に尿検査を課す)を受けて、麻薬を常用している固定客たちの大半を失った。
ちょうどその頃、ラッチャダーピセーク4街路の造成地に斬新なパブ街が誕生した。店内にソファーやプラズマモニターなどを多数配置することで「ハイソ」っぽさを演出するとともに、バンドによるタイポップスのミニライブを取り入れることで(タイ人であれば)誰でも合唱に参加できる環境が整備された。グループ客に「ハイソ」な雰囲気のなかで団結(ユニティー)を強化する機会を提供したこの種の施設は、若者たちからの絶大な支持を集め、旧 RCA 型クラブの凋落を決定付けることになった。
かくして、カルチュラルスタディーズ的にはまったく不完全な、麻薬と酒乱の空間であった旧 RCA は永遠に過去のものとなり、代わって、階級社会的なハイソ志向をとことん追求したパブが人気を集めるようになった。
バンコクにおけるパブの楽しみ方
一部の日本人たちのあいだでは誤解があるようだが、パブにおける世界観は、旧来の RCA とはまったく異なる思想にもとづいて形成されている。そのため、最新の欧米文化を現在のタイ社会に適合するかたちで選択的に導入されているタイのパブには、旧 RCA の時代にはなかったさまざまなルールがある。従来と同じような感覚で振る舞ってしまうと赤っ恥をかくことになるだろう。
バンコクのパブにおける心得はつぎのとおり。
第一に、パブは、人間関係(恋人・友人・ギック等)をテーマにしている曲を(グループ内の)友人たちと一緒に歌って(グループ内の)ユニティーを強化することによって、人々に幸せを提供している。したがって、ダブルデートのような男女混成のグループであれば、数人のグループでも十分に楽しむことができるが、数人の男同士のグループでは、ゲイが愛を確かめ合っているように映るだけで、ユニティーの結束を強めることも、パブの醍醐味を満喫することもできない。
タイのクラブシーンでは、イケてる女性客は常にブロックされており、一般に公開されているのは階級社会的に娼婦などのヘボい女性客ばかりである。したがって、新しい出会いや刹那的な性行為だけを期待してパブへ行くと、帰宅する頃にはひどく落胆させられることになるだろう。
第二に、パブは、階級社会との親和性が高い「ハイソ」をイデオロギーとしている。ところが、駐在員を除くバンコク在住の日本人のうち、現状では半数以上がタイの中間層(2004年10月6日付日記参照)たる条件を満たしておらず、都市部におけるタイ人の中間層に対して階級社会的・消費社会的に対抗するのは困難な状況にあるため、自分が日本人であるということだけを根拠にモテモテになれるなどといった謎の幻想は今すぐ捨てるべきである。もし、どうしてもタイのクラブシーンで遊びまくりたいのなら、せめてクルマを買うための予算ぐらいはあらかじめ用意しておきたい(タイの中古車市場は比較的割高で15年落ちの日本車でも45万円以上する)。
タイが経済的に豊かになり、都市部の中間層が増加して生活水準も向上しているなか、経済力が乏しい一部の日本人たちにとって、バンコクはとても住みにくい街となった。もし、経済発展以前のタイでしか生活できないのであれば、一番のオススメはウィアングヂャンへの移住だが、それが不可能であれば東北部のコーンゲンや北部のチアングマイでも構わない。
第三に、パブは、最初から踊ることを前提にフロアが設計されていない。そのため、店内のどこを探してもダンスフロアにあたる場所は見つからない。また、階級社会との親和性が高い「ハイソ」というイデオロギーを全面に押し出しているため、酒に酔った勢いでドラマーやギターの動きを真似るなど、旧 RCA では許されていたような庶民的なヘボヘボダンスを演じてしまうと、周囲から流行を知らない地方出身者として蔑まれることになる(6月16日付日記参照)。さらに、腕や腰を動かして踊るのは女性の振る舞いとされているため、男性が身体全体で音楽を体現するかのような踊りをしてしまうと、周囲から「オカマ」との疑念を抱かれることになる。ここでは音楽に合わせて身体を軽く上下させる程度にとどめておくようにオススメする(特に盛り上がったときでも、人差し指を立てて腕を高く上げるのがどうやら限界なようだ)。
もし、どうしても旧 RCA 的な振る舞いしかできないのであれば、一番のオススメはラオスの首都ウィアングヂャンにあるディスコへ行くことだが、それが不可能であればトーングロー通りにある娼婦向けディスコの Bossy、またはサムットプラーガーン県サムローングにある工場労働者向けディスコの Street of Hollywood へ行ってもらっても構わない。
カルチュラルスタディーズは、二項対立を超越した多元的な第三空間の見地から、さまざまな社会理論を提唱しているが、大衆社会と階級社会ではその前提がまったく異なるため、カルチュラルスタディーズの理論がタイでどれだけ通用するのかについては懐疑的にならざるをえない。きょうの日記では、タイのような階級社会では、大衆社会的な多様性が否定されているため、オーバーカルチャーが若者たちのサブカルチャーを牽引している、といった仮説に基づいて、旧来の理論を優先的に採用するかたちで、バンコクのクラブシーンを例にタイ社会について考えてみた。
夜、 Royal City Avenue にあるパブ Slim へ友人達13人と繰り出して、閉店の20分前に抜け出した。プレーオソンバット3街路にある粥屋「リウ・カーオトムトールング」に寄って夜食をとった。