タイの国立大学、ヂュラーロンゴーン大学の学位授与式

「この大学には18歳のときに入学してから本当に長いことお世話になってきたわ。いまになって振り返ってみればあっという間の7年間だったけれど、それだけ自分も歳をとってしまったということよね。学士号をもらったときにも出席しているから分かってはいたけれど、『さあ旅立ちなさい、もう戻ってこないでね』なんて言われてしまうと、なんだか感傷的な気持ちになっていけないわ」

午前8時15分、ヂュラーロンゴーン大学講堂のステージの下に合唱部所属の学部生たち60人が横一列に並んだ。合唱部は歌唱力が秀でている学生を新入生のなかから選りすぐり、これまで著名な歌手を世に数多く輩出してきたことで知られている。タイ人クラスメイトのジャネットは、僕のすぐ隣で直立不動の姿勢をとり、大学歌の「偉大なるヂュラーロンゴーン」と卒業歌の合唱を聞きながら、そのように言って耳打ちをしてきた。

มหาจุฬาลงกรณ์
マハーヂュラーロンゴーン

พระราชนิพนธ์ทำนอง : พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัว
作曲 : 国王陛下
ผู้ประพันธ์เนื้อร้อง : ท่านผู้หญิงสมโรจน์ สวัสดิกุล ณ อยุธยา,สุภร ผลชีวิน
作詞 : クンユィングソムロート・サワッディグン・ナ・アユッタヤー
スポーン・ポンラチーウィン

น้ำใจน้องพี่สีชมพู ทุกคนไม่รู้ลืมบูชา พระคุณของแหล่งเรียนมา จุฬาลงกรณ์
ขอทูนขอเทิดพระนามไท พระคุณแนบไว้นิรันดร ขอองค์พระเอื้ออาทร หลั่งพรคุ้มครอง
นิสิตพร้อมหน้า สัญญาประคอง ความดีทุกอย่างต่างปอง ผยองพระเกียรติเกริกไกร
ขอตราพระเกี้ยวยั้งยืนยง นิสิตประสงค์เป็นธงชัย ถาวรยศอยู่คู่ไทย เชิดชัย ชะโย
桃色*1学生の思いやり 忘れることなき敬慕の心 恩賜の学舎 ヂュラーロンゴーン
大恩ある王の御名を冠し 永遠に讃え続けます どうか王の祝福があらんことを
全学生が一体となり 支え合う誓い 善行の決意 颯爽と風を切って未来へと歩む
プラギアオ章*2よ永遠なれ 学生が目指すは タイ未来永劫の繁栄 万歳

*1 桃色……ヂュラーロンゴーン大学のスクールカラー。
*2 プラギアオ章……ヂュラーロンゴーン大学の校章のこと。ヂュラーの女子大学生はこの徽章を制服の胸元に装着している。

東南アジア研究科に入学した2003年10月以来、同じ教室で成績について話し合い、タイやその周辺国へ調査旅行に出かけるなど、約2年半にわたって喜怒哀楽をともにしてきたクラスメイトたちと一堂に会する機会も、きょうの学位授与式で最後となる。

ステージ前から合唱部の一団が立ち去ると、近衛兵たちの動きがにわかに慌ただしくなった。午前9時、何の前触れもなく突然スピーカーから国王賛歌が流されると、卒業生たちは舞台の袖に控えていた大学職員の指示にしたがって起立した。

เพลงสรรเสริญพระบารมี
国王賛歌

คำร้อง : พระบาทสมเด็จพระมงกุฎเกล้าเจ้าอยู่หัว กรมพระยา นริศรา นุวัดติวงศ์
作詞 : プラヤーナリサラー・ヌワットティウォング (ワチラウット王編曲)

