美しいピヂット娘につい目を奪われてしまう?

「もう、ピヂットをバカにしないでよね! ワットチャイモンコン、ワットタールワング、ワットワングロム。ほぉら、プラクルアングで有名なお寺だって、こんなにたくさんあるじゃないの。それにね、いまはちょっとメロディーが思い出せないけど、誰かの曲に『美しいピヂット娘につい目を奪われてしまう』というフレーズがあったじゃないの。どうせ行ったことがないんでしょう? それなら一度は見ておいても損はないはずよ」

午後7時50分に起床して、ペッブリー1街路にあるホテル Bangkok City Inn で朝食をとった。タイタナカーン銀行で中小企業向けの有担保ローンの営業をしている友人が午後1時15分にクルマでホテルまで迎えに来て、一路ピッサヌローク県を目指して北上していたところ、チャイナート県の付近にさしかかったあたりで、友人がピヂットに立ち寄ろうとしきりに駄々をこね始めた。この友人は、新入生歓迎式だけ参加して、その後すぐに転出してしまったピッサヌローク県にあるナレースワン大学へ通っていた一時期、母方の実家があるピヂット市街の中心部に住んでいたことがある。

ピヂット県の県都は、人口107,687人、人口密度161人/km²。ナーン川の畔にある、とてもこぢんまりとした街で、市街地の領域はわずか2km²ほどしかない。タイの北部にあるナコーンサワン県とピッサヌローク県のほぼ中間に位置しており、バンコクからの距離は約347キロ。産業は、農業、畜産業、漁業の順となっている。

このまま友人に押されっぱなしだと、本当に何もない、地方都市と呼べるかどうかも怪しいような街で、2009年のカウントダウンを迎える羽目になる。

「なんでカウントダウンなんかに拘ってんのよ? まったく外国人が考えていることは、本当に分からないことばかりだわ」

なんとかしてピヂット滞在を回避しようと努めていたが、一方の友人は次第にイライラを募らせていくばかりだった。このままでは本当にピヂットなんかで新年を迎えることになりかねない。議論が大詰めにさしかかり、「ピッサヌロークの観光名所『ワットプラスィーマハータートウォーラマハーウィハーン』でカウントダウンをしたいんだ!」と苦し紛れの理由を捻り出したところで、あえなくノックアウトされた。仏教寺院でカウントダウンなんて、あまりにも説得力がなさすぎた。

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午後6時10分、ピヂットに到着した。友人の祖父母や親族が集住している街路は、友人が言っていたとおり、確かに市街地の中心部にあった。住宅のレベルも、バンコクの郊外にある一般的な家屋と比較しても遜色がない。街路の入口にはインターネットカフェ、その向かいには銀行の支店があった。しかし、都市型の商業インフラの不備は、やはりいかんともし難かった。午後6時半に親族宅の二輪車に乗って買い出しに出かけた Tesco Lotus も、ミャンマーとの国境がある高地、チアングラーイ県メーサーイ郡にあった Tesco Lotus の小型店舗に映画館を併設した程度の規模で、あまりたいしたことはなかった。いよいよ今晩のカウントダウンに暗雲が立ちこめてきた。これはマズい。しかも、ピヂットの女性は、とてもではないが「美しい」といった言葉では形容できるようなものではなかった。友人は、「クラブへ行ってみれば分かる」と言っていたが、バイク移動が基本の地方都市で生活をしていれば、否が応でも肌を焼くような熱帯の日差しを浴びて、すぐに全身が真っ黒になってしまうことぐらい分かりきっている。タイでは、肌の色がくすんで見える女性は美しくないということになっており、たとえ日本人の女性といえども、彼らのような生活を送っていれば、どこの黒人か見分けがつかないほど真っ黒に日に焼けてしまうに違いない。

午後9時、ピヂット市街の中心部にある友人の親族宅で酒を飲みながら夕食をとっていたところ、少し離れた場所で酒を飲んでいたオジサンがやってきて皆に絡みはじめた。僕がとことん煩わしそうに応対をしていたところ、年末年始を利用してバンコクから遊びに来ている友人の従姉妹たちが「カラオケへ行こう」と助け船を出してくれた。みんな余所行きの格好に着替え、いつの間にか化粧まで終えていた。

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ところが、友人の従姉妹たちが途中で Jonnie Walker Red Label を調達して乗り込んだ先は、屋外に簡素なステージが設置されているだけの、タールワング町の町長のお宅だった。この光景は、タイの田舎が舞台になっている映画にたびたび登場する宴会のイメージそのまんまだった。ステージの上では、制服を着て拳銃を腰に下げたままの中年警察官がウイスキーグラスを片手に歌っており、ちょっとだけ偉そうにしている町長が MJ の真似事をしていたが、よくよく話を聞いてみたところ、町内における来年の雇用の見通しについて話していた。もう少し空気を読んでくれよと思いながら、どこかのオジサンが注いでくれたウイスキーを飲み、特に上手くもないカラオケを聴き続けた。まあ、地元の有力者であれば何をしても大抵のことは許されるんだろう。ステージの前では数人の若者たちが踊っており、その後方では30人ぐらいの地元民が酒を囲んでいた。ようやく歩けるようになったばかりの女児が、バラの花を片手にステージへ向かって駆けだしていったが、途中で気が変わったのか、バラを振り回しながら支離滅裂に踊り始めてしまった。警察官が歌い終えると、つぎに税務署の職員が指名されて、夫婦でステージへ上がっていった。

午後10時20分、これまで一度は見てみたいと思っていたが、同時に5分も見れば十分とも思っていた、田舎パーティーにウンザリしはじめてきた頃、友人の従姉妹たちが場所を変えようと声をかけてきた。このままでは、せっかくのオシャレが台無しだし、なによりも足下を縦横無尽に飛び交っている蚊に耐えられないという。そもそも、この種の宴会は都会派のバンコク人女性たちが好むようなノリではなかった。

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午後10時半、市内にある唯一のクラブ PLAZA PINK MUSIC に到着し、エントランスフィーをひとり80バーツずつ支払って入店した(こんなショボいエントランスフィーはバンコクでは聞いたことがない)。どんなカウントダウンがあるのかと楽しみにしていたが、2009年の1月1日午前零時は、バンドが入れ替わるあいだに流されていたヒップホップミュージックとともに平然と過ぎ去っていった。同時に、タイ=スナーウットの演歌「ピヂットの街の娘」にある「美しいピヂット娘につい目を奪われてしまう」というフレーズが、実はとんでもない皮肉だったと確信した。クラブ行きの化粧をしても、目も当てられないような風体では、もはや救いようがない。明らかに、自分たちのグループがいちばんまともだった。

翌1日の午前零時40分、市内にふたつしかないホテルが両方とも満室になっていることが判明した。急遽、友人の親族宅に僕の寝所が用意されたが、他人の家に泊まるのも落ち着かないと思い、バンコクへ引き返すことにした。途中、チャイナートの付近を時速140キロで運転中に何度か意識が遠のいたため、アユッタヤーの市街地へ入り、午前4時40分、ホテル「ウートーンイン」(1,400バーツ)にチェックインした。

まったく、とんでもない目に遭った。つくづく、タイにおける人間関係の質的な低下を痛感している。バンコクに戻ってきたら、ほかの何よりも優先して、まずはこの問題の解決に真っ先に取り組まなければならない。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。