「あそこに見えるのが火葬場の煙突よ。きょうから5日間、僧が毎日お経をあげて、最終日には遺体が火葬されることになっているの。初日のきょうは、参列者の全員が湯灌(ゆかん:遺体の腕に水をかけること)をして、納棺まですることになっている。それにしても、バンコク中央病院の霊安室はいったいどうなっているのかしら? また亡くなってから1日しか経っていないのに、遺体が傷んで紫色になってしまっているじゃない。それでもロットゥー(ミニバン)に轢かれて亡くなった母方の祖母の遺体に比べれば、かなりマシな状態だけど」
午後4時、グルングテープ・ノンタブリー21街路にあるウェートワンタンマーワート寺に併設されている葬儀場で、友人はこのように話していた。
この友人の祖母は、およそ1年間の闘病生活の末、きのうバンコク中央病院で亡くなった。享年94歳だった。入院費用の総額は数百万バーツにのぼったが、友人の両親が官吏だったため、その大半は退官公務員の福利厚生で公費によって賄われた。もし医療費の全額を私費で支払うことになっていたら、治療をあきらめて祖母の死期を1年間早めるか、もしくは国会議事堂から徒歩15分のところにある時価1,700,000バーツのタウンハウスを売りに出すかの二者択一を迫られていたという。公的な社会保険制度が十分に整備されていないタイでは、もし仮に月々の世帯収入が150,000バーツあっても、集中治療室に入って長期にわたり医療を受け続けることは難しい。
午後5時、湯灌の儀式が始まった。参列者が次々と前へ歩み出て、遺体の右腕に水をかけて死者との最後のお別れを済ませた。このとき、湯灌している参列者の様子がひとりひとりカメラに収められていることに気づいて友人に尋ねてみたところ、死者が生前にどのような人たちと関わって、どのような終末を迎えたのかを記録するためとして、タイでは肯定的に捉えられているという。その後、台座がついている棺桶に寺の作業員が遺体を納棺して、念入りに釘を打った。
午後7時、4人組の僧による読経がはじまった。僧の手には群青色の扇子のようなものが握られており、それぞれ ไปไม่กลับ(パイマイグラップ: 逝ったら返らず)、 หลับไม่ตื่น (ラップマイトゥーン:眠ったら目を覚まさず)、 ฟื้นไม่มี(フーンマイミー:生き返らず)、หนีไม่พ้น(ニーマイポン:逃げ出さず)と書いてあった。ちゃんと成仏してくれということだろうか。1回につき約8分間の読経が、5分間の休憩を挟みながら4回に分けておこなわれた。読経がはじまる前に、タイの冷凍食品最大手でレストラン・ベーカリーチェーンを運営している S&P のお食事セットが参列者たちに振る舞われた。
午後、高架電車サナームギーラーヘングチャート駅(国立競技場駅)の前にある複合商業施設、マーブンクローングセンターに寄ってから、ウェートワンタンマーワート寺に併設されている葬儀場へ友人と向かった。
葬儀場の入口には、電話番号が書いてある看板が立っており、万一の際には、そこへ連絡を入れて手配を依頼すれば、葬儀の一切を取り仕切ってもらえるという。
こんにちは。ご無沙汰しております。
日本でも携帯を使って亡くなられた方の写真を撮るという行為が日常化し始めているようですよ。葬儀会社の人が、それは…と思ったようですが、ご遺族が何も言わないのでうやむやになってしまいましたという記事をどこかで読んだことがあります。
こんにちは。ご無沙汰しております。
日本でも携帯を使って亡くなられた方の写真を撮るという行為が日常化し始めているようですよ。葬儀会社の人が、それは…と思ったようですが、ご遺族が何も言わないのでうやむやになってしまいましたという記事をどこかで読んだことがあります。
>つちもとさん
お久しぶりです。日本の葬式って、かなり形式的で堅苦しいものというイメージがありましたが、僕が日本を離れているあいだに我が国の文化も結構ミーハーになったんですね。日本に帰ってからのリハビリに苦労しそうです。・・・そういえば学校の教科書に「わが国」という表現がありましたね。自分で書いていて、とても懐かしいようなカンジがします。
>つちもとさん
お久しぶりです。日本の葬式って、かなり形式的で堅苦しいものというイメージがありましたが、僕が日本を離れているあいだに我が国の文化も結構ミーハーになったんですね。日本に帰ってからのリハビリに苦労しそうです。・・・そういえば学校の教科書に「わが国」という表現がありましたね。自分で書いていて、とても懐かしいようなカンジがします。