ランパーングは、タイの北部にある人口23万人、人口密度295人の静かな街で、ランパーング県の県庁が置かれている馬車の街としても知られている。アユッタヤー時代(1351-1767)にはケーラーングナコーンと呼ばれ、チアングマイに都があったラーンナー王国に帰属していた。そのラーンナー王国が約200年間にわたってミャンマーのタウングー朝による支配を受けていたこともあって、市内にある歴史的な建造物にはミャンマー文化の影響が今もなお色濃く残されている。
タイの北部全域は、タイ政府投資奨励委員会事務局(BOI)が外国資本の企業を誘致するために、生産設備をタイに輸入するときにかかる関税のほか、法人税を一定期間のあいだ減免する第三種投資奨励地域に指定しているほどの未開発地帯で、農業のほかにろくな産業がない。そこで、この地域に住んでいる「今どき」の少年少女たちは、近代的な生活に憧れて首都があるバンコクを目指すことになるが、比較的貧しい地域であるため教育の水準は低く、出自や学歴が特に重視されているタイの階級社会では、近代的な生活を手に入れることはおろか、生きていくために必要な収入すら満足に得られない。ところが、この地方出身の女性たちは、タイ人男性たちが好んでいる「色白で中国人的な容姿」をしているため、売春婦としての需要は大きく、生きていくため、そして都会で近代的な暮らしを手に入れるという上京当初の夢を実現させるために、売春婦へと身を落としてしまう少女たちも少なくない。
そして今、ここにその典型となりそうな少女がいる。
「今夜のバスで ขึ้นกรุงเทพฯ (クングルングテープ:上京)するから、午前4時にモーチットにあるバスターミナルまで迎えに来てね! 満席だったけど、泣きわめいてゴネてみせたら、乗せてもらえることになったから」
―― で、バンコクに来て、それからどうすんのさ? 仕事は? 住まいは?
「そのための兄貴じゃない? わたし、家事も料理もできるから任せてよね。ホントはヂェーングワッタナ通り(バンコク北部サーイマイ区)にいる親戚を頼ることになっていて、それでもやっぱり迷惑かけるのはイヤだなぁーって思っていたところだったんだけど、これにて一件落着、一生安泰。もう思い煩うことは何もないわ!」
マミアオちゃんは、今春ケーラーングナコーン中等学校を卒業したばかりの18歳で、農地と水牛だらけの山間部から上京し、グローバル化が著しいバンコクで自立した生活を営むことを夢見ている。ところが、バンコクで「健康で文化的な最低限度の生活」を送るためには最低でも毎月5,500バーツは必要であり、正規労働者でも6,500バーツ(首相府統計局, 2002年)しかもらえないようなタイ人の高卒労働者が、ここで近代的な生活を手に入れようなんて夢のまた夢の話だ。最悪の場合、線路脇にある家賃900バーツの掘っ立て小屋に住んで、1食15バーツの玉子焼き丼ばかりの生活を強いられる可能性だってある。
―― ムリだって。そもそも僕がいつバンコクに戻って来られるのかも分からないんだよ? それまでは自分だけの力で生きていかないといけない。それに、カネ、カネっていうのはイヤだけど、それでもやっぱり最低限のお金はないと、人間、死んじゃうんだよ?
「大丈夫だって。そのときは適当な อุปการะ(ウッパガーラ:サポーター)を見つけて何とかしてもらうから。近所にいるゴップ姉さんなんて、白人の男性からたくさんオカネをもらって、おっきい家まで建てたんだよ?」
日本は1960年以降、所得倍増計画(1960年)、中期経済計画(1965年)、経済社会発展計画(1967年)を相次いで達成し、毎年9パーセント前後の驚異的な経済成長を遂げた。それによって、日本と東南アジア諸国のあいだにあった経済的な格差はさらに拡大し、1983年頃になると東南アジア出身の女性たちが日本に殺到して「ジャパゆきさん」という言葉まで生まれた。当時、タイの農村部では貧困家庭がつぎつぎと豪邸を建設して、日本へ行って半年も働けば故郷へ帰って家が建てられるといった噂が一気に広がった。しかし、敬虔な仏教徒たちが大半を占めているタイで、両親を地獄に突き落とすともいわれている親不孝でもある売春に手を染めたと誰かに告白できるはずもなく、そのカネの出所について真相が語られることはついになかった。そのような事情もあって、今でも地方の農村部ではこのような伝承が信じられている。
―― サポーターって、つまり援交オヤジのことでしょ? そのオヤジたち、何の見返りもなしにカネをくれると思っているの? それにさ、初体験が援交なんて、死ぬまで一生後悔することになるよ?
