タイ現採2020:タイ・バンコクで働く現地採用の収入と生活費・教育費・保険料等の支出について説明します(2020年版)

2005年1月のある日、僕たちヂュラーロンゴーン大学の修士課程に在学している日本人留学生の2人組は、タイ人の友人たちが大学や仕事が終わってから合流するまでのあいだ、いつもより少ない人数でスィーロム通りにある行きつけの珈琲屋 Bug and Bee でペーパーと呼ばれる課題小論文を書いていた。ちょうどそのころは2006年修了見込みの大学院生たちが日本で就職活動を始めるタイミングにあたり、僕たちの雑談の内容も次第に卒業後の進路の話題になっていった。

「タイへ留学に来たのはもちろん自分の趣味のためでもあるけれど、あえて極論するならより良い職業に就くことが最大の目的なんだから、現地採用なんかになってしまったら本末転倒だよ。卒業さえできれば目標は確実に達せられるし、順当に行けば何年か先には駐在員としてタイに返り咲くこともできるというのに、どうしてそんな愚かなことをしようと思ったの?」

筆者はそのころ、現地の日本人会社社長や銀行職員から2005年当時のバンコク現地採用の賃金相場の倍額(月給100,000バーツ)で誘いを受けていて、大学院の修了後にはタイにとどまって現地採用として働くつもりでいた。しかし、そのことを別の研究科に在籍していた日本人留学生に話したところ全力で阻止された。いや、していただいた、と表現しないといけないだろう。

なぜならわずか100,000バーツばかりの月収では、タイにおいて日本人としての平均的な購買力をキープできないばかりか、家族全員に世界水準の医療を受けさせることも、子供に日本人としての教育を与えることも、さらには老後に日本人としての平均的な暮らしをすることもできなかったからだ。

もしあのときの助言がなかったら、15年が経過した今、僕の人生設計や資金計画は完全に破綻し、もはや立て直しを図ることもできないほど壊滅的な手詰まりの状態に陥っていたことだろう。

1. 現地採用者がバンコクで生計を立てるときに考慮するべき日本との7つの違い

タイで現地の会社に直接雇用されて働く、いわゆる現地採用という形態で就業すると、日本で普通に働いていたときより収入が減少します。また、日本とタイの制度的な違いにより、日本ではかかることのなかったさまざまな追加費用が発生するようになります。

まずは日本とタイの違いについて7つの項目に分けてご紹介していきます。

1-1. 給与水準の違い

上のグラフは2019年に日本の厚生労働省が公表した平成30年国民生活基礎調査(p.10)に掲載されている2018年時点の世帯主の年齢階級別にみた一世帯当たりの平均所得金額です。それによると日本国内における世帯の平均年収は、29歳以下で376.1万円、30~39歳で574.1万円、40~49歳で702.2万円、50~59歳で782.4万円でした。

この金額を本稿を書き始めた2020年5月1日時点の為替レート(1バーツ=3.3295円)でタイバーツ建ての月収に換算すると、20代が94,133バーツ、30代が143,690バーツ、40代が175,752バーツ、50代が195,825バーツになります。タイの日本人現地採用者向けの求人サイトでは労働条件が年収ではなく月収で記載されていますで、本稿もそれにならって1か月あたりの金額で表記していくことにします。

ここでいう世帯所得には、世帯主の被雇用者所得(給与・賞与)のほか、児童手当などの社会保障給付金、配偶者の被雇用者所得、株や債券などの運用益が含まれています。いわゆる「税前」の金額ですので、実際の手取り収入はそこから税や社会保険料を差し引いたあとの金額になります。これ以降の項目ではみなさんと一緒に実際にいわゆる現地採用者世帯の家計をシミュレーションしながら見ていきますが、まずはこのときの手取り収入を平均的な日本国内における生計費と貯蓄原資を計算するための基準データとします。

現地情報に注意
現地採用者が書いているブログでは、平均的な日本人に対して劣っている自分の生活水準を少しでもマシなものに見せかけるために、さまざまな詭弁が弄されています。もし参考にされる場合には十分に注意を払いながら慎重に読み進めていただく必要があります。もはやボケと言ってよいレベルですから、ときにはツッコミを入れながら読むのも良いかもしれません。たとえば、日本の平均世帯年収は551.6万円で中央値は423.0万円ですから日本人は私たちが思っているほど裕福ではないのです(やったー!)、のような記述がみられますが、その金額には平均年収334.9万円の高齢者世帯が多数含まれています。定年を迎えて年金収入しかない高齢者世帯まで計算に入れてしまったら平均値が低くなるのは当たり前です。また、日本人の世帯年収は年々減少していっています(ざまあみろー!)、といった記述もみられますが、これは日本の少子高齢化が進行していくにつれて高齢者世帯の割合がじわじわと増加しているためで、子育て中の現役世代だけに注目してみると、日本人の世帯年収は2008年の688.5万円に対して2017年は743.6万円と、この10年間で55.1万円(7.4%)も増加しています。

一方で、それまで働いていた日本の会社を辞めてタイへ渡り、タイ国内の会社に直接雇用されてそれまでどおりの職種、職階で就業すると、収入は間違いなく減少することになります。JACリクルートメントが2019年に公表した The Salary Analysis in Asia 2019 によると、ほぼすべての業界で40%~60%と大幅に減少します。

パーソネルコンサルタント・タイランドが2019年に公表した在タイ日系企業給与福利厚生統計データをもとに、タイにおける日本人現地採用者の標準的な月収を筆者が独自の方法で試算したところ、つぎのようになりました。

タイにおける日本人現地採用者の月収(2019年)
平均月収:77,557バーツ(平均年齢39.56歳)
20代59,854バーツ、30代71,205バーツ、40代85,128バーツ、50代92,267バーツ

この水準は筆者の感覚からするとかなり高い印象ですが、古今東西、人材紹介会社が公表している賃金データというのはそういったものですから、この記事のなかで不平を鳴らしたところで仕方がありません。前回の2016年版では「日本人現地採用者の給与水準を不当に低く見積もって馬鹿にすんな」といったご指摘を多数いただきましたから、ほかに信頼に足る資料もありませんので、本稿ではこれを標準的な日本人現地採用者の給与(世帯主の被雇用者所得)とします。

ちなみに、このときの調査に回答したタイ国内の日系企業は1,318社で、そのうち日本人現地採用者を実際に雇い入れている割合は全体の37.2%もあったそうです。これも筆者の感覚よりかなり多い印象ですが、おそらく日本人がタイ国内に設立した小規模企業がその大半で、日本国内に経営母体を持たず日本国内の企業との取引もないため、筆者の目に留まる機会が少ないだけなのではないかと思っています。

現地情報に注意
現地採用者が書いているブログのなかには、平均的な現地採用者の月収があたかも100,000バーツもあるかのように書いているものがあります。しかしグラフ2で示したとおり、その割合はほんの一部分にすぎません。また年齢が上がっていくにつれて収入が多い現地採用者の割合も増えていきますが、かれらは現地採用者として内部昇格した人たちではなく、日本で経験を積んだうえで中年期以降にタイへ渡り途中参戦してきたようなつわものたちばかりですから、もし年功序列的な日本式の昇給昇格をイメージしてタイで働きはじめると、将来「こんなはずじゃなかった!」といった事態に直面することになります。

1-2. 個人所得課税率の違い

タイの個人所得税は、累進課税の変化率(傾斜)が大きく、課税所得を計算するときに実際の給与収入から差し引かれる人的控除の金額も少ないため、子供がいる世帯の場合、もし収入の総額が同じであればタイのほうが日本より税率も税額も高くなります。その差は収入が多い世帯ほど顕著になっていきます。

日本国内で1日あたりおおむね6時間以上働いている被雇用者は、日本の各種社会保険への加入が義務付けられています。ここで言う被雇用者には、いわゆる正社員(契約期間の定めのないフルタイム労働者)のほか、非正規雇用者(パート・アルバイト、契約社員、派遣社員)も含まれています。日本の社会保険のうち、健康保険、厚生年金保険、雇用保険は、被保険者となる被雇用者が保険料の半分あるいはそれよりもやや少ない金額を自己負担し、のこりの部分は事業主が負担しています。労働者災害補償保険だけは事業主が保険料の全額を負担してくれています。健康保険組合ではなく健康保険協会が運営している健康保険(協会けんぽ)に加入している東京都の会社員の場合ですと、給与収入(給与や賞与の総支給額)からその14.12%が社会保険料として差し引かれて、同時に課税所得(課税の対象となる所得)からも除外されますので、それだけ所得税や住民税が安くなります。健康保険組合の被保険者は保険料率が協会けんぽより2~3ポイント低いため、その分だけ社会保険料控除が減って所得税や住民税はほんのわずかですが高くなります。

筆者による注釈
総務省の全国消費実態調査によると、会社員世帯における配偶者の被雇用者所得は平均で年間約72万円でした。世帯主の配偶者控除(48万円)と給与所得控除(55万円)の合計金額(103万円)を満たしていませんので、本来であれば標準的な配偶者の被雇用者所得には所得税や住民税はかかっていないということなります。そのため、配偶者の被雇用者所得部分は、世帯の課税所得から除外したうえで所得税住民税や社会保険料の金額からも差し引いて計算しないといけないところですが、日本人の生活水準を不当に良く見せようとしているといった非難をまぬかれるために、これ以降の家計シミュレーションでは世帯収入のすべてを世帯主の被雇用者所得に依存している前提にして、ここではあえて課税対象のままにして計算しています(日本の手取り収入が実際より少なくなるようにしてあります)。
児童手当等の社会保障給付(年間約60万円)についてもその一部もしくは全部が非課税の扱いとなりますが、全国消費実態調査にはその内訳が明示されておらず正確な所得税額を導き出すことができませんでしたので、ここでは社会保障給付についても配偶者の被雇用者所得と同じように全額が課税対象になるようにして計算しています(日本の手取り収入が実際より少なくなるようにしてあります)。

一方で、タイ国内でいわゆる現地採用者という立場で就業すると、当然ですが日本の社会保険ではなくタイ独自の社会保険に加入することになります。日本でいうところの、健康保険、年金保険、雇用保険にあたる内容が保障されている一般的な社会保険制度です。ただし、被保険者が負担している保険料は最高でも月々わずか750バーツと少なく、その分だけ社会保険料控除の金額が少なくなりますので、ただでさえタイの所得課税率は高いというのに課税所得(課税の対象となる所得)まで高くなってしまいます。二重に効いてきますので所得税額は跳ね上がります。

しかし、タイで働いたときのほうが日本より所得課税率が低くなるケースも、一応ではありますがあることにはあります。任意で退職積立年金(กองทุนสํารองเลี้ยงชีพ / プロビデントファンド)や個人年金生命保険に加入して手取り収入の一部を老後資金に投資すれば、収入や投資金額にもよりますが、総支給額の最大35.46%を課税所得から除外して税負担を軽減することができます。その効率を最大まで高められるのは、年収1,666,667バーツ(月収138,889バーツ)の人が退職年金積立や退職投資信託などの老後資金に年間500,000バーツ(月平均41,667バーツ)投資して、さらに一般生命保険と健康損害保険に年間100,000バーツ(月平均8,333バーツ)支払ったときで、配偶者と子供ふたりの4人家族の場合ですと所得課税率は13.02%から4.70%へと大幅に軽減されます。

