タイの国論を二分している黄服派と赤服派

「もともとは黄服派だったけど、スワンナプーム空港占拠事件(2008年11月)がきっかけで赤服派に転向したの。だけど例のカレ(この友人が気に入っているオトコ)は黄服派のままだったから、ハイサヨウナラね」

午前8時50分、プララームホック22街路にある友人が契約している安アパートの一室で、部屋のドアが開く音がして目を覚ました。友人が近所にある屋台へ行って、朝食のお粥と大量の葡萄を買って来てくれた。けっきょく50分も眠れなかった。そして、昨晩から夜を徹してずっと続いてきたマシンガントークがすぐに再開された。

タイにおける政情不安について、軍事クーデターとあくなき政治闘争のことを心配されている方も多いと思うが、それは表面的な現象にすぎないため、この際、些細な問題として無視してもらってもかまわない。それよりも厄介なのは、タイの国論がタックスィン元首相派と反タックスィン元首相派で二分され、アラブ地域における宗派対立さながらの様相を呈してきていることであり、最近ではどちらの勢力を支持しているか、初対面の相手からいきなり立場を明確に示すように迫られることもある。

2006年の初頭に発覚したタックスィン・チンナワット首相(当時)による露骨な税金逃れと、反タックスィン派の民主市民連合による反政府救国キャンペーン。同年9月に発生した立憲君主制統治改革評議会による軍事クーデターにともなう、タックスィン首相の失脚とタイ愛国党政権の崩壊。2007年11月の反クーデター人民共同戦線(現在の国家反独裁民主共同戦線)による反軍政キャンペーン。同年12月の民政移管と人民力党(旧タイ愛国党)による政権奪還。2008年12月の憲法裁判所による人民力党の解党命令と、それにともなう民主党党首アピスィット・ウェーチャーチーワの首相就任を経て、タイの国政はますます混迷の度を深めている。

■ タックスィン元首相派 (赤服=国家反独裁民主共同戦線, リベラル派)

支持基盤: 新興起業家, 工場等の単純労働者, 農民等地方の貧困層
支持団体: タイ愛国党(非合法化)→人民力党(非合法化)→タイ貢献党, 国家反独裁民主共同戦線

タックスィン元首相はその在任期間中(2001-2006)、それまでのさまざまな既得権益を打破して、民衆の権利を拡大させ、農民等の貧困層に対する社会福祉を拡充するなど、国内産業の振興と社会民主主義の発展に対して大いに貢献した。一方、西洋的な社会民主主義を実現させるうえで障害となる、タイ王室の権威を貶めようと密かに企てており、その手始めとして、1970年頃までは立憲君主制における象徴的な存在に過ぎなかったプーミポン・アドゥンヤデート国王(在位1946-)を神格化させることに成功した、枢密院議長のプレーム・ティンスーラーノン陸軍大将を失脚させようと画策している。

■ 反タックスィン元首相派 (黄服=民主市民連合, 王統派, 保守派)

支持基盤: タイ王室, 古参事業家, 都市部の中間層, 大卒者および現役の大学生
支持団体: 立憲君主制統治改革評議会(解散)→国家安定評議会, 国軍, 憲法裁判所, 民主市民連合

タックスィン元首相はその在任期間中(2001-2006)、それまで社会的・経済的な優位にあって甘い汁を吸い続けてきた人々が独占していた既得権益を奪い、富の再分配を目的としたさまざまな政策によって、貧困層の発言力を拡大させた。これにより、都市部の中間層のほとんどが依存している外食の価格高騰を招き、都市部の中間層が有してきた社会的・経済的な比較優位が損なわれた。また、新興起業家の台頭によって、古参の事業家たちは次第に追い込まれていった。くわえて、相次ぐ4年制大学の新設と大卒者の急増によって、伝統ある高等教育機関を卒業した大卒者たちの競争優位が脅かされている。そのため、タイの階級社会における根幹をなしている王権の擁護を名目に、タックスィン元首相派が目指している社会民主主義的な政策から「古き良きタイ」を守ろうとしている。

実のところ、どちらを支持しているのかと訊かれるたびに回答に窮している。

社会科の教科書的には、赤服派(国家反独裁民主共同戦線)を支持していると答えたほうが無難で良さそうに思えるかもしれない。しかし、赤服派が標榜している「ホンモノの社会民主政治」を実現させるためには、口先では王権を支持すると主張しているが、実際のところ、王室を打倒もしくは無力化する必要がある。そんな支離滅裂な主張に、何の矛盾も感じることもなく、まんまと騙されてしまうタイ人たちも少なからずいるが、自分もその仲間入りをしてしまうというのは何とも情けない。それに、旧タイ愛国党(非合法化)に所属していた政治業者たちは、タックスィン元首相の改革によって創出された、あらたな利権構造に群がっていただけにすぎない。そんなものをどうして支持することができようか。

