視力矯正手術 レーシック その3 手術

「まるでウルトラマンね」

午後8時45分、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の自室で、ようやく睡眠薬の効果が切れて目を覚まし、寝室のベッドから起きてリビングへ行って、そこでおよそ9時間ぶりに味わうタバコの味を満喫していたところ、部屋の呼び鈴が鳴った。 T シャツにトランクス姿のまま玄関の扉を開けてみると、そこにはカーオグラパオムーサップ(豚肉のバジル炒めご飯)を手土産に見舞いに来てくれた友人とその同僚たち4人が立っていた(こんなにたくさん来ているのなら、せめてジーンズぐらいはいてから出ればよかった)。そして開口一番、友人が僕の目に張り付いている防護用のゴーグルを指差して言った。

昼すぎに、目の角膜をスライスして、網膜の内部をエキシマレーザーと呼ばれるレーザー光線で削り取ることで、眼球の構造を物理的に変えたばかりだった。手術による目の痛みは昼寝前よりだいぶマシになっていたが、それでもまだ十分な痛みが残っており、涙もあふれ出し続けていた。しかも、ゴーグルの枠がテープで顔面にしっかりと固定されていたため、涙が気化して、密閉されているゴーグルの内側が曇っていた。寝起きの洗顔も禁じられており、審美的にはまさに満身創痍。いま思えばかなり恥ずかしいシチュエーションだったが、そのときは眼球に感じていた強烈な違和感と不快感に耐えるのが精一杯で、自分の見た目を気にしていられるような余裕はなかった。

話はさかのぼって、きょうの午後12時20分、アソークモントリー通り(スクンウィット21街路)にあるタイパーニット銀行(タイ商業銀行)へ行って、現金200,000円を両替して65,300バーツを用意し、友人のクルマでラッタニン眼科病院まで送り届けてもらった。午後12時35分、ラッタニン眼科病院から電話があって、現在地を尋ねられた。午後12時45分、渋滞のため予約時間に対して15分遅れて、ラッタニン眼科病院に到着した。

全部で3ページあるタイ語の手術同意書を15分かけて念入りに読み、すべてのページに漢字とタイ語のサインをした。同意書の内容を簡単に要約すると、「この手術は、眼球の角膜を一時的に取り除き、エキシマレーザーを照射することで、その内側にある網膜の形状を整えて、視力の回復を試みるものです。期待通りの効果が得られる確率はおおむね95パーセント、場合によっては再手術(1年以内なら無料)が必要となります。レーシックは、おおむね42歳以降にはじまる老眼の進行には影響がないとされていますが、個人によっては老眼の開始が早まるとする説もあります。きわめて稀なケースですが、手術によって視力が失われることがあります」というものだった。パスポート等、身分を証明する書類の提示は求められなかった。

午後1時20分(手術開始10分前)、女性看護師の案内で手術室の隣にある待機室へ移動して、頭にシャワーキャップのような紙製の帽子をかぶり、緑色の手術服を着るように指示を受けた。手と顔を洗ってから革張りのリクライニングチェアに腰を下ろすと、数種類の目薬を何度か点眼された。なかには麻酔薬も含まれていたという。

手術開始時刻が迫り、相次ぐ点眼麻酔で冷静さを失っていたところに、執刀医が手術室から出てきた。精神的に余裕がなかったため挨拶することができなかった。執刀医は手術の手順を数分間かけて説明し、すぐに手術室へ戻っていった。その数分後に手術室の扉が開いた。

手術室には、手術台の奥に陣取っている執刀眼科医やマキシマレーザーを操作して医師に情報を伝達する女性検査技師のほか、手術器具の横に3人の女性看護師がいて、それぞれ緑色の手術着を着て立っていた。彼らは一様に微笑んでいたが、それよりもむしろ相手が自分と同じ色の手術着を着ていることに仲間意識のようなものを感じて安堵した。

その頃、大量の点眼麻酔によって、視界はかすみ、すでに正常な判断能力は失われていた。やむなく自分自身で判断することを完全に諦めて、女性看護師に言われるがまま手術台の上に横たわった。

「麻酔は完全に効いていますか?」

これから自分の角膜がスライスされるということに、すっかり腰が引けており、なんとか気分を落ち着かせようと女性看護師に尋ねてみた。せめて無痛の保証ぐらいないと、こんな恐ろしい手術に最後まで耐えられそうもない。

「大丈夫ですよ。不安なら、たっぷりと麻酔薬を点眼しておきましょう」

女性の看護師はそう言うと、点眼麻酔薬をコップに水を注ぐかの要領で目の中へドボドボと流し込んでから、両目を真水で洗い流した。

「手術は片目で10分程度、1回あたりのレーザー照射時間はだいたい30~40秒程度です。レーザーを照射しているときは、ぼんやりと見える赤い光を凝視していてくださいね。でも、あまり神経質にならなくても大丈夫ですよ。装置には眼球追跡装置が付いていますから、ちょっとやそっとのことでは失敗しません。装置が眼球の動きを追跡できないときには、レーザーが自動停止するようになっています」

医師は穏やかな口調で手術の流れについて簡単に再確認した。確認というよりは、むしろ緊張を和らげるための説明だったのかもしれない。

「瞬きをしてはいけないんですか?」

取り返しのつかないような事態に陥ることだけは避けたいと思い、念のため医師に尋ねた。

「あはは。瞬きをしたくてもできないので安心してください。手術中はまぶたを器具で固定してしまいますから」

眼科医は僕が次々と繰り出すくだらない質問のひとつひとつに辛抱強く答えてくれた。こうなったら、もうすべてを委ねてしまうしかない。いまさら僕がどう足掻いたところで、結果はたぶん変わらないだろう。