ข้าวรพุทธเจ้า
臣は
เอามโนและศิรกราน
心から崇拝しています
นบพระภูมิบาล บุญญะดิเรก
もっとも偉大な土地神*に合掌します
เอกบรมจักริน พระสยามินทร์ พระยศยิ่งยง
至高なるジャックリー朝 サヤームの偉大なる指導者よ 永遠なれ
เย็นศิระเพราะพระบริบาล
ご加護*のおかげをもちまして平穏に暮らせています
ผลพระคุณ ธ รักษา
恩寵の賜です
ปวงประชาเป็นศุขสานต์ ขอบันดาล
陛下の御力で民を幸福にしてください
ธ ประสงค์ใด จงสฤษดิ์ดัง หวังวรหฤทัย
陛下のどのような願いも どのような御心も かなえて差し上げます
ดุจจะถวายชัย ! ไชโย
たとえば勝利を献上するというような!万歳

タイの国立大学では卒業生ひとりひとりが国王の代理人である高位の王族から学位記が直接手渡しで下賜されることになっていて、とりわけ王室に対する忠誠心が高いタイ人たちのあいだではそれはそれは大変な栄誉とされている。ヂュラーロンゴーン大学には毎年、第二王女のプラテープ殿下(スィリントーン王女)が遣わされている。

プラテープ殿下はヂュラーロンゴーン大学の博士の学位服を身にまとい、ステージの後方からお出ましになった。そして、ステージ右端にある祭壇の前でひざまずいてロウソクに火を灯し、ステージ中央の演壇へと向かった。なぜ王女が博士の学位服をお召しになっているのか分からなかったが、その疑問はほどなく解消した。

冒頭、大学評議会議長のヂャラット・スワンナウェーラー教授が、国王に対する約2分間の謝辞を述べた。

「国王陛下におかれましては2548年度ヂュラーロンゴーン大学学位授与式に、王女殿下をご名代としてお遣わしくださり、誠にありがとうございます。本学、教員、職員、そして学生たちにとってなにものにも代えがたい栄誉でございます。さて、この度は畏れ多くも陛下のお許しを得て、大学長のクンユィングスチャーダー・ギーラナンが、それぞれ王女殿下に経済学名誉博士号、ソームサワリー・プラウォラワートナットダーマート殿下に看護学名誉博士号を献上するとともに、2548年度のヂュラーロンゴーン大学学位授与式を執り行います」

この式典は卒業生の学位授与式であるという前に、国王の代理人である王女自身が学位の献上を受けるための式典だったようだ。続いて、クンユィングスチャーダー・ギーラナン学長が王女の功績を讃え、名誉博士号の献上について約4分間の祝辞を奏上した。

「プラテープラッタナラーチャスダー・サヤームボーロムラーチャグマーリー王女殿下(スィリントーン王女)は、これまで多岐に渡る研究で成果をあげられ、その名声は国内外の研究者たちに広く知られています。経済学は殿下がもっとも熱心に取り組まれた分野のひとつでございます。(…中略…)第672回ヂュラーロンゴーン大学評議会は仏滅紀元2549年3月30日、殿下に経済学名誉博士号を献上することが相当であるとの結論に至り、ここに学位を献上するものであります」

大学評議会の議長は学長が祝辞を終えると演壇の前へ歩み出て、演壇の奥にいる王女に対して名誉博士号の学位記を献上した。さらに、大学の運営に関する報告が学長によりなされた(約8分間)。

「臣は、ヂュラーロンゴーン大学の2549年度実績についてご報告いたします。ヂュラーロンゴーン大学は『タイが社会的な自立を果たし、国際的な競争力を持ち、世界の人々と手を取り合いながら発展を遂げるための、教養の源となり、国力の源となる』をスローガンにかかげて総合的なイメージの向上に努めてまいりました。教育の質についてはすでに国内外で広く認知され、タイ国内の高等教育機関としては唯一 The Times Higher Education Supplement の世界大学ランキングに名を連ねました。(…後略…)」

つづいて、大学院の理事長がステージの左手前にあるマイクの前に立って卒業生の名簿を開いた。東南アジア研究科の学生はこの大学院に所属している。最初に学位の下賜を受ける理学博士の18人がステージへあがり、理事長がそれぞれの名前を読み上げた。それとほぼ時を同じくしてステージ右奥では仏教僧による読経がはじまった。