一方、黄服派(民主市民連合)は超が付くほどの保守派で、筆者の利害とも合致している。しかし、その主張はあまりにも反動的すぎて、諸手を挙げて支持を唱えることを難しくしている。世界的な民主化の流れに逆行して、1997年憲法で民選議会となった元老院(上院)の議員定数の約半数を今年、ふたたび政府による任命制に戻してしまった。さらに、過激な行動も目立ち、2008年11月25日から12月4日までの10日間にわたって、バンコク都内にあるドーンムアング、スワンナプームの両空港を不法に占拠して、自国の経済に対してGDPの約3%に相当する約2,900億バーツ(タイ中銀調べ)の打撃を与えた愚行は看過できない。当時、大至急で送る必要があった商品を空輸することができず、筆者自身も日常の業務において大変な迷惑をこうむった。

だから、「これが外国の出来事でよかった。僕は黄服も赤服も支持しない」と回答することにしている。

午前11時10分、ペッブリー1街路にあるホテル Bangkok City Inn へ戻ってシャワーを浴びてから、午後12時10分にチェックアウトした。午後12時50分、昨晩ハートヤイを発ってはるばる鉄道でバンコクまで戻ってきた高校時代の友人とンガームドゥープリー通りにあるゲストハウスで落ち合って、荷物だけチェックインをした。

午後2時30分、バンコク・モーチット発オンカラック経由アランヤプラテート行きの長距離バス1等乙車(204バーツ)に乗ってカンボジア国境へ向かい、午後7時35分、国境の約7キロ西にあるサゲーオ県アランヤプラテート郡に到着した。出入国管理業務が午後8時に終了してしまうため、三輪オートタクシー(トゥクトゥク)の運転手に全速力で向かうように依頼し、午後7時50分、ローングルア市場にある国境ゲート前に到着した。タイの出国審査場で出国スタンプをもらってからすぐにタイを出国し、カンボジア側へ入った。午後7時53分、カジノ街の手前にあるカンボジアの入管にアライバルビザ(1,100バーツ, 無写真反則金100バーツ含む)を申請し、午後7時58分、カンボジアの入国審査場で入国スタンプをもらった。

午後8時5分、ホテル Tropicana Resorts and Casino にチェックインした。換金不能チップを15,000バーツ分まとめて購入したところ、1泊分の宿泊費が無料となった。夕食後、同ホテルでブラックジャックをプレイしたところ、9,500バーツ相当の換金不能チップが8,100バーツの換金可能チップになった。1,400バーツの負けだった。

4 件のコメント

  • 渡航の時は黄色シャツ、留学中は赤に邪魔されました。
    赤の時は夜間外出禁止令が出て、その間多数の死傷者が出ました。
    懐かしいと思う反面、よくあんな危ない国住んでいたものだとも日本に帰り思います。
    私は選挙で勝ち続けている以上、赤を支持しますが
    物価、賃金が上昇する可能性が高いため、産業界は黄色を支持すると思います。

  • 渡航の時は黄色シャツ、留学中は赤に邪魔されました。
    赤の時は夜間外出禁止令が出て、その間多数の死傷者が出ました。
    懐かしいと思う反面、よくあんな危ない国住んでいたものだとも日本に帰り思います。
    私は選挙で勝ち続けている以上、赤を支持しますが
    物価、賃金が上昇する可能性が高いため、産業界は黄色を支持すると思います。

  • ですが、王政という制度で国民を統一し賃金を低く抑え
    海外から企業を誘致し不動産業等で既得権益層が潤うという他人のフンドシ的な発想では、成長はあまり見込ないと思います。
    数十年後、中国は先進国、タイは中進国のままとなる気がします。
    なので、日系企業としては中国よりタイの方がうまみを感じるのかもしれません。
    下請け国として。。。

  • ですが、王政という制度で国民を統一し賃金を低く抑え
    海外から企業を誘致し不動産業等で既得権益層が潤うという他人のフンドシ的な発想では、成長はあまり見込ないと思います。
    数十年後、中国は先進国、タイは中進国のままとなる気がします。
    なので、日系企業としては中国よりタイの方がうまみを感じるのかもしれません。
    下請け国として。。。

  • ABOUTこの記事をかいた人

    バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。