ただし、一般的ないわゆる日本人現地採用者の場合、これ以降の項目で詳しく説明していきますが、ほとんどの年代で生計費が確保できないような事態に陥りますので、ただでさえ少ない収入のなかからその資金の一部を老後に備えるための投資へ振り向けることはできず、課税控除はたいして受けられません。そのためタイの所得課税率は日本より高くなると考えておいて良いでしょう。

現地情報に注意
現地採用者が書いているブログのなかには「タイの所得税は日本より安い」といった記述がしばしばみられますが、残念ながらそれは単に収入が減ったから所得税額も減っているだけのことです。むしろ収入が減っているのにもかかわらずほぼ同じような所得課税率が適用されているのに違和感を持たないことが不思議でなりません。バカなんでしょうか? タイの個人所得税は高いですから、もしタイでの収入が日本と同程度あれば、日本のような手厚い年金給付が受けられるという見返りがないまま、タイの所得税だけで日本の所得税+住民税+厚生年金保険料と同じような金額を支払うことになります。

1-3. 生計費の違い

バンコクで日本にいたときと同じレベルの生活をしようとすると、生計費が東京より9%も多くかかるようになります。

人事コンサルタントのマーサージャパンは、各国政府が発表している物価指数のほか日本人の生活実態なども考慮に入れて、世界の主要各都市における日本人の生計費を計算した日本人世界生計費レポートを毎年発行しています。この資料は、赴任先の物価の違いなどによって自社の海外駐在員が不公平感を抱くことがないように、日本国内の会社が購入して自社の海外駐在員規程にある生計費補償額を決定するときに用いられるものです。

タイで日本人向けの商品を購入したりサービスを利用したりすると、かならず日本以上に高額な出費を強いられます。日本経済新聞の月々の購読料は、日本の1,472バーツに対してタイでは3,200バーツ(2.17倍)もします。タイ国内に49店舗ある定食屋の大戸屋が販売している「しまほっけの炭火焼き定食」は白米にチアングラーイ産のあきたこまちを使用しているにもかかわらず、日本の270バーツに対してタイでは419バーツ(1.55倍)もします。味噌(2.5倍)や日本酒(2倍~5倍)も日本からの輸入に頼ることになり、輸送費用のほか中間業者のマージンやタイ側の輸入関税が発生するため割高になります。外食の頻度も増えると思いますので、それだけ出費がかさむようになります。

この日本人世界生計費レポートで計算に含まれていない項目については、本来であれば勤務先から現物もしくは実費での支給を受けるべきものばかりですが、もし自費で賄おうとすればほとんどのケースで日本より費用がかさむようになります。セキュリティーがしっかりとしている住居の賃料は日本の1.5倍~2倍、子供の学校関係費は日本の3.11倍もかかります。自動車のトヨタ・カムリ(排気量2,487cc)はチャチューングサオ県にあるゲートウェイシティ工業団地で生産されているにもかかわらず、日本の1,037,993バーツに対してタイ製は1,599,000バーツ(1.54倍)もします。

現地情報に注意
現地採用者が書いているブログでは、タイは食費が安い、家賃も安い、だから日本より少ない収入でも大丈夫、といった記述が随所にみられますが、まったくそんなことはありません。全然ダメです。食事も住居も品質は値段相応です。日本にはないような低品質なモノやサービスが存在しているだけのことです。つまり、タイは安い、と言っているような人たちは、日本にはないような低品質なモノやサービスに囲まれて生活しているだけ、ということになります。唯一の例外は現地の果物ぐらいのものです。ただ単にバンコクで生活していくだけであれば、バンコク都民世帯の平均生計費(月額35,350.70バーツ/1.86人)さえ確保できていれば誰にだってできます。単身者ならもうすこし少なくても何とかなるはずです。

1-4. 学校関係費の違い

タイで子供に日本人としての教育を受けさせると、日本で公立学校へ通わせたときと比べて、学校関係の費用が幼稚園入園から高校卒業までの15年間で子供ひとりにつき4,088,157バーツ(月平均22,712バーツ)も多くかかるようになります。

タイにおける日本人学校(小中学校)である泰日協会学校の児童生徒の学力は、もちろん個人差はありますが、日本国内の公立学校よりは高いとされていました。授業料がタイの公立学校と比べて高いため、貧しくて問題のある世帯の子供たちが入学できず最初から除外されていることに加え、授業料を自前で支払えたり勤務先に支払ってもらえたりといった比較的裕福な世帯の両親は日本国内の平均的な家庭と比べたときに子供の教育に対する意識が高いためです。私立在外教育施設である如水館バンコク国際学校高等部(高等学校)については、筆者が帰国したあとの2012年に設立されたため情報がなく、実際に直接評判を聞いたこともないため、(なんとなく想像はつきますが)ここでは何とも言えません。

現地情報に注意
現地採用者が書いているブログでは、日本人学校(泰日協会学校の小学部と中学部)の授業料はボッタクリだ、といった記述がみられますが、まったくそんなことはありません。通学バスの利用料金(月額8,500バーツ)が学校関係費全体を1.4倍に押し上げているだけのことです。実際に泰日協会学校へ支払う校納金そのものは、教員の海外駐在経費が発生しているにもかかわらず、日本国内の私立学校と比べてなんと33%も安いのです。

1-5. 健康保険制度の違い

タイで家族全員に国際基準を満たす医療を受けさせようとすると、世帯主の年齢が35歳の標準的な家族構成の場合、健康保険料の自己負担額が日本にいたときより毎月9,574バーツも多くかかるようになります。

ただしタイの健康損害保険では医療費の全額が保障の対象となるため、日本にいたときに医療機関や調剤薬局で支払っていた1か月あたり2,053バーツの窓口負担はなくなります(これ以降の家計シミュレーションでは、日本人の平均的な手取り収入から医療費と調剤薬局の平均窓口負担額を差し引いて計算するようします)。

タイの社会保険は保険料の被保険者負担分が月額750バーツとただでさえ少ないのですが、そのうち日本の国民健康保険にあたる公的健康保険部分はわずか225バーツしかありません。保障の内容も保険料相応といったところで、残念ながら日本のような手厚い保障が受けられるわけではありません。当然ですが、日本人観光客が海外旅行傷害保険を利用して受診しているような国際基準を満たす医療機関にかかることもできません。しかも保障の対象が被保険者本人だけに限られているため、被保険者の配偶者や子供といった扶養家族の医療費は保障されません。

そのためタイの社会保険制度に頼ることになるいわゆる日本人現地採用者の世帯は、アメリカなどの低福祉国で暮らすのと同じように民間の健康損害保険に任意加入して、家族全員分の保険料を自分の手取り収入のなかから支払っていく必要があります。ここではウィリア損害保険会社が販売している健康損害保険商品「ウンジャイラック」のプラン③に加入する前提で計算しています。

日本の国民健康保険制度のもとでは保険料が世帯収入に対して一定の割合で徴収されますが、タイの健康損害保険はあくまでも民間の損害保険ですから世帯収入にかかわらず本人の年齢やその家族構成に応じて一定の金額が保険料としてかかってきます。保険金給付には年間上限金額の定め(この試算では年間3,000,000バーツまで)があります。60歳になると新規加入ができなくなり、80歳になると更新もできなくなります。自動車保険と同じように、保険料が被保険者の年齢や給付実績に応じて毎年改定されますので注意が必要です。

現地情報に注意
現地採用者が書いているブログでは、タイの社会保険(月額750バーツ)でも十分な医療が受けられるから大丈夫、といった記述がみられますが、本当でしょうか? タイの社会保険は財政状態が悪く、医療機関への支払いを渋っているため必要な検査までもが省略され、そのせいで病気の早期発見が遅れて死んでしまった、というのはそれこそよく聞く話です。必要な検査が実施されない(実施できない)医療は発展途上国水準の医療です。ぜんぜん十分でも大丈夫でもありません。

1-6. 老齢年金保険制度の違い

タイで日本の厚生年金の平均受給額と同じ水準の老齢年金を受け取れるようにするためには、日本で平均的な収入を得ていた35歳男性がタイへ移住した場合、年金保険料の自己負担額が毎月11,097バーツも多くかかります。

日本年金機構が2020年に公表した令和2年4月分からの年金額等についてによると、平均的な収入(賞与含む月額換算131,851バーツ)の人が日本で40年間就業したときに受け取れる年金(老齢厚生年金と夫婦ふたり分の老齢基礎年金)は月額66,155バーツとされています。ここには週30時間以上働いている派遣スタッフやパート従業員も含まれていますので実際の受給額はそれより高くなりますが、ほかに信頼に足る資料もありませんので本稿ではこれを日本の標準的な世帯における厚生年金の受給額として取り扱います(日本の年金給付額が実際より少なくなるように計算しています)。

筆者による注釈
日本の老齢年金給付の不足額が表8でマイナスの表示(平均より多くもらえること)になっているのは、本来であればかからないはずの配偶者の被雇用者所得(103万円以下)のほか、児童手当等の社会保障給付にも税や保険料がかかる前提で計算しているためです(日本の手取り収入が実際より少なくなるようにしてあります)。また週30時間以上働いている派遣スタッフやパート従業員が平均を押し下げていることも、世帯単位でみたときの年金給付額が平均に対して上振れする要因となっています。

ありとあらゆる老齢年金保険のなかでも費用対効果がもっとも高いのは、日本政府の責任のもとで運営されている国民年金です。2009年からは給付額の半分が国庫(日本に住んでいる人たちが支払っている消費税等)から補填され、さらには年金特別会計の厚生年金勘定(日本の会社員が支払っている厚生年金保険料)からも充当されるようになっていますので大変お得です。日本の消費税や厚生年金保険料を負担することなく、日本人としての恩恵にあずかることができます。タイへ移住したあとでも継続できますので、国民年金の保険料はかならず支払っておいてしてください。年金支給開始年齢が引き上げられたといっても、いまでも国民年金に支払ってきた保険料は74歳7か月まで生きられれば元が取れます。20歳からの60歳までの40年間にわたって毎月4,968バーツの保険料を欠かさずに支払い続けていれば、65歳から月額19,565バーツの年金給付を生涯受け取り続けることができます。夫婦で加入していれば給付額はその倍の月額39,130バーツにもなります。

国民年金(基礎年金)部分はタイへ移住しても維持できますが、残念ながら給付額が月額27,025バーツの厚生年金部分についてはその一部もしくは全部を失うことになります。

タイの社会保険料(被保険者負担分)は月額750バーツとただでさえ少ないのですが、そのうち日本の厚生年金保険にあたる公的年金保険部分はわずか450バーツしかありません。とうぜん年金給付額も少なく、20歳からの60歳までの40年間にわたってタイの社会保険料の上限金額である750バーツを欠かさずに支払い続けた人であっても、月々わずか8,625バーツしか受け取れません。

