せめてタイよりもイケてる国へ (タイ人とのベトナム旅行4)

「つぎは、もう少しマシな国、せめてタイよりもイケてる国へ行かない?」

ベトナムの首都ハノイは、それなりに整備されているが、お世辞にも近代的な都市とは言えない。市場為替ベースの国民1人あたりの GDP で比較しても、日本(USD34,180)の約37分の1、タイ(USD3,137)の約3分の1と、あまり裕福ではない。ベトナムの大統領府は日本にある公立学校の旧規格の標準校舎そのものだし、ラオスと比べればそれでもかなりマシだが、近代的な建造物も市内には数えられるほどしかない。それだけに、いつしか近代的なビルが建設されて、地下鉄も開通する日が来るのではないかと想像してみるだけでワクワクしてくる。

タイの首都バンコクは、外国人にとって住みやすい近代化された都市だが、一方でタイの国内には開発から取り残されている地域もたくさんある。当然、タイ人は、開発が遅れている外国の成長を見守ろう、といった日本人的な娯楽に対して何の意義も見いだしていない。

正午、 Vincom City Towers で昼食をとった。このビルは、ハノイの中心部でも珍しい近代的なビルで、ハノイの市内にふたつしかない百貨店のうちのひとつがテナントとして入居している。3階にあるレストランで、タイと同程度の価格帯の西洋料理をウエイターに注文してから料理が来るのを待っていたところ、すぐ隣の席で、あとからやってきたベトナム人の会社員たちが店の隅にあった食堂内の屋台で簡素な料理を調達してから食事をとりはじめ、僕たちの料理が来た頃には今にも食べ終えようとしていた。

食後、市内中心部にある Hoàn Kiếm 湖(還剣湖)へ向かい、湖に浮かんでいる玉山祠を見物した。この一帯はハノイの市民たちの憩いの場となっているようで、ベンチに座っている何組ものカップルたちが白昼堂々とディープキスを交わしていた。ナイトクラブでもなかなかお目にかかれないような光景に友人は驚いていたが、タイ人向けのガイドブックによると、公然におこなわれているディープキスは、旧宗主国のフランスが残していったベトナム文化の一部ということになっているらしい。

午後9時、ノイバイ国際空港に到着した。この時間帯は、きょうのハノイ発バンコク行の最終便の搭乗受付が集中しており、チェックインカウンターの前には、タイ国際航空のほか、オリエントタイ航空やノック航空の便に乗ってバンコクへ戻ろうとしているタイ人たちが長蛇の列を作っていた。これだけたくさんのタイ人がいれば、ハノイの市内にある観光地の至るところでタイ人の観光客を見かけたのにも頷ける。

今回のベトナム旅行の目的は、東南アジア地域の観光を純粋に楽しむだけではなく、日本の企業が進出するのに際して必要な要件をどれだけ備えているか、自分の目で確認してみることだった。タイを専門として生きていく以上、タイと競合することになりそうな国については、あらかじめよく知っておきたい。製造と輸出の拠点にするのなら問題はなさそうだが、ベトナム人の購買力に何か期待するのは難しいだろうというのが結論。ベトナムにおける商業の中心地が首都のハノイではなく、鉄路で1726キロも南にあるホーチミンであることをに差し引いて考えてみても、ハノイの小売業はあまりにも貧弱すぎた。正直なところ、長期間にわたって滞在をするには面白みがあまりにも少なく、もし自分が会社からベトナム駐在を命じられたら、すぐに転職先を斡旋してくれる会社へ駆け込んで、適当な求人案件を何件か紹介してもらわざるを得なくなるだろう。

ノイバイ空港のなかには、「ショッピングをするためにバンコクへ行こう」と書いてある航空会社の広告がいくつも立っていたが、一般のベトナム人にとっては難しいかもしれないが、もしかしたらベトナムの国内で調達できない贅沢品を欲しがっている富裕層にはそれなりの需要があるのかもしれない。

空港内にある免税店に興味を示すタイ人の観光客は誰ひとりいなかった。ノック航空3209便は、午後10時半にノイバイ国際空港を発って、午後10時25分にバンコク・スワンナプーム国際空港に到着した。友人とは空港で別れ、その足でスラウォング通りにあるマッサージ屋の「有馬温泉」へ向かった。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。