今回、プラテープ殿下から学位記の下賜を受けるのは2005年度の前期末と後期末に開催された大学評議会で学位の認定を受けた卒業生たちで、この会場に入ることができるのは大学の関係者と学位の下賜を受ける卒業生本人だけに限られている。卒業生の父母や友人といった部外者の参列は一切認められていない。東南アジア研究科からは合計7人が出席し、内訳はタイ人が4人、ラオス人が2人、日本人が1人と、集合写真を撮影したときと比べてとりわけタイ人の出席率が高かった。王女から学位を賜るということにタイ人たちがどれほどの価値を見いだしているのかを如実に物語っていた。しかもこの式典に参加すれば、王女とのツーショット写真を家宝として残すこともできる。私立大学を卒業して王族ではなく大学の理事長から学位記を受け取った別の友人は、「プラテープからの下賜、しかもそれがヂュラーの学位とあれば、受け取りに行かない人のほうがオカシイ」と話していた。

東南アジア研究科の修士たちは会場の前から4列目に配席されていたため、すぐに学位記の下賜を受ける順番が回ってきた。

ステージには赤い絨毯が敷かれていて、ステージの左脇に設置されている舞台用階段をのぼると足下にちょうど「0番」のプレートが来る。そして前の人の動きにならって約2秒おきに右側のプレートへ移っていき、「7番」のプレートを踏んだときに、ちょうど王女が座っている演壇の真正面に到達する。

このプレートを踏んだら、もう一瞬たりとも気を抜くことはできない。それまで横方向へ移動していた動きをステージ奥の方向に変えて王女のほうへ足を一歩踏み出し、「8番」のプレートを踏んでから1秒以内に礼を済ませて、つぎの1秒で王女の目と鼻の先にある「9番」のプレートへ移動する。そこであらかじめ定められている形式に則って1秒以内に学位記の下賜を受ける。

タイの国立大学、ヂュラーロンゴーン大学学位下賜式の第2回予行演習

2006.06.29

王女は卒業生に学位記を手渡す作業を午前9時15分から始め、その90分後の午前10時45分になってようやく卒業生2,011人全員の手元に行き渡った。王女はもちろん、名簿を読み上げていた各学部の学部長や、それを黙って眺め続けていた卒業生たちもけっして楽ではなかったはずだ。

「国王陛下におかせられましては、ご機嫌麗しゅう恐悦至極に存じます。臣は卒業生を代表して御礼のご挨拶を申し上げます。

臣こと、ヂュラーロンゴーン大学卒業生の○○は、プラナルバーンサヤーミンと親愛なるみなさまからの恩賜に報い、国家の将来、至高なる信仰、そして国王陛下のために、各級社会のタイの人民たちと力を合わせ、共に助け合いながら、国家の発展に貢献してまいる所存です」

午前10時49分、政治学部の学年総代が謝辞を述べ、卒業生たちも一同起立してそれを復唱した。

「絶対に眠ってはいけないと自分を堅く戒めていたけれど、睡魔に抗うことむなしく、とうとう寝入ってしまったわ」

ジャネットは眠い目を擦りながらゆっくりと席を立った。女子のクラスメイトたちは、午前6時の集合時間に間に合わせるように美容室へ行って髪型を整えたり化粧をしたりしていて、午前3時ごろから起きていたこともあり寝不足気味だったという。ちなみに、会場内での居眠りや私語は規則で固く禁じられている。

「畏れ多くも国王陛下におかせられましては、本日ヂュラーロンゴーン大学でおこなわれた学位授与式に、わたくしをご名代としてお遣わしくださいました。本学の各種活動がすべて順調であるとうかがい、とても嬉しく思っています。また、成功を修めて栄光を手にした卒業生のみなさまに謹んでお祝いを申し上げるとともに、わたくしに経済学の名誉博士号を授与してくださった大学に御礼申し上げます。