でも安心してください。まだ何とかする方法はあります。日本人の平均給付額に対する不足分は、民間の個人年金生命保険に加入することでカバーすればいいのです。

たとえば、22歳の人がAIAタイランドの個人年金生命保険「エーアイエー・年金スマート・アット60」に加入して保険料を60歳まで支払い続けた場合、90歳まで生きられれば支払ってきた保険料の総額に対して2.56倍のリターンが得られます(ただし給付は90歳で打ち切りとなります)。加入したときの年齢にもよりますが、おおむね75歳まで生きられれば支払ってきた保険料の元が取れます。元が取れるより前に死亡した場合には遺族に死亡一時金が支払われます。タイの個人年金生命保険は、年収の15%あるいは年間200,000バーツのうちいずれか金額が低くなるほうを上限として、支払った保険料を課税所得から控除できるという税制上のメリットもあります。

日本で働いていたときの収入が平均以下であったり、そもそも厚生年金保険に加入していなかったりといったケースでは、将来に受け取れる年金の額がさらに不足することになりますので、個人年金生命保険に支払う保険料をあらかじめ増やして考えておく必要があります。この試算では夫婦のどちらか一方が国民年金に加入していないことを前提としていますので、夫婦がそろって国民年金を継続しているケースでは支払う保険料は半分ぐらいまで減らせるかもしれません。

個人年金生命保険の保険料は、加入したときの年齢によって違ってきますが、加入年齢ごとの給付額とは正比例の関係にありますので、上の資料(表8やグラフ4)を参考にすれば個人の実情に応じた適切な保険料を自ら計算して導き出すことができるはずです。

また、日本とタイでは年金制度の設計や社会保障に対する考え方に違いがありますので、それにもしっかりと注意を払っておく必要があります。年金支給の開始年齢も異なります。

日本では年金支給開始年齢が2013年から段階的に引き上げられて現在では65歳からとなっていますが、2015年4月に改正された高年齢者雇用安定法で会社には65歳までの継続雇用が義務付けられるようになりましたので、現在では継続雇用制度を利用して支給が開始されるまでのあいだも働き続けることで収入のない空白期間を作らずにやり過ごすことができます。基礎年金部分はその半分が税金によって補填されているうえ、会社員であれば厚生年金部分を含む年金保険料全体の半分を事業主に負担してもらえるため、民間のどんな保険商品と比べても被保険者が支払ってきた保険料に対するリターンが大きくなります。厚生年金保険の被保険者は配偶者分の国民年金保険料が免除されていることもあって、妻帯者であればおおむね71歳2か月まで生きられれば支払ってきた保険料の元が取れます(配偶者がいない場合でも73歳3か月で元が取れます)。ほかにも障害厚生年金や遺族厚生年金など、基礎年金にはないさまざまな特典があるのは大きなメリットです(たとえば遺族基礎年金は子供が18歳になったら打ち切られてしまいますが、遺族厚生年金は自分の死後も配偶者が生きているかぎり受け取り続けることができます)。

一方、タイの社会保険の被保険者は60歳から一生涯にわたり公的年金の給付を受けられますが、60歳定年制が法律(労働者保護法:พระราชบัญญัติคุ้มครองแรงงานฉบับที่ 6 พ.ศ.2560)で義務付けられた2017年より前から勤務先の就業規則に定年年齢の規定があった場合にはこれまでどおり55歳で定年を迎えて退職することになりますので、年金支給開始年齢までの5年間は収入のない空白期間となります。日本で継続雇用制度を利用しなかったときの空白期間は5年間ですので、日本とタイを比較するときの条件をそろえるために、ここでは給付開始年齢が65歳ではなく60歳の個人年金保険に加入する前提で計算していくことにします。

現地情報に注意
現地採用者が書いているブログでは、日本の年金制度は早晩破綻するから年金保険料なんか払っていても払っていなくても同じようなもの、むしろ払うだけ損(加入義務がなくてラッキー!)、といった記述がみられますが、まったくそんなことはありません。この議論は20年以上も前からされてきましたが、財政状況に問題があるのはその開始当初から大盤振る舞いをしていた国民年金だけで、会社員が加入している厚生年金はまさに健全そのものです。しかも年金給付の財源不足を補って無年金者を減らすために日本ではこの10年間で働き方のルールが変わり、2009年からは国庫からも補填されるようになっています。現地採用者は日本人であれば誰もが受け取れる年金が自分だけはもらえないという切実な問題から目をそらしてばかりいないで、タイでもそれなりの年金が受け取れるように今からでも手を打っておくべきです。それも早ければ早いほど良いです。そのまま何もせずに中年期を迎えてしまったら月々の保険料が2倍ではなく2.94倍(加入年齢22歳と40歳の月額年金保険料の比較)に値上げされますので、いよいよもって手の付けられないような状態になります。定年退職の日がそのまま自分の命日になってしまいますよ。

1-7. 退職年金制度の違い

中央労働委員会が2020年に公表した令和元年退職金、年金及び定年制事情調査によると、日本における大卒者の退職年金は平均で7,541,973バーツです。いわゆる日本人現地採用者がそれと同じだけ金額を定年退職時に受け取れるようにするためには、35歳でタイに移住し、60歳までの全期間にわたって標準的な月給をキープしつづけ、さらには事業主に月給の10%にあたる資金を退職年金積立に拠出してもらえた、といった非常に恵まれている部類の人であっても、日本では自己負担することのなかった退職年金関係費用があらたに毎月16,620バーツもかかるようになります。

筆者による注釈
厚生労働省の外局にあたる中央労働委員会はこのような調査結果を発表していますが、東京都産業労働局の「中小企業の賃金・退職金事情(平成30年版)」では定年退職金の平均は3,614,356バーツとされています。日本の被雇用者の70.1%が勤務している中小企業を基準に考えるのなら、退職投資信託への投資額はもう少し減らしても良いのかもしれません。

日本では退職年金(企業型確定給付年金や企業型確定拠出年金)の掛金は事業主が全額負担してくれていますが、タイでは事業主と被保険者の双方が月給の10%ずつ(割合は勤務先の年金基金規約によって異なります)を退職年金積立基金(กองทุนสำรองเลี้ยงชีพ/プロビデントファンド)に拠出していくことになります。それだけでは事業主負担分だけで見たときの積立金拠出額が日本における定年退職年金の平均に対して不足してしまいますので、それを補うためにここでは自分の手取り収入のなかからその一部を退職投資信託基金(RMF: Retirement Mutual Fund)の購入へ振り向けておくことをお勧めします。タイの退職投資信託基金は、退職積立年金とあわせたときに年収の30%以下あるいは年間500,000バーツのうちいずれか金額が低くなるほうを上限として、支払った費用が課税所得から控除されるという税制上のメリットがあります。

本稿の現地採用者世帯の家計シミュレーションでは、事業主が退職年金関係費用のすべてを負担するべきという日本的な考え方(確定給付型)にもとづいて、事業主負担額だけをもとに比較していきます。そのため退職年金積立と退職投資信託の運用利回りはゼロとして計算します。また退職年金積立の被保険者負担分については、日本でいうところの個人の「貯蓄原資」にあたりますので、ここでは毎月の給与から源泉徴収されて財形貯蓄のようなものに回している、といった解釈をします。この試算に対して退職年金積立の事業主拠出割合が低かったり、加入者の月収が低く事業主負担額が少なかったりといったケースでは不足額が拡大することになりますので、手取り収入のなかから退職投資信託の購入へ振り向ける資金を増やす必要があります。

2. 現地採用者が家計収支の均衡を図るために必要な8つの割り切り

これまでの試算で、平均的な30代の日本人がタイ国内で直接雇用されて標準的な労働条件で就業すると、普通に日本で働いていたときと比べて世帯収入が半減してしまうことが分かりました。

また、日本人として平均的な購買力を確保しながら家族全員に世界水準の医療を受けさせて、子供には日本人としての教育を与え、老後に日本人の平均的な暮らしをしようとすると、それぞれ生計費が1.09倍、学校関係費が3.11倍、健康保険料が2.35倍、年金保険料が1.84倍に増加し、さらに退職年金の積立費用の一部まで自己負担しないといけなくなることが分かっています。

つまり収入が激減する一方で、固定費はべらぼうにかかるようになります。

タイにおけるいわゆる日本人現地採用者たちのなかには、タイの雇用慣行に対する一般的な日本人の無知に付け込んで、本当は全然足りていないにもかかわらず、私たちにはプロビデントファンド(PVD:退職年金積立制度)があるから大丈夫!と言って強がってみせる方が多数いますので、ここではその詭弁を封じるために月給に対する退職積立年金の事業主負担割合を平均の6%よりもやや高い10%に設定することで、いわゆる日本人現地採用者たちが実際より恵まれているといった前提で見ていきたいと思います。タイには退職年金積立制度を導入していない会社もまだまだたくさんありますので、あわせて退職年金積立制度がない会社に勤務している日本人現地採用者世帯のケースも見ていくことにします。

内閣府が2019年に公表した令和元年版少子化社会対策白書によると、日本における出産時の平均年齢は第一子が30歳、第二子が33歳とされています。30代でタイへ移住したことにすると日本人世帯の標準的な家族構成から逸脱してしまいますので、ここでは25歳からバンコクで現地採用として働き始めた、という前提にします。

まずは退職年金積立(PVD:プロビデントファンド)の労使拠出額が月給のそれぞれ10%ずつの日本人現地採用者のケースを見てみましょう。25歳で50,151バーツ、35歳で116,802バーツ、45歳で151,741バーツ、55歳で103,601バーツの不足が毎月のように発生していきます。特に子供の学校関係費がかかる30代中盤から50代前半にかけての22年間は、ほとんどの年で生計費(貯蓄や非定常支出を除いた月々の生活費)がゼロを下回ります。

つぎに退職年金積立制度に加入していない日本人現地採用者のケースを見てみましょう。事業主が退職年金積立の一部を負担してくれないため、その分まで現地採用者が自己負担して積み立てていかないといけませんので、毎月の不足額は退職年金積立10%のケースよりも多くなります。25歳で57,755バーツ、35歳で120,056バーツ、45歳で161,748バーツ、55歳で114,476バーツの不足です。子供の学校関係費がかかる30代中盤から50代前半にかけての22年間は、すべての年で生計費がゼロを下回ります。

つまり、平均的な日本人と同じ水準の年金や退職金を得るために必要な保険に加入して、さらに子供の学校関係費まで支払ってしまったら、いわゆる日本人現地採用者の手元には家賃や食費の支払いのために使えるお金は1バーツも残らない、ということになります。

はなから日本人がタイで現地採用として働くのは無謀なのです。

それでも、いわゆる日本人現地採用者たちがバンコクで生活をしていけないというわけではありません。タイの国家統計庁が2019年に公表した家計収支統計によりますと、平均1.86人のバンコク都民世帯の支出は月額35,350.70バーツとされていますから、たとえ配偶者と子供ふたりの4人家族であってもバンコク都民の平均程度かそれよりややマシなぐらいの生活はできるはずです。

ただし、それはあくまでもバンコク都民とほぼ同じ水準の生活ができるというだけの話ですので、バンコクで日本人として生きていこうとするのなら、自分が日本人として大切にしているものを何かひとつもしくは複数あるいは全部を犠牲にしてでも出費を抑制することで、毎月の収支がゼロを下回らないようになるまで段階的に日本人としての生活の度合いを切り下げていく必要があります。

それでは、なにから割り切っていけば良いのか考えてみましょう。

2-1. 子供の人数を抑制する

子供はたくさんいれば中年期以降の生活が華やかになり毎日の楽しみも増えていきますが、それ比例して健康損害保険料と学校関係費の負担が家計に重くのしかかるようになります。

