帰国後1社目の会社を退職し、再就職までの期間をバンコクで過ごす

2006年3月にタイの大学院を修了して本帰国し、その翌月から勤務をはじめた東京都内にある非上場の専門商社を、今月の20日付で退職した。

非上場の会社であったため従業員の平均年収は公表されていなかったが、本社の海外営業部門で勤務をしていたときに、ほかの従業員に対する聞き取り調査を精力的におこなった結果、全社員の平均年収が420万円ぐらいしかないことを突き止めた。もとより賃金の水準が低い業界ではあったが、ボーナスの金額を算定するときの基準となる基礎額に、加給と呼ばれる月給をかさ上げする目的で設定されている手当や役職手当といった各種手当が含まれていなかったことが、年収を大きく押し下げる要因となっていた。

就職活動をしていた当時、タイの大学院に在学していたため日本に滞在していられる時間は非常に限られていたが、その短期間のあいだに帰国後の働き口を保障してくれ、さらに就職後に貿易実務のイロハを教えてくれたことについてはとても感謝をしているが、そのまま勤務を継続したところで自分が希望している水準の給与には遠く及ばないと判断して退職を決意した。

また、月々の海外駐在手当が25万円程度とされている世間水準に対してその半分以下の10万円と低く、赴任地における借上社宅も家賃の33パーセントを自己負担しなければならないことなっていたため、もしタイへ赴任することになって家賃7万バーツのコンドミニアムに住んだら、手元にのこる駐在手当は3万円しかない。さらに、半年ほど前に就業規則の改訂があって、人事異動の条文に「海外子会社への転籍」という項目があらたに追加されたことが極めつけとなった。

もし、会社からタイにある現地法人へ転籍することを命じられ、いったん現地採用の身分まで落とされてからタイで仕事を探しはじめたところで、きっと平均的な日本人水準の収入を得ることは永遠にできないだろう。そう考えて、まだ日本にいるうちに仕事を探しておこうと転職活動をはじめたところ、愛知県にある東証一部に上場している専門商社に採用された。さしあたって、あたらしい職場での勤務がはじまるまでのあいだ、タイでのバカンスを楽しんでおきたい。

午後10時36分、全日空915便でバンコク・スワンナプーム国際空港に到着した。長蛇の列ができていた入国審査場を時間をかけて通過してから機内預けになっていた手荷物を受け取ると、いつものお楽しみである「税関」に接近した。スワンナプーム空港の税関は、旅行用のトランクをふたつ以上持っている入国者を見つけると、タイ語で荷物をエックス線の検査機に通すように要求し、その入国者がタイ人ではないことが分かると、トランクを開けさせて課税の対象となっている荷物の有無について重点的に検査する。今回は、高額な課税対象品をふたつも持って来ていたため、入国審査場から出たらすぐに日本人の証拠となるパスポートをカバンの奥底へ隠して、動揺を気取られないように注意を払いながら税関へ足を進めた。税関の係官からタイ語で มาจากไหนเนี่ย (どこから来たん?)と訊かれ、 จาแปนครับ (ジャパンから来ました)とタイ人発音の外来語で応じたところ、荷物をエックス線検査機へ通すように指示されたがトランクを開けるように言われることはなく、無事に通過できた。

「家の前にできていた洪水にクルマがハマって、エンジンかからなくなってしまったから、到着まであと1~2時間はかかりそう。ちょっと待っていてもらえないかしら?」

空港までの出迎えは、その課税対象品の持ち込みを依頼されていた友人に頼んでいたが、合流するために空港の1階にある公衆電話から電話をかけてみたところ、まだ到着しておらず、しかも「あと1~2時間はかかる」という話だった。この友人が言う時間的な目安は、たいてい「最低でも」といった意味合いだから、実際に到着するのはいつになるかまったく分かったものではない。やむなく友人の出迎えを断って、タクシーでホテルへ向かった。運賃は275バーツだった。

午後11時半、ペッブリー1街路にあるホテル Bangkok City Inn (1泊800バーツ)に到着した。このホテルは、客室で無料のインターネットに接続することができるため、これまでとても重宝してきたが、最近になって中東系の宿泊客が急増しており、ホテル全体に奇妙な臭いが漂うようになって困っている。午前1時、ペッブリー通りとプララームホック通りが交わるウルポング交差点を渡って、ペッブリー4街路にあるセブンイレブンへ行って、携帯電話のSIMカードを45バーツで購入した。

「せっかく美容室でブローして、化粧も完璧に決めてきたというのに・・・・・・」

空港到着6時間後の午前5時20分、 Bangkok City Inn の405号室でグッスリと眠っていたところ、扉を激しく叩く音が聞こえて目を覚ました。部屋の電気をつけてドアを開けてみたところ、そこには髪の毛が湿気でぐっちゃぐちゃになり、化粧が汗ですっかりと流れ落ちてしまっている友人が立っていた。故障したクルマを保険会社が手配したレッカー車に乗せて自動車整備工場まで移動させ、事情を両親に説明してから来たという。先月、運気を上げるために姓名を変えたと言っていたが、運が悪いのは相変わらずのようだった。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。