2005年

ついに晴れて自由の身になる

夜、トーングロー15街路にあるショッピングモール J-Avenue に入っている大戸屋に寄って久々にまともな日本料理を食べた。コンドミニアムへ戻るタクシーのなかで12日ぶりに回復した自由をひしひしと噛みしめていたが、長旅による疲れのせいで友人と会う気も起こらず、素直にスクンウィット13街路にある自室に戻ってシャワー室へ直行した。

そしてシュエダゴンパゴダ

タイ帰国をあすに控え、ようやく今回のミャンマー旅行のクライマックスを迎えた。あさ、初日に泊まったユザナホテルの客室から見えたヤンゴン市内最大のヂェーディー「シュエダゴンパゴダ」へ向かった。この寺院については諸説あるが、どうやら15世紀のバゴー王女シンソープによって原型が作られたようだ。

日本の途上国支援

あさ、当初の予定を変更して、独立行政法人国際協力機構による政府開発援助の事業を見学に行った。昨年のカンボジア旅行でも、現地ガイドの案内でクラスメイトたちとアンコールワット遺跡の修復事業を通じて日本の途上国援助について学んだが、今回はもう少し一般市民の視点に立って考えてみたい。

ミャンマー旅行9日目

きょうも数え切れないほどたくさんの寺院を拝観した。しかし、どうしてもひとつひとつを丁寧に紹介する気分にはなれないから、写真を貼ってやり過ごしたい。

ミャンマー最後の王都マンダレー

マンダレー航空432便でパガンからマンダレーへ向かった。観光バスでは登ることができない斜面を小型トラックの荷台に乗って移動し、ミャンマー最大の寺院群「ガンダーヨング僧院」を拝観してまわって寺院の内部にある壁画について説明を受けてから、渡し船や馬車などを利用して、外国人観光客がほとんど訪れることのない古都インワまで行った。

ナット信仰の聖地「ポッパ山」

きょうの見どころはパガン近郊にあるナット信仰の聖地とされているポッパ山で、標高は標高1518m。西部劇に出てくるような台形の岩山で、その頂上にはやっぱりヂェーディーがある。600段もの石段を裸足で登り、周囲の山々を眺めてから山を下りた。

古都バガン

パガンは、ミャンマーの首都ヤンゴンから北北西に約600kmの地点にある街で、ビルマ人が最初に興した王朝でもあるパガン朝の都として栄えた。このエーヤワディー川の中流域にある平野部には、アホとしかいいようがないほどたくさんのヂェーディーが林立している。ミャンマー人のガイドによると、一帯には3,000~5,000ものヂェーディーがあるという。

不味い飯にふて腐れる

ミャンマー料理はとにかく脂っこい。もしかしたら、そうではないミャンマー料理もあるのかもしれないが、僕が知る限り、ミャンマー料理はすべて脂っこい。あんな料理ばかり食べていて、どうしてミャンマー人の胃はもたれないのか不思議だ。

ハッピーマネー

ミャンマーの物売りは素朴だ。マフィアに管理されている柄の悪いタイの物売りたちとは少し違う。物売りの少女たちは「ハッピーマネー」という言葉を繰り返し口にしていた。クラスメイトによると、ハッピーマネーとは「きょう一日の商売を占う最初の売り上げ」のことらしい。

ホテルの備品補償問題

昨晩、クラブ「パイオニア」へ行ってミャンマービールの中ジョッキを少なくとも10杯は飲んだ。当然それなりに酔っぱらっていたが、泥酔というほどではなかった。ホテルに戻ってからシャワーを浴びていたところ水道の蛇口が閉まらなかったため、少し体重をかけたら蛇口から変な音がして水が止まらなくなってしまった。

巻きスカート「ロンヂー」とヤンゴンのクラブ

道行く人々は、老若男女を問わず、皆がロンヂーと呼ばれるスカートを腰に巻いていた。見た目には少し違和感があるこの巻きスカートだが、日頃から熱帯の炎天下でジーンズ生活している僕にとっては、風通しがよくて快適な画期的なニューファッションだった(この旅の間、ずっとロンヂーを履いて、木陰に隠れてはパタパタさせて涼んでいた)。

ミャンマー連邦 寺院探訪12日間の旅

スクンウィット13街路にある住まい Sukhumvit Suite へ戻って仮眠を1時間半とってから、バンコク・ドーンムアング国際空港までクルマで友人に送り届けてもらい、そこで東南アジア研究科のクラスメイトたちと合流して、ミャンマー航空332便でミャンマー・ヤンゴン空港へ向かった。