ひとりの女性が生涯に産む子どもの数をあらわす合計特殊出生率は、生涯未婚の女性も含まれていますがいちおう日本では1.42、タイでも1.53とされていますから、わざわざ配偶者に子供をふたりも産んでもらう必要はありません。ひとりだけで十分です。まったくおかしくはありません。いわゆる日本人現地採用者がバンコクで生計を立てていこうとするのなら、まず子供の数はひとりまでにしておきましょう。そうすることで、子供の年齢や通わせる学校にもよりますが月々約27,000バーツの節約になります。

結婚しない、子供は作らない、というのも有力な選択肢です(むしろそうするべきです)。

しかし、この対策だけでは30代と40代の生計費がゼロ未満となって生活できないため、ほかの対策もあわせて導入していく必要があります。

2-2. 退職投資信託の購入を取りやめる

退職投資信託(RMF: Retirement Mutual Fund)は、個人所得税の控除額を増やすことで税負担を軽くするとともに、タイで働いたときに不足する将来の退職金収入を補填するために購入するものですが、そんなものは生活資金を確保するためにやめてしまいましょう。そうすることで7,541,973バーツの退職年金は失いますが、月々18,485バーツの節約になります。

タイで現地採用として働いている人たちは日本の会社を辞めてタイに来た時点で当然将来の退職金収入の目減りは覚悟できていたでしょうし、たとえ日本に留まっていたところで転職は何度かしていたでしょうから、タイへ移住しなかったとしてもどうせまとまった金額の退職年金は受け取れなかったはずです。

なにも、もともと手に入らなかったものを手に入れるために辛く苦しい思いをする必要はありません。この段階ではまだ国民年金(年金給付月額19,565バーツ)と個人年金生命保険(同39,090バーツ)に加入していますし、タイの公的老齢年金(同7,500バーツ)もありますから、たとえ退職金収入がなくなったところで死に直面するような事態にはならないでしょう。ということで、退職投資信託には資金を回さないことにします。

しかし、この対策を実行したところで30代の生計費がほぼゼロ、40代の生計費がゼロ未満となって生活できないため、あわせてほかの対策も導入していく必要があります。

2-3. 健康損害保険には加入しない

健康損害保険は、個人所得税の控除額を増やすことで税負担を軽くするとともに、発展途上国のタイで家族全員が世界水準を満たす医療を受けるために加入するものですが、そんなものは生活資金を確保するためにやめてしまいましょう。そうすることで、年代や家族構成にもよりますが月々10,196バーツの節約になります。

平均寿命で比較すると、日本人男性の81.23歳(東京都に限れば81.07歳)に対してタイ人男性は69.93歳(バンコク都に限れば74.57歳)と約11年短くなっています。しかし日本とタイの医療システムの違いによるものだとは言い切れません。大気汚染(日本117:タイ166)の影響かもしれませんし、人口10万人あたり交通死亡事故件数(日本5.2:タイ38.1)の違いによるものかもしれません。もし救急車の現場到着所要時間の違いが原因であれば、渋滞がひどいバンコクに住んでいてはたとえどんなに良い医療機関にかかることができたところで死ぬときには死にます。

いずれにしても、一般的なタイ人と同じ水準の医療を受けたところでただちに死ぬわけではありません。もう、そのように信じるしかありません。ほかの日本人在住者たちがバンコクの中間層以上向けの良い病院に通っているのを横目に、経済的な理由で自分だけ発展途上国の庶民向け病院に通わざるを得ないということに一種の理不尽さのようなものを感じるかもしれませんが、そんなことはどうでも良いのです。食っていくためには仕方がないのです。保険料の自己負担分が月額750バーツのタイの社会保険にさえ入っていれば(十分とは言えないかもしれませんが)いちおうの医療は受けることができます。社会保険の保障対象とならない妻や子については……家族とはいってもしょせんは他人です。まともな医療が受けられずに死んでしまったとしてもそれはそれで仕方ありません。お気の毒ですが、お金がないのですからどうしようもありません。というわけで、健康損害保険には加入しないことにします。

しかし、これだけの対策を実行したところで、まだまだ焼け石に水です。なんとかなるのは比較的恵まれた労働条件(平均の1.23倍~1.34倍)のもとで働いている日本人の共働き世帯だけです。夫婦そろって超優秀じゃないとダメです。現地採用者ひとりの収入だけでは30代と40代の生計費が平均1.86人のバンコク都民世帯(月額35,350.70バーツ)に対して0%~56%の水準(ゼロ~19,926バーツ)しか確保できておらず生活をしていけませんので、あわせてほかの対策も導入していく必要があります。

2-4. 貯蓄はしない

このあたりから結構キツい内容になってきます。

この段階ではまだ国民年金(年金給付月額19,565バーツ)と個人年金生命保険(同39,090バーツ)に加入していますし、タイの公的老齢年金(同7,500バーツ)もありますから、貯蓄がなかったとしても将来生きていけないということにはならないでしょう。なので、毎月の手取り収入のなかから年金関係と子供の学校関係の費用だけを残して、あとはすべて生活費に充てることにします。貯金はいっさいしません。ぜんぶ使い切る前提とします。そうすることで、年代にもよりますが月々の収入が24,361バーツ~52,465バーツ少なくなってしまっても家計をやりくりできる計算になります。持ち家や自家用車はもちろん、スマートフォンやゲーム機の購入も諦めざるを得なくなりますが、そもそもの生活費が足りていないのですから貯金をするしない以前の問題です。

総務省統計局が2019年に公表した家計調査報告によると、日本人の貯蓄率(手取り収入のうちすぐには使わず預貯金に回している割合)は、20代で40.7%、30代で34.2%、40代で30.0%、50代で26.4%です。

本稿では、退職年金積立の自己負担分は貯蓄的要素としてみなしていますので、まずはそれを不要な収入として削除し、さらに「生計費+貯蓄原資」のうち貯蓄原資にあたる部分も同様に削除することで、とにもかくにも「たとえ収入が少なくても生活していける」といった仮説を成り立たせることを優先させましょう。

退職年金積立基金はこの段階で脱退することになります。

しかし、これだけの対策を実行したところで、まだ現地採用者ひとりの収入だけでは30代と40代の生計費が平均1.86人のバンコク都民世帯(月額35,350.70バーツ)の19%~56%の水準(6,697バーツ~19,926バーツ)しか確保できていません。それでも、配偶者に標準的な日本人現地採用者よりやや少ない程度の稼ぎがあれば平均的な日本人家庭と同じだけの生計費を確保できる、というところまでようやくたどり着くことができました!

なにしろ本来であれば貯金に回しているはずの24,361バーツ~52,465バーツのお金を毎月のようにドブに捨て続け、発展途上国レベルの医療で妥協することで、健康も退職金も持ち家も自家用車もスマホもニンテンドースイッチも全部ぜーんぶ諦めるわけですから、どんなにひどい労働条件のもとで働いていても配偶者に働きに出てもらればなんとかなるのは当然のことです。

それでもまだ生活費が足りないようであれば、さらに次の手を打たざるを得ません。

2-5. 子供の学校関係費を圧縮する

学校関係費は、日本人の子供を持つ親としてはもっとも手を付けたくない費目となりますが、無理をして支払うにしても家計の負担があまりにも重すぎます。無い袖は振れません。そこで家計の状況に応じて、自分の子供に与える日本人教育の水準を段階的に引き下げていくことにしましょう。

選択肢は7つあります。ほぼ完全に近い日本人として育てる【日本人教育プランA】、費用を節約しつつそれを実現しようとする【日本人教育プランB】、日本人としての教育は義務教育だけで諦める【日本人教育プランC】、上流家庭と同等の教育を与える【上流教育プラン】、優秀なタイ人として育てる【タイ人中間層プランの上】、平均的なバンコク都民として育てる【タイ人中間層プランの中】、費用を極限まで抑制するために劣悪な教育環境のなかで学ばせる【タイ人庶民プラン】です。

筆者のこだわりもあり、ここでは公共交通機関を利用して通学させることを前提に小中学校のみ日本人としての教育を与え、高校は格安の国際学校へ通わせる「日本人教育プランC」を選択します。そうすることで、年代や家族構成にもよりますが月々12,628バーツの節約になります。

それぞれのプランの詳細は以下のとおりです。

上流教育プラン

ここでは「どのように生活費を切り詰めていくのか」について検討しているところですので、標準的な現地採用者の収入とほぼ同じだけの費用がかかる国際学校(インターナショナルスクール)をご紹介する必要はないのかもしれませんが、タイの上流家庭が子供をどんな学校に通わせているのかを知っていただくためにあえて取り上げてみました。

スクンウィット15街路にあるNIST国際学校はバンコクの国際学校のなかでも特に優れていると言われていて、卒業生たちは欧米の有名大学へ進学しています(進学実績)。これだけの巨費を投じて英才教育を与えておきながら日本やタイの大学へ進学させるのはあまりにももったいないですから、ここではアメリカ・ペンシルバニア州立大学に進学させる前提で費用を計算しています。

でも、もし東京大学へ進学させたいのなら日本の良い高校に入れて東進ハイスクールの東大特進コースで学ばせれば良いだけの話ですので、このプランは、日本人としてはまったくメリットがありません。しかも、もし本当にそれだけの学力があれば、高校や塾で特待生待遇を受けて授業料が免除されますので、そもそも通学費以外の学校関係費についてあれこれと考える必要はありません。

日本人教育プランA

日本人教育プランAは、タイ・バンコクにおける日本人教育のモデル進学ルートです。

メロディー幼稚園日本人部泰日協会学校小学部 → 泰日協会学校中学部如水館バンコク国際学校高等部 → どこか適当なタイの私立大学(この例ではアサンプション大学経営学部)のルートで進学させます。

理想を言えば、泰日協会学校中学部を卒業後に帰国して日本国内の高校へ進学させ、就職に有利な大学へ入れるのがベストなのですが、そのころになると現地採用者が家族で帰国したところで日本で再就職先を見つけるのは困難を極めるでしょうし、あらたに住宅ローンの支払いを始めるにしてもすでに時期を逸していますので、ここでは家族ごとタイに留まることを前提に次善の策を講じていきます。

大学卒業後は、タイの労働市場において日本人現地採用者と同じ条件(日本語を母語とする人という枠です)で就業するか、日本へ逆移住して普通に仕事を探すかの選択を子供にさせることになります。もちろん貧困の連鎖を断ち切るためにも後者を選ぶことが推奨されます。

しかし、このままでは学校関係費があまりにもかかりすぎて日々の生活に支障をきたしてしまいますので、費用のスリム化を検討していかなければなりません。

日本人教育プランB

日本人教育プランBは、幼稚園には通わせず、学校には公共交通機関を利用して通わせるプランです。

日本人向けの幼稚園は費用がかかりすぎるので通わせません。小さいころからタイ語が上手くなりすぎると日本語の基礎能力にかえって悪い影響を与えますので、タイ人向けの幼稚園にも通わせません。日本語は youtube を見せるなどして自力で身に着けてもらうことにします。そうすることで、子供の年齢にもよりますが、日本人教育プランAに対して月々9,555バーツの節約になります。

