「わたしの彼氏、ソープ好きでホントに困ったもんだわ」
バンコクにはありとあらゆる性風俗が蔓延っている。都市部と農村部のあいだにある所得格差が著しいため、特に都市部のタイ人にとって、性風俗は非常に廉価で身近な存在となっている。ところが、バンコクの市民たちあいだには、性風俗に関する当事者意識がまったくない。自分とは完全に無関係な存在と考えているようだ。それどころか、もし自分のソープ通いがバレたとしても、彼女が激怒して浮気の責任を追及されることはなく、むしろ「惨めで哀れなオトコ」として見下された結果、破局を迎えることのほうが多いという。
われわれ日本人は、大正自由教育と左翼的なイデオロギーが奇妙に融合した理念にもとづいた、さまざまな道徳教育を受けて育ってきている。そのため、職業や世系に対する差別表現には強い抵抗感があるかもしれないが、バンコクの女性たちは、娼婦を自分の身分を脅かすような存在とは考えていない。同様に、バンコクの男性たちにとっても、娼婦は性の対象ではあっても、恋愛の対象という意識はない。なかには、「娼婦はヒトにあらず」との声もあるが、さすがに差別的な発言が半ば公然と認められている階級社会でも、これを声を大にして言うのはちょっと難しい。
外国人向けの観光施設である Go Go Bar は、留学初期の僕にとって、日本にはないセクシーな踊りを眺めながら、日本のコンビニ価格でビールが楽しめ、追加料金なしでゴーゴー嬢とおもしろおかしい話ができる斬新な娯楽だった。これぞまさに「アメージング・タイランド!」と感動したこともあった。ところが、タイ人の男性たちにとって、 Go Go Bar の娼婦たちは、恋愛対象でもなければ、会話の相手としても役に立たないと考えられている。はるばる「いらない」と言われている女性を目当てにやって来る外国人観光客の存在ほど、タイ人にとってアメージングなものはないだろう。
もちろん、バンコクに来て何をするのも、外国人観光客個人の自由だ。すさまじく高いエイズ感染リスクを負うことになるが、気晴らしに Go Go Bar の娼婦にカネを払って性行為を請うのも、それはそれで一興かもしれない(僕はイヤだけど)。しかし、自分と Go Go Bar の娼婦との関係が「観光旅行中の異文化コミュニケーション」の範疇を超えて発展するような場合には、世間一般のものの考え方についても知っておいて良いだろう。誰もが「いらない」と言っているものをゲットしたってしょうがない。
夕方、自室の無線 LAN を友人に構築してもらってから、スラウォング通りにあるマッサージ屋へ出かけた。その後、ひとりで Go Go Bar が密集している Nana Entertainment Plaza 1階の Rainbow 2 に入ったところ、娼婦たちの容姿、服装、立ち居振る舞いの田舎臭さに驚いた。これでは、(もし仮に立入が認められていたとしても)バンコクの男性が Go Go Bar という娯楽に興味を持つとは考えられない。
おとといまでのラオスドライブの影響で、道路の案内標識を注意深く観察するのがクセになっている。350mlのハイネケンビールを2本飲んでから店を出ると、無意識のうちに ບ.(村)から始まる道路標識を探していた。
ここのところ、バンコクに住んでいる日本人たちと自分との「バンコク観」が、日を追うごとに乖離していくのをひしひしと感じていたため、その原因を突き止めるべく、およそ1年ぶりに Nana ntertainment Plaza へ足を運んだ。
日頃から、平均的なバンコク人と行動をともにしている自分には、 Nana Entertainment Plaza で働いているタイ人の女性たちが、あまりにも異様な存在のように映った。