「チェンセーンにいる係官が君に説明したように、旅券の入国スタンプを訂正できる権限は入国管理局にある。しかし、その権限は、スタンプを押した入国管理局に対して与えられているものであって、我々にはない。したがって、入国スタンプの訂正がお望みなら、ここメーサーイの入国管理局ではなく、ピブーンマングサーハーンにある入国管理局へ行って申し入れをおこなうべきだ。それにしてもチェンセーンのヤツめ、こうも面倒くさい仕事ばかりを次から次へと押しつけてきやがって。こっちはまったく堪ったもんではないぞ。自分の管轄で生じた仕事ぐらい、自分たちの責任で処理してもらいたいものだ。まったく気に食わん。だから私はやりたくない」
午前11時50分、ミャンマー国境にあるメーサーイ入国管理局の係官は、僕からの申し入れに対して一向に応じる気配を見せなかった。昼休みに入る10分前という、タイミングの悪さのせいだったのかもしれないが、この職員は窓口業務に従事することで飯を食っている。それがイヤなら、窓口業務がない警察中尉以上の階級で任官できる学士相当の学位を取るなり、転職するなり好きにすればいい。いずれにしても、僕の知ったことではない。八つ当たりで申請を却下されてはかなわない。
タイのウボンラーチャターニー県とラオスの国境があるチョングメックという街から入国した1月1日、再入国許可証の失効日である3月13日まで学生としての滞在許可が下りるはずだったところ、係官の不手際によってノンビザ入国の扱いとなり、1月30日までの滞在許可しか出ていなかった。これまでそれに気づかなかったため、僕はいつの間にか不法滞在者となっていた。サイアクの場合、検問でパスポートを検められたときに、ミャンマー人の不法滞在者たちと同じように逮捕・拘束されて、犬小屋のような留置所へ収監されてしまっていてもおかしくないところだった。そのことについてきのう、チアングセーング入国管理局のゴールデントライアングル駐在所にいる係官に相談を持ちかけてみたところ、「再入国許可証の期限が残っていれば問題はない。メーサーイの担当者には俺から話をつけておいてやる」と言われていたが、上手く連絡が取れていかなかったのだろうか。
冒頭にある係官の言葉を聞いて、さすがに腹が立った。拒否理由の前半部分はまともだが、おそらく後半部分の「面倒くさい」が本音だろう。そんなバカバカしい理由で、不法滞在者にさせられしまってはかなわない。
できるだけ声のトーンを抑えて、丁寧に、それでも自分の主張だけはしっかりとぶつけてみた。
「今すぐにタイからミャンマーへ出国したい。しかし、入国スタンプを訂正してもらわないと、出国することすらできません。 すべては入国管理局の不手際が原因であり、私個人に非があったわけではありません。それとも、 われわれ外国人は、タイに足を踏み入れたら最後、出国の権利まで奪われてしまうのですか? それならタイは、制度化された外国人の収容所ということになりますね」
公務員上位主義的なタイ文化を信奉している中年の係官は、これを聞いてさすがにムッとした顔をした。
「学生ビザでの滞在資格ということだが、どこで勉強しているのかね?」
僕はその質問に対して短く2秒以内で答えた。係官は「ふん」と鼻で笑ったあと、「入国スタンプが押されたときに、その内容を入念に確認しておく義務が君にはあった。問題は、その義務を怠った君にこそあるんだ」と愚痴りながらも、僕の手にあったパスポートを乱暴に取り上げて、窓口に備え付けられている入国者の記録台帳を開き、だらだらと入国スタンプを訂正をはじめた。
午後12時5分、当初入国係官に対して主張していたとおりミャンマー国境を越えるではなく、国道118号チアングマイ・チアングラーイ線をクルマで南下することにした。午後2時頃、チアングマイの郊外に到着し、チアングマイ動物園に寄って、2003年から10年間の契約で中国政府から貸し出されているパンダを見物し、ホテル Sheraton Chiangmai にチェックインした。