日本人学校では防犯上の理由やバンコクの事情に疎い日本人子女の利便性を図るために通学バスが用意されていますが、子供に公共交通機関を利用して通学させれば学校関係費の41%を占める通学費を約8割削減することができます(始点は高架電車スクンウィット線のオーンヌット駅として計算しています)。

ただし泰日協会学校に通う児童生徒の大半は駐在員の家庭の子供たちで、通学バスの利用料は勤務先から子女教育手当の一部として支給されていますので、ほとんどの児童生徒は通学バスを利用していると考えておいて良いでしょう。自分の子供だけを公共交通機関で通わせると、クラスメイトたちから「貧ぼっちゃま(落ちぶれても日本人、落ちぶれてすまん!)」とからかわれてイジメのターゲットにされるかもしれません。しかし現状では、平均1.86人のバンコク都民世帯(月額35,350.70バーツ)に対して19%~56%の生計費(6,697バーツ~19,926バーツ)しか確保できていませんから、これはなんとしてでも実行しておきたいところです。

日本人教育プランC

日本人教育プランCは、日本人教育プランBでとった措置に加えて、日本人としての教育の期間を中学校卒業までに短縮し、授業料が倍増する高校からは費用のあまりかからない国際学校(インターナショナルスクール)を選んで通わせるというプランです。

タイの国際学校で日本の私立在外教育施設でもある如水館バンコク国際学校高等部については、通わせてみたところで大学受験にどれだけ役に立つのか未知数ですし、この学校の教育水準がどうなのかもわかっていません。そもそも生活費が圧倒的に足りていないような状況にありますから、どんなに通わせたいと強く願ったところで無理なものは無理です。日本の義務教育さえきちんと受けさせておけば、いちおう自分の子供に「私は日本人だ!」ぐらいのことは言い張らせることができます。というわけで、泰日協会学校の中学部を卒業したら授業料が比較的安いモダン国際学校へ進学してもらうことにしましょう。そうすることで、子供の年齢にもよりますが、日本人教育プランAに対して月々12,628バーツの節約になります。

もし筆者が現地採用として働くとしたら、このプランを選択します。家計的にはかなり厳しくなりますが、タイ・バンコクで自分が日本人として生活し、子供を日本人として育てていくのなら、これより下位の選択肢はちょっとあり得ないと思っています。このシミュレーションでも、この日本人教育プランCを採用する前提で話を進めていきます。

タイ人中間層プランの上

タイ人中間層プランの上は、バンコク都内にある名門私立学校の英語教育課程に通わせるプランです。ここではミッション系の私立学校、バンコク・クリスティアン学校に通わせる前提としています。そうすることで、子供の年齢にもよりますが、日本人教育プランAに対して月々4,767バーツの節約になります。

英語教育課程の授業はもちろん英語で行われますが、カリキュラムそのものはタイ教育省の学習指導要領に完全準拠していますので、国際学校の学生には課されている学校外教育庁からの認定(高等学校卒業程度認定)を受けることなくそのまま国立大学へ進学させることができます(私立大学であれば国際学校卒の学生でもそのまま進学できます)。言い換えれば、英語教育課程の私立学校では日本の学校では学習しないような内容が知識として求められるようになってきますので、もし日本人学校である泰日協会学校中学部を卒業後に英語教育課程の私立学校へ編入させるつもりなら、そのハードルはかなり高いと考えておいたほうが良いでしょう。

たとえば、社会科の定期考査で、つぎのような問題があったとしましょう。

問7. Which of the following revolutions did not have an ideological impact on the political changes in Thailand during the reign of King Rama VII? / การปฏิวัติครั้งใดที่ไม่มีผลต่อแนวคิดในการเปลี่ยนแปลงการปกครองของไทยในสมัยรัชกาลที่ 7(つぎの革命のうち、ラーマ7世の治世におけるタイの政変に思想的影響を与えなかったものはどれか)

①フランス革命、②アメリカ独立戦争、③辛亥革命、④文化大革命

タイの大学入学共通試験 – 社会科(2008年)より抜粋

子供はタイ最後の絶対君主であるラーマ7世の統治期間(1925-1935)のことを頭に思い浮かべて、これは平民出身の官僚や将校によって組織された人民党が引き起こした立憲革命(仏滅紀元2475年のサヤーム革命)のことを言っているんだ判断し、それは1932年の出来事だったからそれよりあとの1966年に発生した The Great Proletarian Cultural Revolution / การปฏิวัติทางวัฒนธรรมใหญ่ของกรรมาชีพ(プロレタリア文化大革命)が正解のはずだ、というところまで分からないと得点できません。この問題をなんとか答えられたところで、それ以降の問題でアユッタヤー朝やスコータイ朝の時代まで遡られたらいよいよもって手の打ちようがなくなります。現在のナコーンパトムを中心としたヂャーオプラヤー川沿い6世紀ごろから11世紀ごろまで存在していたモン族によるドヴァーラヴァティー王国とか、聞いたことあります? 普通の日本人にはとうてい無理です。

費用はそれなりにかかりますが、世帯月収60,000バーツ以上の中間層(大卒のホワイトカラー)の家庭であればタイ人でも選択できるプランです。自分の子供をタイ人として育てていくのなら、間違いなく最高の選択肢です。

しかし、この選択肢は泰日協会学校に通わせるのとほぼ同じだけの費用がかかるため、日本人現地採用者の家庭にとってはメリットがありません。

タイ人中間層プランの中

タイ人中間層プランの中は、バンコク都内にある一般的な私立学校と私立大学に通わせるプランです。ここでは校納金がタイ語課程の私立学校としては平均レベルの聖ドミニク学校を卒業後、学費が同程度のバンコク大学へ進学させることを前提としています。そうすることで、子供の年齢にもよりますが、日本人教育プランAに対して月々23,670バーツの節約になります。

いわゆる平均的なバンコク都民の家庭が選択するプランになります。

もはや日本人らしさなんて微塵も残ってはいませんが、日本人現地採用者の選択としてはおそらくこれが最低ラインになるかと思います。

タイ人庶民プラン

それでもなお生活費が足りないようであれば、外国人でも無償で教育が受けられるタイの国立学校へ通わせるという選択肢もあります。そうすることで、子供の年齢にもよりますが、日本人教育プランAに対して月々28,464バーツの節約になります。

ただし、それでは子供があまりにもかわいそうなので、自分の生活水準を落としででも絶対に避けるようにしましょう。校風があまりにも悪すぎます。このプランは売り子や貧農の家庭のための選択肢です。

2-6. 個人年金生命保険に加入しない

個人年金生命保険は、個人所得税の控除額を増やして税負担を軽くするとともに、日本の平均程度の老齢年金(年金給付月額66,155バーツ)を受け取るために、基礎年金(同19,565バーツ)とタイの公的老齢年金(同7,500バーツ)を受け取ったときに不足することになる差額(同39,090バーツ)を補填する目的で加入するものですが、そんなものは生活資金を確保するためにやめてしまいましょう。そうすることで月々13,721バーツの節約になります。

このときの老齢年金給付は月額27,065バーツになります。

それだけの年金収入があれば、平均1.86人のバンコク都民世帯の生計費(月額35,350.70バーツ)のわずか55%にしかなりませんが、バンコク都における貧困ライン(ひとりにつき月額3,165バーツ)に対して6.1倍の水準は確保できますので、病気にさえかからなければ「大好きなバンコク」に死ぬまで住み続けることができます。

貯金が底をついた後は、現在の運用が何十年先も続けばという条件付きにはなりますが、日本へ帰国すれば千葉県成田市の場合ですと毎月4,660バーツの生活保護費を受け取りながら、憲法ですべての日本国民に保障されている健康で文化的な最低限度の生活をしていくことができます。老齢年金給付との合計は31,725バーツ(家賃11,173バーツ込)になります。配偶者とのふたり暮らしであれば毎月の生活保護費は19,582バーツに増額され、老齢年金給付との合計は46,647バーツ(家賃13,516バーツ込)になります。ただし、両親、子供、兄弟のいずれかに扶養する能力がある場合には支給されません。相続財産で資産価値数百万円以上の持ち家などがある場合には、それらを売却して得た資金を使い切ってからの受給開始となります。

2-7. 国民年金保険料の支払いを停止する

国民年金は、年金給付の半額が国庫(日本に住んでいる人が支払っている消費税等)から補填され、年金特別会計の厚生年金勘定(日本の会社員が支払っている厚生年金保険料)からも充当されているため民間のどんな保険よりも有利で、日本人としては老後の生活を保障するための最後の砦となるものですが、それも生活資金を確保するためにやめてしまいましょう。そうすることで月々4,968バーツの節約になります。

このときの老齢年金給付はタイの老齢年金の月額7,500バーツだけになります。

これではバンコク都における貧困ライン(ひとりにつき月額3,165バーツ)に対してわずか2.37倍にしかなりませんので、貯金を使い果たし次第ただちに日本へ帰国せざるを得なくなります。

現在の運用が何十年先も続けばという条件付きにはなりますが、日本へ帰国すれば千葉県成田市の場合ですと毎月24,225バーツの生活保護費を受け取りながら、憲法ですべての日本国民に保障されている健康で文化的な最低限度の生活をしていくことができます。老齢年金給付との合計は31,725バーツ(家賃11,173バーツ込)になります。配偶者とのふたり暮らしであれば毎月の生活保護費は39,147バーツに増額され、老齢年金給付との合計は46,647バーツ(家賃13,516バーツ込)になります。ただし、両親、子供、兄弟のいずれかに扶養する能力がある場合には支給されません。相続財産で資産価値数百万円以上の持ち家などがある場合には、それらを売却して得た資金を使い切ってからの受給開始となります。

ちなみに、タイに居ながらにして日本の生活保護費を受け取ることはできません。

2-8. 生計費を圧縮する

生計費そのものは単独で対策をしたところでどうにかなるようなものではなく、これまでの固定費削減の取り組みの結果次第でいくらでも増減するものですが、バンコクでは貧困層向けのモノやサービスが充実していますので、配偶者と子供ひとりの3人世帯であっても生活の質を落としさえすれば現役のうちだけはバンコク都民の世帯平均より多少マシなぐらいの生活はしていけるでしょう。

平均1.86人のバンコク都民世帯の支出は月額35,351.70バーツとされていますから、まあこれぐらいの手取り収入があれば普通にタイ人としての生活はしていけます。ただし、3人家族の場合、毎月の生計費が9,495バーツを割り込むとバンコクの貧困線を下回ることになりますので、寺院や財団からの支援を受けないと生きていけなくなります。

ちなみに日本における貧困ラインは、単身世帯で月々30,535バーツ、ふたり世帯で月々43,300バーツ、3人世帯で月々52,811バーツ、4人世帯で月々61,070バーツです。これは月収ではなく手取り収入の金額です。

2-4の項目で手取り収入の全額をすべて使い切ることにしていますが、実際にはこの貯蓄原資なしの生計費をもとに「生計費+貯蓄原資」の劣化版をあらたに設定して、最新型のスマートフォンなどを買うための貯金をすることになるかと思いますので、家賃や食費の支払いのために使える資金はさらに少なくなります。

