閉店後の深夜1時半、ラオスの首都ウィアングヂャンにあるホテル Novotel に併設されているディスコ D Tech の前で、小雨が降っているなか、見ず知らずのナゾの女性に握りしめられていた右手を無理矢理ふりほどいて、逃げるようにしてホテルの客室へ戻った。
ウィアングヂャン市内にあるホテル Novotel に併設されているディスコは、クルマで来ている客が10人にも満たなかった。ここならバンコクに住んでいる一部の経済的に貧しい日本人たちでも、現地の人たちと十分に対抗することができるだろう。かつて旧 RCA にあったような短絡的な MJ も、ダサくて庶民的なヘボヘボダンスも、いまだ人々のあいだにしっかりと息づいており、どんなに勘違いしているバンコク在住のオトコたちでもそれなりにやっていけるはずだ。
6月11日の日記で紹介した旧 RCA 系のクラブシーンは、ウィアングヂャン系のクラブとして、いまもなお現存していることを確認した。
今回のラオス旅行のそもそもの目的は、消えた旧 RCA 系ヘボヘボディスコの行方を探し求めることなんかではなく、ラオスの山中にあるとウワサされているカジノで思いっきり楽しむことだった。ホテル Novotel のコンシェルジュから聞いた情報をもとに、ラオス国道13号南線(ウィアングヂャン – パークセー線)の田舎道を北東方向へ走り続けた。しかし、それらしい施設を見つけることができず、ウィアングヂャンの北東約91kmのところにあるターポックという集落でクルマを駐めて、道路脇で談笑していた中年女性たちのグループにカジノの場所について尋ねた。が、返ってきた答えは、当然、バリバリのラオス語だった。眉間にしわを寄せ、耳をダンボのように広げ、最低限の意思の疎通がとれていることを確認しながら、少しずつ慎重に話を進めていったところ、一度ウィアングヂャン方面へ引き返してから、ホーンガーンナームターン(砂糖工場, ラオス語ではR音がH音に変わるらしい)を右折するれば良いらしいことが分かった。
しかし、ついにホーンガーンナームターンを見つけることなく、ウィアングヂャンの市街地まで到着してしまった。仕方なく、フランス料理店に入って夕食をとってから、旧 RCA 系のディスコを探し求めて市内のディスコへ繰り出した。