「通り過ぎてしまったのもムリはないわ。このアパートは、これまで街路の一番奥にあったんだけど、その奥に新しくできた2棟のおかげで、今や何の特徴もない場所になってしまったから。将来的には、この通りを大学の前(ラームカムヘーング24街路)まで延ばす計画になっているそうよ。ここにはいろんな人が住んでるいけれど、やっぱり、わたしが通っているアサンプション大学の学生が一番多いみたい。なんと言っても、大学のちかくにあって、月々の家賃が4,500バーツと安いところは魅力よね。それに、バーングナー校舎で授業がある日でも、フワマーク校舎から35バーツの学バス30分で行けるんだし。オトコと同棲するのは世間体が悪いから避けたいけれど、ひとりでいるのも退屈だから誰かと部屋をシェアしてみようかしら」
午後11時45分、ラームカムヘーング24/2街路にある大規模な学生街で友人が言った。
バンコク都内にある私立大学の周辺には、ここのところ新築の寮が次々と建設されている。この寮も、昨年の上半期に、アサンプション大学のフワマーク校舎から約500メートル離れたところに、学生向けの格安アパートとして建てられたばかりで、外観・内装ともに、日本人が東京近郊のワンルームマンションに求める水準をギリギリ満たしている。高架電車アヌサーワリーチャイサモーラプーム駅(戦勝記念塔駅)の周辺にある困窮日本人たちが集住しているアパート群に比べれば格段に良い。あの貧乏くさい、強制収容所のような絶望的な雰囲気をプンプンさせていないところがウレシイ。
バンコクに住んでいる日本人は、地方出身の工場労働者や娼婦たちの生活水準を基準にして、バンコク人の標準について語ることがある。また、一部の困窮日本人たちのあいだには、バンコク人の標準を「ハイソ」と呼び、追従することをあきらめて、例外的に扱おうとする嘆かわしい風潮も見られる。このような一部の日本人たちは、タイ人の大学生ですら「こんな部屋には住むのはちょっと・・・・・・」と躊躇するようなところに住んでいることが多い。貧しく生きる生活スタイルを否定するつもりはないが、自分の生活水準の低さを正当化するために、バンコク人の標準を不当に引き下げて語られては困る。
「いいわ。さっき食事代を出してもらったから、今度は私に出させてちょうだい」
午前零時半、高架電車のエーガマイ駅前にある珈琲屋「バーンライ」へ行って友人と夜食をとった。24時間営業のこの店には、ほかの大学より半月近く遅れて中間テストの時期を迎えているバンコク大学の学生たちが自習室の代わりに集まって勉強をしていた。
ふたり分のコーヒーとケーキで合計380バーツだった。すべて友人のおごりだった。一部の日本人は、何から何まで日本人が負担しなければいけないと思い込んでいるようだが、相手がビジネスで恋愛サービスを提供しているような娼婦ならともかく、普通の友人同士であれば、自分の費用は自分で負担する。前回おごってもらったら、次回はおごってあげるというのが当然だろう。
きょうは、スィーロム通りにある珈琲屋でダラダラしてから、友人と夕食をとりに出かける予定だったが中止になった。そこで、2005年12月15日の学生寮街 その1で登場した友人と同レベルの私立大学英語学科に通っている友人を訪ね、それぞれのカリキュラムを比較した。