3. 日本人がバンコクで日本同等の生活をするためには

これまでの検討の結果、子供の数をひとりまでに制限し、貯蓄をせずに毎月の手取り収入はすべて使い切り、退職年金や老齢年金による将来の収入は諦め、子供に与える日本人教育を中学校卒業までにとどめておけば、日本人現地採用者ひとりだけの収入でも平均1.86人のバンコク都民世帯の支出(月額35,350.70バーツ)に対して1.43倍~2.36倍(月額50,593バーツ~83,463バーツ)の生活ができることが分かりました。

日本国内の日本人世帯と比べても70%~119%の生計費(貯蓄原資なし)は確保できていますから、それほどひどい生活にはならないでしょう。

おそらくこれが現地採用者の現状認識を狂わせているのではないか、と筆者は思っています。

あれだけいろいろなものを諦めて、妥協しておいて、無傷で済むはずがありません。

もちろん、タイにいるいわゆる日本人現地採用者のなかには、なんとなく気付いている方もいることでしょう(この人たちはきっと助かる、と筆者は信じています)。

現地採用が駐在員に対して経済的に劣っているなんて、わざわざ言われなくても分かってるよ。手当であんなにも高い下駄をはかされているような人たちと比較されたところではなから勝負にはならないし、どうせ一時的なものにすぎないんだから、そもそも比較の対象にするのが間違っているんだ。それに駐在員はいずれ会社からの帰国命令を受けてタイの任地からイヤでも強制的に引き離されることになるんだし、一生ずっと金持ちでいられるわけでもないんだから、タイにいるあいだぐらい、せいぜい好きなようにさせておけばいいんだ。

とは言っても、現地採用にも普通の日本人と同じぐらいの収入があるんだったよな? タイの物価は日本より安いんだったよな? にもかかわらず、こんなにも家計のゆとりがないのはなぜなんだ? もうカツカツじゃないか。先日、スマホを1台買っただけで、このとおり大きなダメージを受けているじゃないか。タイに来ればもうすこし良い暮らしができると思っていたのに、いまのところその実感はまったくない。これはいったいどうしたことか。日本人が裕福だなんて言うのは、実は俺の勘違いで、知らないうちに超貧乏になっていたということなのか? みさえから安月給と罵られている野原しんのすけ君のお父さんだって『夢のマイホーム』は買えたわけだから、現地採用の俺だってバンコクのコンドミニアムぐらい余裕で買えていないとおかしいだろ? ん? 埼玉県春日部市のあの土地代だけで3,663万円? 建屋まで含めたら5,000万円はかかるじゃないか。クルマだって途中で何台か買い換えるんだろ? そんな大金いったいどこから湧いてくるんだよ?

それに、年金保険料って税金じゃなかったのか? どこかのブログにあれは税金だって書いてあったぞ。保険料なんて納めていてもいなくても、年金はみんな平等にもらえるものなんだろ? 納めていないともらえないなんてウソだよね? そもそもそんなに高い保険料、この給料から支払えるわけがないじゃないか。できもしないようなこと要求してくる公的な制度なんて、制度設計的に絶対にあり得ない。存在するがはずがないよ。やっぱり年金は日本国民であればみんなもらえるんだよね? 日本国民の権利だよね? 俺も65歳になったらもらえるんだよな? おい! お願いだから、誰か、そうだと言ってくれ。

というか、そうじゃなかったら生きて行けないじゃないか。

……なにかが、おかしい。普通の人なら現地採用を3年もやっていれば絶対に気が付くはずです(そうでない人は真正のバカです)。前提がいろいろと間違っているせいで、さまざまな矛盾が生じているのです。

タイにおける現地採用者の収入は日本人の平均並み、という俗説はウソです
収入を月額で表記するのは、日本との比較を分かりにくくするために、当時の現地採用者たちによって編み出され、1998年ごろに確立されたタイにおける日本人社会独自の風習です。タイ語では月例給与や年間賞与といった被雇用者所得全般のことを指して เงินเดือน(ングンドゥアン:直訳すると月給)と言うので、日本語に翻訳したときにあいまいとなるところを巧妙に利用したのです(正しい日本語訳は「給与」です。所得税確定申告書のเงินเดือนの項目には年収を記載するようになっています)。日本で働いている人たちの賞与のほか、日本で働いている人が支払った税金の戻り(社会保障給付金)を除外して考えることができるので、格差を43.3%も小さく見せるかける効果があります。

家計の規模を比較するときに月々の生計費だけを基準にするのは間違っています
家計の規模を手取り収入もしくは生計費ベースで表記するのは、日本との比較を分かりにくくするために、当時の現地採用者たちによって編み出され、2000年ごろに確立されたタイにおける日本人社会独自の風習です。賞与を含む日本の手取り収入のうちすぐには使わず貯金に回している金額を除外して考えることができるので、格差を31.2%小さく見せかける効果があります。日本人の収入から将来もらえる退職金の積立額まで除外すれば、貯蓄原資との合算で格差を41.8%も小さく見せかけることができます(この項目で表記している格差の割合は前の項目と一部重複していますので注意が必要です)。

タイの日本人学校(泰日協会学校)の学費はボッタクリ、という俗説はウソです
これは収入が現在の半分ぐらいしかなかった当時の現地採用者たちによって2001年ごろに編み出されたデマです。経済的な理由で自分の子供を日本人学校に通わせることができない現地採用者たちから絶大な支持を集めました。が、ただの現実逃避です。事実無根です。実際には日本国内の私立学校の平均より33%も安いのです。当時はタイ式しゃぶしゃぶチェーンのMKレストランを「富裕層向け」と表現するなど、自分の経済力では容易に手に入らないモノやサービスをボッタクリや富裕層向けと表現することで、「自分は日本人なのになぜか利用できない」という理不尽を正当化しようとする悪しき風潮がはびこっていました。バンコク都民の所得水準が向上した2006年以降、徐々に下火にはなってきていますが、いまだその残り火がくすぶりつづけているようです。

タイで現地採用として働くと、日本で働いていたときに給与から天引きされていた健康保険料や厚生年金保険料といったものすごい金額の「税金」がほぼほぼゼロになるからお得だし、支給総額に対する手取り収入がたくさんあって生活も楽、といった俗説は間違っています
自己負担分の保険料がほぼゼロになるということは、すなわち会社負担分の保険料もほぼゼロになってしまっているのです。本来であれば会社が支払ってくれる分まで自分で負担して保険に入らないといけないわけですから、ぜんぜんお得にはなりません。むしろものすごく損することになります。保険料の自己負担額は日本の2.46倍にも膨れあがります。お得だ、楽だ、といっている人たちは、愚かにも自分が保険に入っていないと公言しているようなものです。まともな医療が受けられない「無保険者」、引退後にまともな生活ができない「無年金者」であり、低福祉国のアメリカで言うところの典型的な「貧困層」ということになります。困窮した生活を普通だと力説されたところで、まったく説得力がありません。

日本の年金制度は破綻する、というのはデマです
年金保険料を納めずに老後をどうやって生きていくのかという悩ましい課題は、2002年の秋口あたりから日本人現地採用者たちのあいだで頭をもたげはじめました。国民年金保険料の免除制度を活用したところで、その分だけ老後の年金給付額から減らされてしまうわけですから、自己を正当化するためのロジックとしてはあまりにも弱すぎたのです。そこで編み出されたのが『破綻』という仮説です。ちゃぶ台をひっくり返して、すべてをなかったことにするというあの最終奥義です。1997年の年金未納問題、2001年の年金支給年齢引き上げ方針の閣議決定、2004年の公的年金流用問題、2006年の国民年金不正免除問題、2007年の年金記録問題と年金横領問題、2009年の年金改ざん問題などの影響もあって、この主張は一時期、タイ関係の掲示板ではそれなりの説得力を持ち、支持も得ていたようです。しかし、2004年の国庫負担割合の引き上げ、2006年の65歳までの高年齢者雇用確保措置の義務化、2020年予定だった70歳までの就業確保措置の努力義務化によって、今では完全に過去の話になっています。

それでは、どれだけの世帯収入があればバンコクで「平均的な日本人と同じぐらい」の生活ができるのかを見ていきましょう。

日本人がバンコクで平均的な日本人と同等の生活をするために必要な収入

上のグラフは、バンコク都内で日本人として平均的な購買力を維持し、家族みんなが世界標準の医療を受け、子どもに高校卒業までは日本人としての教育を与え、自分は日本人として平均的な老後の暮らしをする、それらを実現するときに必要となる世帯月収を年代別に表したものです。

退職積立年金の労使拠出割合がそれぞれ給与の10%ずつの現地採用者の場合、20代で105,311バーツ、30代で202,284バーツ、40代で266,660バーツ、50代で217,719バーツの世帯月収が必要です。

退職積立年金に加入していない現地採用者の場合、20代で126,428バーツ、30代で227,867バーツ、40代で296,574バーツ、50代で238,670バーツの世帯月収が必要です。

つまり、標準的な家族構成で退職年金積立には加入しない、といった前提で考えたとき、20代の日本の年収376.1万円はタイの年収1,517,136バーツ(505.1万円、1.34倍)と等価、30代の日本の年収574.1万円はタイの年収2,734,404バーツ(910.4万円、1.59倍)と等価、40代の日本の年収702.2万円はタイの年収3,558,888バーツ(1,184.9万円、1.69倍)と等価、50代の日本の年収782.4万円はタイの年収2,864,040バーツ(953.6万円、1.22倍)と等価、ということになります。

これは駐在員との比較ではなく、あくまでも日本国内の平均的な日本人世帯との比較です。

バンコクで日本人として普通に生きていくのなら、子供の学校関係費がかからない世代では日本の1.22倍~1.34倍、子育て世代では日本の1.59倍~1.69倍の世帯収入がないとやっていけない、ということになります。

現地採用者のなかには、健康保険や年金保険には加入せず、退職投資信託(RMF)へ投資することもなく、すべてのリスクに自分の預貯金だけで対応しようとする人もいます。もしかしたら、むしろこちらのほうが多数派かもしれません。

これまでのシミュレーションでは保険や積立をすることで個人所得税の減免措置を受ける前提としていましたので、もし預貯金だけでやっていくとした場合には所得控除が受けられず、課税所得が多くなります。そのため、ただでさえ高いタイの個人所得税がさらに膨れ上がります。しかも日本政府からの補助と保険の運用利回りによる効果が得られなくなるため、 普通に保険に加入するより多くの貯金をしなければならず、結果的にさらに多くの収入が必要になってきます。この試算では、日本の平均寿命(81.23歳)までの生活資金を確保することしか考えていないので、それ以上に長生きをした場合には日本の生活保護制度を利用することになります。

この場合、20代で155,342バーツ、30代で261,672バーツ、40代で330,380バーツ、50代で272,475バーツの世帯月収が必要です。

つまり、標準的な家族構成で医療費のリスクや老後資金をすべて預貯金だけでまかなう、といった前提で考えたとき、20代の日本の年収376.1万円はタイの年収1,864,104バーツ(620.7万円、1.65倍)と等価、30代の日本の年収574.1万円はタイの年収3,140,064バーツ(1,045.4万円、1.82倍)と等価、40代の日本の年収702.2万円はタイの年収3,964,560バーツ(1,320.0万円、1.88倍)と等価、50代の日本の年収782.4万円はタイの年収3,269,700バーツ(1,088.6万円、1.39倍)と等価、ということになります。