わたくしたちは皆、人生における幸福や職務における成功を願っています。しかし、持続可能な本当の意味での幸福や成功を手に入れるためには、まず第一に日頃からの善行を心がける必要があります。正しい行いをしている人は、心身ともに安定し、自他ともに不利益を被るような道へ外れることなく、自らを正しい道へ導いていくことができるしょう。ですから、卒業生のみなさまには、自らの言行や物事の考え方などに、日頃から細心の注意を払っていただきたいと思うのです。そうすることで、みなさまが願っておられる自らの人生をはじめ、社会や国家の将来を良い方向へ導いていくことができるようになるからです。

最後に、卒業生のみなさまには人生におけるひとつの成功を収められたことにお祝い申し上げるとともに、本日ご参列されたみなさまの方のご多幸とますますのご発展を祈念いたしまして、わたくしからのご挨拶に代えさせていただきます」

プラテープ殿下は卒業生一同に答辞を述べて、ふたたびスピーカーから流れてきた国王賛歌の演奏とともに会場をあとにした。

午後11時50分、卒業生たちは講堂の東側にあるプラボーロムラーチャーヌサーワリー前の広場に集合した。屋外は、まさにうだるような暑さだった。プラピヤマハーラート王とプラマハーティーラートヂャーオ王の像の前に設けられた祭壇に学長がロウソクの火をともし、卒業生の代表が花をたむけた。卒業生一同、芝生の上に敷かれていた茣蓙の上に跪いて、胸の前で合わせた両手を自分の頭のうえへ高く上げてから土下座のポーズへ移行する封建時代スタイルのグラープ(礼拝)を3回繰り返し、大学歌を斉唱してから解散となった。

こうして、僕たちの学位授与式はつつがなく終了した。あすからは、大学院生兼会社員というとても中途半端だった身分から解放されて、ごくごくフツウの日本の会社員になる。

この日のために大学まで来てくれた友人達から両腕に抱えきれないほどたくさんの花束をもらい、文学部本館にある池の前で記念写真を撮ってから大学をあとにした。

きのう12日、タイでおこなわれる学位授与式に出席するために有給休暇を取得し、成田空港を午後7時に出発するノースウエスト航空の82便でバンコク・ドーンムアング国際空港まで移動した。翌13日の午前零時、空港第2ターミナルビル前を走っている薄暗い構内道路で友人と再会してから、ンガームウォングワーン通りにある西洋料理店「スィップサームリアン」に併設されている宿泊施設へ行って3時間の仮眠をとった。午前4時半に起き、午前5時にホテルをチェックアウトした。空がまだ薄暗い午前5時半、友人のクルマでヂュラーロンゴーン大学の正門前に到着し、それぞれ仲間を探し求めて大学構内をさまよい歩いていたクラスメートたちと合流した。

「見て、この写真! まだピチピチしていてカワイイと思わない? でも、実物はこんなにシワクチャのお婆ちゃんになっちゃっててさぁ・・・・・・」

タイ人クラスメイトのオは、自分の顔写真が印刷されている学生証の表側をみんなに見せて、そう戯けてみせた。いまから2年半前、クラスメイトたちと初めて出会ったころに比べると、たしかに彼女たちの化粧の乗りは悪くなっている。「お肌の曲がり角」を迎える年代になってしまった、ということだろうか。

講堂内への私物の持ち込みは、保安上の理由から固く禁止されている。カバンはもとより、財布もカメラも携帯電話もみんなダメだ。そこで、ポケットがない女子用の学位服を着ているクラスメイトたちから学生証を預かり、午前7時に講堂の前に整列して入場した。

学位授与式が終わってから、友人がクルマを駐めていたマーブンクローングセンターまで徒歩で移動して、友人たちと昼食をとった。電脳コンプレックスのパンティッププラザに立ち寄り、タイポップスの新曲がMP3形式の電子データで収録されている海賊版のCDRを調達し、あたらしくできたばかりのファッションモールのプラティアムを見て回った。その後、宿泊先のバンコクブティックホテル(1900バーツ)の客室内で友人と時間を潰した。

