日本帰国 その13

午前8時50分、サゲーオ県アランヤプラテート郡の中心部にあるホテル「アランマーメイド」で、友人と米国式の朝食をとった。今回、はじめてタイ語でオムレツを注文した。食堂のテーブル席から窓の外へ目をやってみると、ヤシの葉が太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。ヤシの木を見ると常夏の熱帯地方にあるビーチリゾートを連想するが、それを海から遠く離れているこの内陸部で眺めてみるのもなかなかに風情がある。留学時代(~2006年)にカンボジア人のクラスメイトから聞いた話によると、カンボジアではヤシの栽培が盛んで、ヤシの木を数十本も持っていれば、それだけで生涯にわたって安定した収入が得られるという。ホテルの入口では、西洋人の観光客たちが、タイとカンボジアの国境があるローングルア市場へ向かう観光バスに、いままさに乗り込もうとしていた。

午前9時半、タイ国道33号線沿いにあるカンボジア王国のサゲーオ領事館へ行って、カンボジアの観光ビザを取得した(1,000バーツ, 滞在許可30日)。今回は、申請用紙に添付するための証明写真を用意していなかったため、100バーツの追加手数料を支払った。カンボジアの観光ビザは、タイから出国したあとでもカンボジア側にあるビザ事務所へ行けば手に入るが、そこに常駐している代筆屋が近寄ってきていろいろと面倒なため、時間が許すならこの領事館に立ち寄って、タイから出国する前にあらかじめ入手しておきたい。アランヤプラテートの中心部から国境ゲートまで80バーツでチャーターした三輪バイクタクシーのトゥックトゥックも、ここには無料で立ち寄ってくれた。

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午前10時、ローングルア市場にある国境からタイを出国した。この国境は、日本人のあいだでは「アランヤプラテート国境」として知られているが、タイ人たちのあいだでは「ローングルア市場前国境」と呼ばれており、ブランド品の模造品が安く買えることで知られている。現在、タイの入国審査場にあるアライバルビザの発給システムに不具合が生じているため、ビザ免除プログラムの対象となっていない国から来た人たちは、事前にタイの再入国許可証を取得してから出国しないとタイへ戻ってくるための手段がなくなってしまう。僕の前に割り込んできたインド人は、係官からこの件を指摘されて、なくなく出国をあきらめてバンコクへ引き返していった。

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「わたしはあの日陰で待っているから、さっさと済ませてきてよ」

約10分後、タイとカンボジアの国境を隔てている橋を渡って、カンボジア王国のバンテイメンチェイ州にある国境の街、ポーイペートへ入った。カンボジア側の入国審査場があるところまでの沿道には、左右に約200メートルにわたってカジノホテルがいくつも立ち並んでいる。

タイ人の観光客たちは、タイから出国したあと、カンボジアの入国手続をしないままカジノを楽しんで、カンボジアの出国手続をすることなくタイ側へ戻っていく。しかし、日本人を含む外国人は、カンボジアの入出国スタンプがないとタイへ再入国できない決まりになっているため、カジノ街の奥にあるカンボジアの入国審査場に立ち寄る必要がある。

カンボジア警察の治安能力を全く信用していないタイ人の友人は、入国審査場の入口付近で心細そうに待っていた。しかも、タイが領有権を主張しているカオプラウィハーン寺院を、カンボジア政府が2ヶ月前に、国際連合の教育科学文化機関に対してカンボジアの世界遺産として登録するように働きかけたことがきっかけで、タイとカンボジアの外交関係は極度に悪化して、両軍が国境線をまたいで対峙する一触即発の事態が今もなお続いており、両国の国民感情は最悪な状態になっている。

「ここの客は、みんなタイ人の年寄りばかりでしょう? みんな朝早くにバンコクから出発して、こうやってプレイしているのよ。深夜にカジノホテルを渡り歩いたところで、どうせ年寄りの夜は早いんだから、誰もいなくてツマラナイ思いをするだけよ。日に焼けるのはイヤだけど、やっぱりカジノは週末の昼に限るわね!」

昨晩すでに致命的なダメージを食らっている今回のカジノ旅行の満足度を少しでも挽回しようと、友人はそのように力説していた。しかし、太陽が高いうちから酒を飲む気分にはなれないし、酒抜きでプレイするカジノなんて中国人観光客たちのガチンコ勝負のようで好きになれない。でも友人の言うとおり、週末の日中にタイ人のカジノ客が多いのは間違いない。今回の戦績はつぎのとおり。

ポーイペート・カジノにおける8月17日の戦績

Holiday Palace Resort & Casino +1,000

Star Vegas International Resort & Casino -1,000

Tropicana Resort & Casino +1,000

午後2時すぎ、カンボジアの出国審査場へ行って、出国のスタンプをもらってから、タイに再入国した。その後、ローングルア市場にある駐車場へ行って、カジノホテル Star Vegas International Resort & Casino が委託して、旅行代理店のチャイヤユットツアーが運行している午後3時発のカジノバス(往路200バーツ, 復路100バーツ)に乗ってバンコクへ向かった。午後6時すぎ、スコールに見舞われて冠水しているバンコク・プララームスィー通りのボンガイで友人が下車。僕もルンピニー公園の前で下車して、そこからタクシーで帰宅した。

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部屋でシャワーを浴びてスッキリしてから、高架電車サーラーデーン駅の連絡橋にある美容室へ行って散髪(250バーツ)し、タニヤ2街路にある牛丼屋「牛野屋」で夕食をとった。この店は、日本国内にある牛丼屋「吉野屋」にそっくりの店だが、レトルト牛丼と同じぐらいの味は維持しており、バンコクの都内にある日本料理屋としては、まだまともなほうかもしれない。牛丼が恋しくなったときや二日酔いのときには、美味しく食べられそうだ。

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午後9時40分、テートサバーンソンクロ通りにあるパブ「ティットロム」へ行って、友人たちと合流した。郊外にある小型のパブだが、閉店直前になるとバンドのメンバーたちが総出演して、お祭りのような雰囲気になる。外国人の客がよほど珍しかったようで、いろいろな客から声をかけられた。

翌18日午前1時の閉店後、すぐにタクシーに乗って部屋へ戻り、午前5時35分まで別の友人と長電話した。ピパット2街路にあるサービスアパートメント Silom Convent Garden を午前6時20分にチェックアウトして、タクシーでバンコク・スワンナプーム空港へ移動して、出発ロビーにあるベンチに腰を下ろした。

「いま空港にいるんでしょう? 昨晩、何回も電話したのに!!」

―― ごめん。キャッチホンの設定を済ませていなかったんだ。いまは徹夜のせいであまり話す気分になれないから、日本に到着したらまた連絡するね。

そんな、周囲から見たらマヌケとしか思えないようなやりとりを何回か繰り返しているうちに、全日空916便バンコク発成田行きの搭乗手続が始まった。今回のバンコク滞在は、単なる旅行だったとはいえ、あまりにも準備が杜撰すぎた。前半で飛ばしすぎたせいか、のこり10日間にして、すでに消化試合のようになっていた。こんなんじゃ全然ダメだ。質・量ともに、まったくもってイケてない。次回の出張までに、バンコクにおける生活インフラの再構築を図り、各々の優先順位について、イチから見直しておきたい。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。