「そのために今晩こんなに急いでバンコクへ行こうとしているんじゃないの! でもやっぱり初めてって痛いのかなあ?」
―― そういう問題じゃないだろう!? そこまで浮気に対して神経質になっているのに、売春とか本当にできんの?
「だって売春なんかしないもん。いっしょにお話しをして、オカネをもらうだけだもん」
―― ふぅん。じゃあきっと、そのゴップ姉さんも、西洋人の男性とお話しをしただけで家まで建ててもらえたんだね? 世の中のオッサンたちは、そんなことのために、人ひとりが一ヶ月間生活していけるだけのオカネを恵んでくれるんだぁ。
「もしヤバそうだったら、お酒にクスリ入れて『酔っぱらっていたときに一発やったのを忘れたの?』って言うから大丈夫よ。それがムリなら、最初から寝ている隙を見計らって、オカネだけ頂戴してくればいいんだし」
―― それ、睡眠薬強盗っていう犯罪だよ? 売春婦に堕ちるのも、犯罪者に堕ちるのも、あまり明るい未来の夢に繋がるようには思えないんだけど、もう少しマシな選択肢はないの?
「そんなの、買春しようなんて考えている、キモいオッサンの自業自得だよぉ。あとは・・・・・・ヂェーングワッタナ通りにある親戚のマッサージ屋でお手伝いをすることぐらいかなあ?」
―― お給料は?
「お手伝いだから4,000バーツもらえるかどうかも微妙」
―― 客層は?
「西洋人もいるけど、台湾人や韓国人が多いみたい」
マミアオちゃんには、現在3つの選択肢がある。そのなかで最もオススメしたいのは、工場労働者になるという選択だ。ここでは便宜的に選択肢1と呼ぶ。都会的かつ近代的な生活を送るのには心許ないが、それでも雇用はそこそこ安定しているし、一応の福利厚生だってある。タイ人全体の学歴が底上げされ、デパートの店員にも高専卒程度の学歴が求められるようになっているなか、これが彼女にとってのベストな進路となる。選択肢2は、若さとその美貌を最大限に生かして、優柔不断でカネを持っているオトコをゲットするという選択だ。自立した生活とは言えないかもしれないが、とりあえず近代的な生活を担保することはできる。しかし、この選択肢2は、マミアオちゃんの階級社会的な競争力を考慮すればかなりの確率で失敗するだろうから、第3の選択肢も視野に入れておく必要がある。すなわち、売春婦として日銭を稼ぎ、オトコのストックを増やしながら、選択肢2への回帰を目指すという選択肢だ。しかし、売春婦としてオトコのストックを増やしたところで、ストックの質があまりにもヒドすぎてまったく使い物にならないうえ、いろいろな意味で再起不能に陥るのが常である。
僕は無力だ。マミアオちゃんを救ってあげられるだけの力もない。そもそも、日本人の体をなしていないにも関わらず、図々しくもエスノセントリズム(日本民族優越主義)を撒き散らして、日本人全体の利益を甚だしく棄損しているバンコク在住の日本語話者たちを、かれこれ5年間かけてもまだ改心させられていない。せいぜいこの日記に彼らが直面している不都合な真実を書いて、見せしめとすることによって、これから道を踏み外そうとしている標準的な日本人(フルスペック日本人)が、これ以上道から外れることがないように歯止めをかけるので精一杯だ。
午後1時半、映画館 The Esplanade に併設されている Starbucks Coffee へ行って、友人と会った。差し出された名刺を見て、まともなオフィスで働いていることを知って驚いた。その後、滞在先のスクンウィット15街路にあるホテル Royal President の部屋へ戻って、ランパーング県に住んでいる友人と長電話をした。