20060713@2x夜、ラッチャダーピセーク4街路にあるパブ Rad で、友人たちが卒業記念パーティーを開いてくれた。平日の夜にも関わらず、11人もの友人たちが集まってくれた。翌14日の午前零時15分に解散した。

6 件のコメント

  • ケイイチさん、日本での仕事はいかがですか。日記がなかなか更新しないのでまた最初から読んでしまいました。この日記のダイジェストを本にするといいかもしれませんよ。
    このブログでもお薦めの本の王朝四代記を図書館で借りて読みました。私のようなタイの雰囲気が好きな人間にとって、昔のシャム王国のオリエンタルな雰囲気に浸れ、とても楽しく読めました。この本を知ったのがこのブログのおかげなので、本当に感謝です。

  • ケイイチさん、日本での仕事はいかがですか。日記がなかなか更新しないのでまた最初から読んでしまいました。この日記のダイジェストを本にするといいかもしれませんよ。
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  • > ヨウイチさん

    こんにちは。日本の仕事はまあまあですね。この日記、実は過去に何度が単行本化の話があったのですが、なんかいろいろと面倒なことが多いようで、「それじゃ、考えておきます」と言いながら延ばし延ばしにしてしまっています。いやあ、日本語の推敲をして(これは出版元がやってくれるらしい)、既存の記事をもっと掘り下げて、さらに売春関連の記述をもう少しソフトにして・・・などと、枚挙にいとまがないのです。

    僕も昨晩、暇を持て余していたので、過去2年分を読み返してしまいました。「あ、結構良くできてるじゃん」などと、自分でも感心してしまいました。時間があるときにでも、単行本化できるように手を加えてみたいですね。

    バンコク留学生日記の最終回は、いつになるか分からなくなってきました。日記を書く習慣をやめてから、そろそろ半年が経ちますが、一度筆を置いてしまうと、再開させるのが面倒くさくなってくるんですよね。

    現在、誰にも言えない秘密のプロジェクトが着々と進行しており、それが終わり次第「ご報告」というかたちで、このブログに掲載しようと考えているので、そのときにでも一気に更新するつもりです。どうか、お楽しみに!

  • > ヨウイチさん

    こんにちは。日本の仕事はまあまあですね。この日記、実は過去に何度が単行本化の話があったのですが、なんかいろいろと面倒なことが多いようで、「それじゃ、考えておきます」と言いながら延ばし延ばしにしてしまっています。いやあ、日本語の推敲をして(これは出版元がやってくれるらしい)、既存の記事をもっと掘り下げて、さらに売春関連の記述をもう少しソフトにして・・・などと、枚挙にいとまがないのです。

    僕も昨晩、暇を持て余していたので、過去2年分を読み返してしまいました。「あ、結構良くできてるじゃん」などと、自分でも感心してしまいました。時間があるときにでも、単行本化できるように手を加えてみたいですね。

    バンコク留学生日記の最終回は、いつになるか分からなくなってきました。日記を書く習慣をやめてから、そろそろ半年が経ちますが、一度筆を置いてしまうと、再開させるのが面倒くさくなってくるんですよね。

    現在、誰にも言えない秘密のプロジェクトが着々と進行しており、それが終わり次第「ご報告」というかたちで、このブログに掲載しようと考えているので、そのときにでも一気に更新するつもりです。どうか、お楽しみに!

  • > ヨウイチさん

    今日ネットサーフィンをしていたら、2004年4月11日に MCOT で放送された「王朝四代記」が視聴できるサイトを見つけました。日-タイ間の通信速度が遅いせいで、 56k の粗い画面で見ざるを得ませんが、工夫をすれば 256k の映像がきれいなヴァージョンをダウンロードすることもできます。折角の機会ですから、小説の舞台を再現したドラマを見てみるのもまた良いかもしれませんよ。

    http://hiptv.mcot.net/hipPlay.php?id=81

  • > ヨウイチさん

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  • ABOUTこの記事をかいた人

    バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。