旅行先であるチアングマイに滞在しているにも関わらず、急にどこか遠くへ行きたいという衝動に駆られ、花卉市場前の発着所で別のソングテオに乗り換えて、市内中心部にあるボーコーソー(長距離バスターミナル)へ移動し、午後1時発の2等冷房バス(374バーツ)でチアングマイから696km南にあるバンコクへ向かった。
2005年10月
北部の山荘でペーパーを
ルングアルン温泉は、ペーパー作業にはもってこいの環境だった。周囲には何もなく、とても静かで、バンガローも広くて、室内の照明も明るい。このキレイなスズムシの音色を日記として残せないのが残念なぐらいだ。――でも、泉温が38度ぐらいしかないため、日本人には物足りないかもしれない(すぐ近くにあるサンガンペーング温泉ならアツアツの温泉が楽しめる)。午前零時までひたすらペーパーを書き続けた。
ペーパーを書きにチアングマイへ
あさ、電話口でチアングマイへ出かけると伝えると、友人がこう話していた。バンコクからチアングマイへ行く方法は、航空機、列車、長距離バスの3通りから選択できるが、一昨年は列車を、昨年は航空機を利用している。
無題
きょうは、特に何もない平凡な一日だった。友人によると、「友人の訴追通告書」シリーズ(今年8月)に登場した A がきょう、バンコク民事裁判所に B を訴えたという。これまで B がとってきた A に対する温情措置はすべてフイになった。今後、 B は弁護士を立てて、名誉毀損で応訴することになる。
バンコクのホストクラブに潜入してみた
午後10時半ごろ、ソングプラーング街路のミーチャイマンション1階にあるホストクラブへ、日本人の友人ふたりと出かけた。薄暗い店内では時代遅れの古臭いディスコミュージックが流れていた。水色のタキシードを着ている男に耳打ちをされて振り向いてみると、赤いソファーに座っている20人前後のホストたちが強烈なスポットライトを浴びていた。
無題
昼まえに起きて、シャワーを浴びてから、ペーパーを提出するためにヂュラーロンゴーン大学の文学部4号館にある東南アジア学研究室へ出かけた。その後、豪雨のなかをスィーロム通り沿いにある珈琲屋まで移動して時間をつぶし、スクンウィット39街路にある洋食屋 Brown Eyes でクラスメイトたちと学期末の打ち上げをした。
無題
きのう病院からもらってきたクスリを飲んでいるが、体温は39度のままいっこうに下がる兆しがなく、滝のような汗が止まる気配もない。おかげで今年に入ってからもっとも少ない体重を記録した。
バムルングラート病院の日本語を流暢に話す内科医
今週は摩訶不思議なことが続いている。どこへ行っても、日本語を流暢に操る専門職のタイ人に気味が悪いほど遭遇する。母国語で話を進められると喜ぶべきなのか、それとも外国語を学ぶ必要性を否定されたと憤慨すべきなのか。肩透かしを食らっているようでまっ今週は摩訶不思議なことが相次いでいる。どこへ行っても、日本語を流暢に操る専門職のタイ人と、気味が悪いほど頻繁に遭遇している。母国語で話せることを喜ぶべきなのか、それとも外国語を学ぶ必要性を否定されたと憤慨するべきなのか。まるで肩透かしを食らい続けているかのようで、なんとも釈然としない。
日本語を流暢に話す自動車整備工
昼前、ヂュラーロンゴーン9街路にある自動車整備工場へ行ったところ、自動車整備工がクルマの状態について日本語で説明してくれた。発音は JEES 日本語能力試験1級に合格している日本語学科の学部生たちよりはるかにキレイだし、文法的に不自然なところもまったくなかった。しかも、普通の日本人には分からないような自動車の専門用語を立て続けに繰り出してきたものだから面食らった。
無題
午後、スィーロム通りにある珈琲屋 Bug and Bee へ行ってペーパーを書き、その帰りに日本料理屋に寄って酒を飲んだ。
無題
きょうは、スィーロム通りにある珈琲屋 Bug and Bee へ行って友人たちとペーパーを書いた。
深夜に客を選ぶタクシー
タイの娯楽施設は、サービス施設法(1966年)と革命評議会布告294号(1972年)によって、午前2時の閉店が義務付けられている。プララームガーオ通りの歩道はプララームガーオ8街路 (Royal City Avenue) の界隈にあるパブの閉店とともに若者たちで溢れかえり、片側3車線のうち2車線を占領して客待ちをしているタクシーへ次々と乗り込んでいく。
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