繰り返しになりますが、これは駐在員との比較ではなく、あくまでも日本国内の平均的な日本人世帯との比較です。

保険等に加入せず、バンコクで日本人として普通に生きていくのなら、子供の学校関係費がかからない世代では日本の1.39倍~1.65倍、子育て世代では日本の1.82倍~1.88倍の世帯収入がないとやっていけない、ということになります。

こんなにも費用がかかるのですから、現地採用者にかぎらず現地で事業をされている方であっても、タイで日本人として生活していくのは相当難しいはずです。

ところが、タイの現地採用者のなかには自分は何とかなるし経済的にもそれほど劣っているわけではない、とかたくなに信じているような人たちがたくさんいます。いったいどこで、どのような情報を得て、どのような解釈をすると、そのような見当違いな結論になってしまうのでしょうか。

さっそく見ていきましょう。

タイ・バンコク発の無料情報誌DACO – 現採白書リアル編

タイ・バンコク発の無料情報誌DACOは2018年11月20日発行の第493号で 、同誌が実施した読者アンケートで得られた160件の回答をもとに現採白書(リアル編)を発表しました。

この特集記事は、現地採用者が居住している地域やその子供に通わせている学校の種別など、なかなか示唆に富んだ内容になっています。駆け出しの現地採用者やこれから現地採用として働こうとしている方にとっては、自分の未来の可能性を示すひとつの資料として、それなりには役に立つかもしれません。

しかし、労働条件調査としてはまったくもって「ひどい」の一言に尽きます。もし労働組合でこんなアンケートを作ったら「もういいから職場へ帰れ」のレベルです。この特集記事を担当したライターさんはおそらく、日本で会社員として働いた経験がないか、もしくは頭の整理がつかないまま書いてしまったか、のいずれかではないかと思います。後半部分に人材紹介会社JACリクルートメント・タイランドの方々との対談記事を掲載しているのですから、調査の監修もいっしょにお願いしておくべきでした。これでは誌面に写真が大きく載っている人材紹介会社の現地代表の方がまるでバカのように見えます。ただの晒し者です。提灯記事としては失敗、むしろ逆効果です。

Q17 現在の月収(手取り)は?(回答249件)

3万B未満:3.7%
(25~19歳:1人、30~39歳:4人、40~49歳:2人、50~59歳:2人/製造、学校、コールセンター)

3~4万B未満:5.6%
(24歳以下:1人、25~29歳:3人、30~39歳:3人、40~49歳:5人、50~59歳:2人/学校、コールセンター、IT、金融、商業・貿易)

4~5万B未満:7.2%
(25~29歳:1人、30~39歳:6人、40~49歳:5人、65歳以上:2人)
(学校、小売、NPO・NGO、製造、飲食・サービス、マスコミ、病院)

5~7万B未満 28.1%
(24歳以下:1人、25~29歳: 22人、30~39歳:21人、40~49歳:19人、50~59歳:3人、60~64歳:2人、65歳以上:1人/航空、IT、飲食・サービス、学校、小売、製造、金融、旅行・ホテル、マスコミ、商業・貿易、コールセンター、NPO・NGO、土木・建設)

7~10万B未満 22.1%
(25~29歳:8人、30~39歳:19人、40~49歳:18人、50~59歳:8人、60~64歳:1人/商業・貿易、美容関係、コールセンター、製造、飲食・サービス、コンサル、運輸・物流、IT、旅行・ホテル、NPO・NGO、金融、病院など)

10~15万B未満 20.9%
(25~29歳:2人、30~39歳:13人、40~49歳:24人、50~59歳:12人、不明:1人/製造、土木・建設、飲食・サービス、運輸・物流、金融、商業・貿易、IT、学校、病院、コンサル)

15~20万B未満:5.2%
(30~39歳:2人、40~49歳:8人、50~59歳:2人/製造、土木・建設、コンサル)

20万B以上 7.2%
(25~29歳:1人、30~39歳:5人、40~49歳:7人、50~59歳:4人、60~64歳:1人/広告、IT、金融、製造、人材紹介、会計事務所、輸出、飲食・サービス、病院、運輸・物流)

【現採白書 リアル編】年代、住んでる地域、月収など現採データ大公開 | DACO CO., LTD.

Q17では現地採用者の月収を聞いているのですが、なぜか月収(総支給額)ではなく手取り金額(差引支給額)だけにフォーカスされてしまっています。これでは所得税や退職年金積立(自己負担分)による影響額が分かりません。年間賞与をいくらもらっているのかも分かりません。アンケートに回答した現地採用者のみなさんにどの程度の経済力があるのかを推し量ることもできません。一次資料としてはまったく価値がありません。

次回からは、

Q17 現地採用のみなさんは毎年3月末にภ.ง.ด.91(所得税申告書様式91号)という書類を作成して確定申告手続をしているかと思います。直近の確定申告で、その書類の一番最初にあるเงินเดือน ค่าจ้าง บำนาญ ฯลฯ(給与、賃金、年金等)の項目に記入した金額を教えてください。

というふうにしてください。確定申告が終わった直後の4月上旬にアンケートを取れば、そこそこの精度のデータが集まるでしょう。この金額は12か月分の月例給与と年間賞与の合計となります。月例給与には、 基本給、能力給、業績給、役付手当、特殊勤務手当、家族手当、通勤手当、住宅手当、地域手当などの所定内給与のほか、超過勤務手当、休日出勤手当、深夜労働の割増給与といった所定外給与が含まれます。タイでは借上社宅賃料や学校授業料の会社補助分も年収にカウントされます。

Q18 タイに来る直前の月収は?(回答249件)

15万円未満:9.6%
15~20万円:未満19.7%
20~30万円:未満34.9%
30~40万円未満:21.7%
40~50万円未満:5.6%
50~60万円未満:2.5%
60~70万円未満:3.2%
70万円以上:2.8%
こちらは年齢や居住地にも左右されるので参考までに。

【現採白書 リアル編】年代、住んでる地域、月収など現採データ大公開 | DACO CO., LTD.

そのつぎのQ18では現地採用者がタイに来る前に日本でもらっていた月収について聞いているのですが、こちらはなぜか手取り金額(差引支給額)ではなく税前の額面金額(総支給額)になっています。二重基準です。現地採用になったことで収入がどれだけ増減したのか分かりません。しかも、中央労働委員会が2020年に公表した令和元年退職金、年金及び定年制事情調査によると、会社員の収入に占める賞与の割合は30.2%もあるのですから、その金額が含まれていないようでは参考にすらなりません。

次回からは、

Q18 日本で働いていたときには毎年6月ごろになると住民税決定通知書を受け取っていたかと思います。所得の給与収入の欄に印刷されていた金額を教えてください。

というふうにしてください。住民税決定通知書は、住民税課税世帯であれば必ず受け取る文書ですから、日本で働いたことのある人でならだれでも答えられるはずです。

ざっと見たかんじではQ17とQ18の金額は同じぐらいですから、日本とタイの収入はほぼ同じ、というのがこの特集記事の結論になるかと思います。しかし、これまでもつらつらと書いてきたとおり、実際には世帯年収ベースで2倍以上の開きがあります(所得税率の違い、退職年金積立や社会保険料の会社負担分を考慮に入れれば、格差はさらに拡大します)。

よって、この特集記事は子供だましのミスリード記事、と言えます(まったく騙されるほうも騙されるほうです)。ここまでひどいとライターさんの知識不足の可能性を疑いたくもなりますが、いずれにしても読者を誤った解釈に誘導しているのは間違いありません。

Q19 福利厚生は?(回答249件)

労働ビザ:93.6%
ワークパーミット:96.8%
ビザ、ワークパーミットの更新費用:92%
社会保険:85.9%
民間医療保険:63.5%
積立基金:35.3%
健康診断:70.3%
研修費:22.1%
出勤の交通費:41%
家賃補助:20.9%
役職手当:23.7%
残業代:17.7%
食事手当:15.7%
自分の一時帰国渡航費:15.7%
家族の一時帰国渡航費:2.8%
未消化の有給休暇の買い取り:16.1%
社員旅行:36.1%

【現採白書 リアル編】年代、住んでる地域、月収など現採データ大公開 | DACO CO., LTD.

さらに読み進めていくとQ19で福利厚生について聞いているのですが、そこにはなぜか役職手当や残業代といった項目が登場します。これらは本来、福利厚生ではなく、月例給与の一部としてカウントされるべきものです。ということは、Q17にある現地採用者の月収とは、月例給与から役職手当や時間外勤務手当を差し引いたあとの基本給の一部分(月例給与の一部である所定内給与のそのまた一部)のことを言っているのでしょうか? いよいよもって訳が分からなくなってきました。もう完全にお手上げです。

なにぶんこのようなありさまですから、後半部分にある編集部とJACリクルートメント・タイランドさんとの対談もひどいものです。その内容をざっくり要約すると、現地採用者の求人は2011年は全体の87%がスタッフ職だったが、2018年には51%がマネージャー職になっているので、現地採用に期待されている職務領域は広くなってきている、現地採用者の未来は開けている、といったものです。しかし、そもそもタイの ใบอนุญาตทำงาน(バイアヌヤートタムンガーン:労働許可書)は、コールセンターや教師などといった一部の例外をのぞき、マネージャークラスではないと申請できないという建前だったはずです。昔からそうだったはずです。当社は優れた人材だけを紹介しています、といったメッセージを顧客である現地日系企業に強く打ち出したいとするJACグループの営業戦略は理解できますが、それにしたってあまりにも極端すぎて無理があります。

それに、現地採用はキャリアになる、とか書いてありますが、ついこの春先にも貴誌の編集部に17年間勤務して2018年に帰国した前の編集長さんが、東京でようやく見つけた不安定な仕事をコロナの影響で失い、実家がある北海道には帰りたくないと言いながら無念にも命を落とされたではありませんか。

2012年12月から2020年1月までの7年2ヶ月のあいだ続いた空前の人手不足のなかにあっても、日本へ帰国した元現地採用者たちは、タイでの職務経歴がキャリアとして認められず、日本でまともな職に就くこともできず、自分の将来を悲観してバンバンと死んでいったではありませんか! なんとかなっているのは、現地採用としてのキャリアを3年ぐらいで切り上げてタイムリミットを迎える33歳より前に帰国する、そんな選択をすることができた目端が利いたほんのひと握りの人たちだけだったではありませんか!

だいぶ昔の話になりますが、貴誌は2003年11月5日発行の第132号に「日本脱出、なんかしない(後編)」という特集記事を掲載し、記事を監修した大阪の慈善団体の方が日本人のタイ移住についてかなり慎重な意見を唱えていたのにもかかわらず、後半部分で「これからは現地化、現地採用の時代」と銘打って何の脈略もなく全日本空輸の現地代表(当時)を登場させましたよね? しかもそのインタビュー記事のなかでは日系企業の現地化の取り組みが淡々と紹介されていただけなのに、締めの部分でなぜか「これからは現地採用の時代」という結論に無理矢理持っていきましたよね? その論法の強引さがあまりにも強烈すぎて、私はいまでもはっきりと覚えています。あれから17年が経過したいま、タイに現地採用者たちの時代は到来しましたか? タイの日系企業における現地採用者たちの存在感は高まりましたか? いまだ現地採用者を雇っている日系企業の割合は全体の37.2%しかないではありませんか。たしかに日系企業の現地化は進んだのかもしれませんが、駐在員のポジションがタイ人の管理職に置き換わっただけで、肝心の日本人現地採用者たちは気の毒にも置き去りのままにされているではありませんか!