手術台が回転した。目の前にエキシマレーザーの照射装置が発する赤い光が現れた。事前の説明によると、手術中はこれを凝視してさえいれば良いという。この光だけが頼りだ。あとはもう、なるようになれ。

そんなことを考えていると、右目に白いハケのようなものが映った。点眼麻酔の影響で、眼球の触覚だけでは何が起こっているのか判断することができない。眼球に何かを塗っているのかもしれない。でも、ひとつだけ確かなのは、これで一連の手順が開始されたということだ。

ここまで来たら、もう後戻りはできない。学部生の頃、毎週のようにお台場にあるパレットタウンへ友人たちと出かけていた。意気揚々と1,400円のカップル券を買って、強制落下マシーン「ハイパードロップ」の列に並び、自分の順番になると、荷物を指定された場所に置いて、装置の椅子に腰を下ろし、靴を脱いで、固定器具を装着する。そして、仲間たちと「マジでどうする?」と話し合っているうちに、椅子が地上41メートルの地点までゆっくりと上昇していく。ここまで来たら、あとは時速70.5キロの速度で降下し、降下開始の2秒後には地上10メートルの地点まで落下するのを待つしかない。あのときはカウントダウンが「2」になったときにアホなことを考えていれば、いつの間にか終わっていたから、今回もそうしてみよう。いずれにせよ、爆弾を満載している航空機を操縦して敵艦へのカミカゼ特攻することを強要されることに比べればまだマシなほうだ。

白いハケ(?)の作業が終わると、リング状の器具が眼球に装着された。眼球の引きつり具合から、器具がしっかりと固定されているのが分かる。事前に収集した情報によると、これで角膜にマーキングをするという。

「この作業が終わると、目の前が真っ暗になって何も見えなくなりますが、それが正常ですので、けっして驚かないでください。視力は数十秒で回復します」

そして、目の前が真っ暗になった。角膜を切り開いたに違いない。これは、マイクロケラームというカンナ状の器具で角膜の表面をスライスして、「フラップ」と呼ばれる角膜の蓋を作る作業らしい。ところが、相次ぐ異物の接触ですっかり「非常識」に慣れきっていたため、マイクロケラトームの接近に気づかなかった。自分で認識できたのは、「急に何かが接近してきて、突然視界が真っ暗になった」ということだけだった。

「赤い光を見ていてください。これからレーザーは4回に分けて照射されます。それでは始めますね」

エキシマレーザー照射装置の操作を担当している女性の医療検査技師がそう言った直後、目の前に赤い網目状の光が現れた。枕元から「良好。第2射、照射します」という声が聞こえた。自分には分からないが、それぞれの照射にはおそらく何らかの意味があるのだろう。レーザーの照射時間はだいたい30秒ぐらいだった。

レーザーの照射が終わると、執刀眼科医が手早く何かをした。これは、開いていた角膜(フラップ)を元の位置に戻す作業だろう。かなりボンヤリとはしていたが、とりあえず視力は回復した。ふたたび目の前に白いハケのようなものが現れ、ハードコンタクトレンズのような透明な小さなお椀状のものを黒目の周りをグリグリと押し当てた。

ようやく右目のレーシック手術が完了した。痛みはまったくなかったが、知覚として認識できる痛みがあった。そして、左目のレーシックが始まった。

「はい。手術は終了しました」 という声が聞こえて、手術室の扉が開いた。

「すべての工程は正常に終了しましたか?」

何も考えずに手術室の扉に向かって歩いてはいたが、それでも急に不安になって、パソコンの警告メッセージのような機械的なタイ語で眼科医に尋ねた。結果はともかく、手術中におかしなことがなかったかどうかぐらいは知っておきたい。

どれぐらい手術室にいたのか分からない。何も考えないようにポカーンと口を開けたまま赤い光を凝視していただけだから、ほとんど何も覚えていない。手術室の前で待ってくれていた友人によると、だいたい20分くらいだったという。

最後に、診察室へ行って、眼科医が顕微鏡なもので両目を確認し、ウルトラマンの目のようなかたちをしているゴーグルを目の周りにテープで固定して、無事に全工程が終了した。手術費用は56,000バーツだった(手術前払い)。

「そろそろ最初に手術をした右目が痛くなってきたでしょう? 左目もじきに痛み出してきますよ」

エレベーターの入口まで見送りに来てくれた女性看護師が言った。すでに大量に溢れ出してきていた涙のせいで周囲の状況はまるでつかめない状態だったが、エレベータに乗り合わせた子供が僕がつけているウルトラマン型のゴーグルを見ているのはなんとなく分かった。

ラッタニン眼科病院の駐車場まで行って、友人のクルマに乗ってから、タバコを吸うためにクルマの窓を開けたところ、点眼麻酔の効果が切れて痛みに耐えられなくなっていたのに加え、視界不良で火をつけることができなかったため、すぐに窓を締めて目を閉じた。

手術中に感じた痛みを1とすると、10分後が3で、20分後が10、30分後が20と、加速度的に辛くなっていった。

スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite の駐車場に着いた頃には、すでに目を開けていられない状態になっていた。友人に手を引いてもらいながら歩き、やっとのことで自室まで戻ってきた。友人がリビングにある冷蔵庫から持ってきてくれた水とともに、眼科医が処方してくれた汎用の頭痛薬「パラセタモン」と睡眠薬を飲んで、すぐさま寝室にあるベッドの上に横たわった。

その5分後、友人は部屋を後にしてバーングブーへ向かい、10分後には強烈な睡魔に襲われ、ようやく苦痛から開放された。

レーシックの手術を受けるときには、誰かと一緒に行くことをオススメしたい。病院からクルマで10分ほどのところにある自室へ戻るだけでもこんなに大変だったから、公共の交通機関を使って帰宅するのはあまり現実的な選択ではない。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。