2005年11月

ビデオチャットをしてダラダラと過ごす

平和な午後。3ヶ月間も続いたペーパー地獄からようやく解放され、燃え尽き症候群気味のため、きょうはスクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の自室に籠もって、ペーパーの調査に協力してくれた友人たちと終日ビデオチャットをしていた。あまりにもアホなことに時間を費やしたせいか、ペーパー作業をサボった日と同じような罪悪感ばかりが残る結果となった。

無題

きょうはスィーロム通り沿いにある珈琲屋へ行ってダラダラと過ごした。この3ヶ月間、ずっとペーパー作業に追われていたが、ようやく一段落着いて燃え尽き症候群気味になっている。スクンウィット22街路にある居酒屋「あさみ」で鰻重(500バーツ)を食べていたところ、タイ留学中の整体師からスクンウィット37街路にマッサージ学校があると教わった。

ローイグラトングの日

午後11時、バンコク東部のスィーナカリン通りにあるパブ Return に、タイの AV 女優5人組がやってきた。きょうローイグラトングの日は、タイではバレンタインデーに次ぐ『第2の国家的処女喪失日』といわれており、バンコク都内にあるパブでは、このような方法で集客を図り、オトコたちの「ヤル気」を煽っている。

無題

今月の総支給額は56,000バーツ。3ヶ月間の試用期間を経て、きょうがはじめての正規賃金の支給日だった。日本人の大卒女子一般職や高卒男子総合職の初任給と同程度の金額で、タイで採用されて働いている日本人の平均月給をはるかに上回る、タイ人の会社員としては誰に恥じることなく堂々と胸を張って触れて回れるだけの良い給料だった。

友人の親族の結婚披露宴

きょうは、ヂュラーロンゴーン大学文学部4号館にある東南アジア学研究室へ行ってペーパーを提出してから、スィーロム通り沿いにある珈琲屋で友人と合流して溜まりに溜まっていた日記を書き、地下鉄スィーロム駅の前で別の友人と合流してその友人の親族の結婚披露宴に参列した。

無題

きょうは、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の自室に午前5時まで籠って、あす提出のペーパーを書き上げた。

無題

昨晩、ペーパー作業が思いのほか捗ったため、きょうはバンコク在住の日本人3人組で飲みに出かけた。

はじめての携帯電話盗難 後編 SIMカードの再発行と保険金請求

昼前、ウィパーワディーラングスィット通りにある AIS カスタマーセンターへ行って SIM カードの再発行を受けてから、高架電車 BTS モーチット駅ちかくの Sun Tower で Sony Ericsson 製携帯電話 W800i を購入した。その後、日本のクレジットカード会社に保険金の支払条件を問い合わせた。それらの作業に時間をとられたため、午前5時までペーパーを書く羽目になった。

はじめての携帯電話盗難 中編 被害届提出

夕食後、ワッタナー区を管轄しているルンピニー警察署へ行って被害届を提出した。すでに顔馴染みになっている日報書記係の警察曹長に事情を話すと、すぐに奥の部屋に通してもらえた。20代前半の警察少尉に、身分証明書として日本国旅券を提示し、事件のあらましについて説明すると、パソコンで被害届の文面を作成してくれた。

はじめての携帯電話盗難 前編 携帯電話盗難

僕は身の危険を感じて、ひとりで友人が運転している Honda Jazz から降りて、敵意のないことを伝えるために警備員たちと一緒にウイスキーを飲み始めた。このとき、手に持っていた財布をはじめ、タバコや携帯電話などをブリキでできた屋台用の簡易食卓の上に置いた。

タイの大学共通入学試験における社会科の試験問題

プラヂュンラヂョームグラーオ大王がタイを統治していた1897年、ダムロングラーチャーヌパープは、英領ビルマや英領マレーシアなどで施行されていた地方の行政機構を導入して、全国にカールワングテーサピバーン(州令)を長とするモントン(州)を設置した。

無題

きょうは、スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite 17階の自室でペーパーを書いてから、昨晩イタリア料理店 GIUSTO から持ち帰ってきた赤ワインをチーズといっしょに楽しんだ。