私もあやうく貴誌の特集記事に騙されて進むべき道を誤り、当時の貴誌の編集者の方と同じように今頃は冥界の門を叩いていたのかもしれないんですよ!!

ご自身の誤った選択を正当化するために社会運動の一環としてやっているのかもしれませんが、もうそろそろ止めにしませんか? 結果はなにも変わらないんですよ。もし広告主のために営利目的でやっているのだとしたら、それこそ詐欺まがいの悪質な行為として世間から厳しく糾弾されるべきです。これまでの貴誌の主張が誤りであったことは、前述の不幸な出来事によってすでに証明されているではありませんか。無料情報誌のライターさんがひとり自滅するのはもちろん個人の勝手ですが、こんなものをバンコク都内に24,000部もばらまいて、もしひとりでも信じてしまう人が出てきたら、どうやって責任をとるつもりなんですか。これ以上、不幸な人を拡大再生産して、いったい何になると言うんですか。こんなことを続けていたら、リアルに地獄に落ちますよ(พิมพ์ปลาเว็บ)。

ただただ気持ち悪い

このブロガーさん、ご本人の特殊なバックグラウンドもあって「わたしは日本人です」アピールが凄いのですが、その理屈のこねくり回し方もまた凄いのです。肝心の日本人としてのご経験はわずか高校卒業までと短く、あとはタイの私立大学と現地採用しかありません。日本で社会人を経験されていないからなのか、日本の社会についてはあまり明るくないようです。

ご自身のブログのなかで、現地採用者の月収が5万バーツしかないなんて少なすぎるしあり得ないと言っておきながら、別の記事のなかではタイ語のスキルまで要求しているのに月給5万バーツで募集をかけている求人案件はおかしい、と憤慨してみたり、

本稿の2016年版に対して駐在員の月収が50万バーツもあるわけないだろうが!と威勢よく突っ込んでおきながら、こともあろうに同じ記事のなかで駐在員にかかる経費等を考えたらそれぐらいかかっている、と言ってみたり。

残念ながらタイの社会人としての知識もあまりお持ちではないようです。

わたしの勤務先でも発展途上国に赴任している同僚たちには「現地スタッフに自分の労働条件を明かしてはならない」とされていますから、現地採用の方はたとえ日本人であってもご存知ないのかもしれません。もしかしたらその駐在員の方は現地採用者から無用な怒りを買うことのないように、あえて自分の労働条件を過少にお伝えしたのかもしれませんね。せっかくタイ語が話せるのですから、勤務先の人事労政部門(会社によっては総務部門や経理部門)の担当者をつかまえて、話を聞き出してみてはいかがでしょうか。

まず、収入という言葉の定義についてですが、これは勤務先などの第三者が自分に対して支払ったお金のことを言います。税や社会保険料が天引きされる前(会社に税や社会保険料を代わりに支払ってもらう前)の金額のことであって、自分の銀行口座に振り込まれる金額のことではありません(給与口座振込額のことは「手取り」もしくは「差引支給額」と言います)。

つぎに、借上社宅賃料の会社負担額、学校関係費の会社負担額、日本の社会保険料の会社負担額と自己負担額、国内給与と年間賞与の手取り金額は、タイではすべて駐在員の給与としてみなされますので、それに対しても所得税がかかってきます。

さらに、会社が負担している駐在員の所得税は、タイでは駐在員の給与としてみなされますので、それに対しても所得税がかかっています。

これらはすべてタイでは所得税の課税対象なので、駐在員の収入ということになります。収入じゃないものに所得税はかからないからね(どや顔)。駐在員にかかる経費のなかで収入とみなされないのは、せいぜい確定拠出型企業年金の掛金と赴任時や帰任時の旅費交通費ぐらいしかありません。

つまり、駐在員にかかる経費等を考えたら毎月50万バーツぐらいかかっている、ということは、実際に駐在員の月収は50万バーツぐらいある、ということになりまーす。

分かってもらえたかなあ?

このブロガーさんは、タイの売春婦に首ったけになっている男性たちをひどく嫌悪しているのですが、わたしから見たらこのブロガーさんも彼らとなにも変わらないんです。同じ穴の狢です。現実を直視できていない現実退却派の日本人、という点においては完全に一致しています。しかも、もっと深刻な結果をもたらすことになるのです。

「バンコクは天使の都、夜の蝶はバンコクの天使、彼女たちの素晴らしさを知らずして夜職の女性たちをバカにすんな!」といった妄言を吐いている売春婦にどハマりしたようなバカであっても、失うのはせいぜい人生うちの貴重な数年間と、渡航費用や仕送り金などの数百万円だけで済みます。

しかし、「現地採用にも日本に準じる程度のきちんとした経済力がある、駐在も現地採用もしたことがないくせに現地採用をバカにするな!」といった妄言を吐いているような__は、いまは何とかなっているかのように感じているのかもしれませんが、60歳になるまでのあいだにおよそ1億円という膨大な積立不足が累積していって、いつかは生きていけなくなってしまうんですよ。

どちらの__が、より悪質で、より致命的なのか、__にだって分かるでしょう?

わたしは、なにも現地採用者や買春旅行者のすべてを毛嫌いしているわけではありません。現実をしっかりと見据えたうえで理解してやっている分には、むしろ「面白いやつ」といった感覚で好意的にすら見ています。

ただ、現実を直視せずに妄言ばかりを吐いている現実退却派の日本人については、それとはまったく逆の感情を抱いています。 被害者を増やすだけであり、社会的にも不必要な悪です。特に致命的な__は本当に大嫌いです。イケメン風のゾンビのようなもので、その存在は痛々しいを通り越して、ただただ気持ちが悪いです(พิมพ์ปลาเว็บ)。

でもまあ、現地採用者を大企業の駐在員とだけ比べるのはフェアじゃないから中小企業の駐在員とも比べてみるべきだ、といったご主張も心情的には理解できますので、その内容をすこしだけ見てみることにしましょう。

4. タイにおける海外駐在員の処遇

タイにおける海外駐在員の労働条件には諸説あります。なかには都市伝説のようなものまであります。会社の規程そのものが職務上知り得た秘密にあたるため駐在員本人が自分自身の労働条件を情報として発信できないこと、正気に戻った現地採用者がブログなどで情報発信をするよりも前に馬鹿馬鹿しくなって帰国してしまうこと、現地採用者の入れ替わりが激しいため人々のあいだに知見やノウハウが一向に蓄積されていかないこと、がその理由です。まったく進歩というものがありません。また、各社の企業規模や海外駐在規程の内容が一様でないことも、駐在員の労働条件を画一的に論じるのを難しくしています。

ただ、現地採用の月給と同じように、駐在員の処遇にも相場といったものがあります。

そこで本稿では株式会社労務行政が月2回発行している労政時報のデータをもとに、筆者が入手した産業別労働組合の調査結果や各社の海外駐在規程を参考にしながら、事例を3つほどあげて紹介していきたいと思います。

4-1. 従業員1,000人以上の大企業における駐在員35歳家族帯同モデルの1か月あたり給与

従業員1,000人以上の大企業に勤務している35歳の駐在員が家族を帯同してバンコクに赴任したときの1か月あたり給与は516,542バーツです。

所定内(時間外勤務手当等を含まない)の手取り年収は、日本勤務時の5,023,782円から8,137,711円(1.62倍)に増加します。

労政時報第3921号の「2016年海外駐在員の処遇 – 主要5都市における35歳家族帯同モデル海外給与・年収」によると、従業員1,000人以上規模16社の平均は、海外給与113,389バーツ、国内給与258,486円、年間賞与1,976,745円です。

中央労働委員会の令和元年賃金事情調査によると、大卒35歳総合職のモデル所定内給与は382,500円、年間賞与は1,989,000円とされていますから、それらをもとに計算していくと、駐在手当・海外環境手当・家族帯同手当の合計は月額300,022円ということになります。さらにそれぞれの手当を筆者の手元にある産業別労働組合の調査資料にもとづいて振り分けていくと、駐在手当210,022円、海外環境手当60,000円、家族帯同手当30,000円(配偶者と子供2人の場合)という数字が導き出せます。

労政時報第3921号によると、海外給与は全体の63.7%の企業で購買力補償方式にもとづいて支給されていますので、この試算でもそれにならって組み立てをしています。

購買力補償方式とは、まず最初に日本勤務時の所定内給与と賞与の合計から税や社会保険料を差し引いた差引支給額(手取り金額)を計算し、つぎに海外給与としてその金額の一部に生計費指数(ここでは1.09)を乗じたうえで現地通貨建てで支給し、さいごに国内給与としてそれ以外の金額を日本円で支給する、という給与の決定方式のことです。

海外給与と国内給与の振り分け方は企業によって異なります。本来であれば給与の明細ごとに海外給与と国内給与のどちらか一方に分類して計算するべきところですが、ここでは16社の平均値をとっているため海外駐在手当の支給地が海外と国内の2ヶ所に分かれてしまっています。実際に海外給与として支払われているのは、海外月次給(所定内給与から税や社会保険料を差し引いた金額)のみが36.3%、海外月次給と家族帯同手当が46.2%、海外月次給と海外駐在手当が11.0%、といった具合で企業によってまちまちです。

地域環境手当(いわゆるハードシップ手当)は赴任先の都市によって異なります。たとえばインドのへき地などではバンコクの4倍もの手当が支給されます。そんな危険なところへ妻子を連れていってよいのかという議論は別にありますが、家族帯同手当(帯同家族のハードシップ手当)もそれに比例して増額されます。

生計費補償も赴任先の都市によって異なります。たとえばニューヨーク(アメリカ)などの物価が高い都市ではバンコクの6倍もの金額が補償されます。上海(中国)でもバンコクの4倍の金額が補償されます。ジャカルタ(インドネシア)やホーチミン(ベトナム)といった東京より物価が安い都市であってもマイナス支給になる(給与が減らされる)ことはありません。

子女教育手当とは学校関係費の実費を会社が全額負担するものです。ここでは子供ふたりが日本人学校(泰日協会学校)に通っている前提で計算しています。学校関係費には校納金(授業料や施設拡充費)のほかスクールバスの利用料(月額8,500バーツ)も含まれます。入学金は赴任期間を3年間と仮定して36ヶ月に案分して計算しています。義務教育学校ではない幼稚園や高等学校については、補助の割合を70%までとしているところや、補助をまったく出さないところもあります(個人的には、高校進学時には母子ともに帰国させて大学受験に備えるのが良いと思っています)。

借上社宅の賃料は日産自動車(労政時報第3924号掲載)のものをそのまま使っています。

本来であれば所得申告しないといけないのかもしれませんが、駐在員の処遇のなかにはほかにもタイの所得税法において給与としてみなされないものがあります。駐在員と帯同家族全員分の海外駐在員保険(病院の日本語通訳サービスも保障)、日本国内の家財一式を保管しておくためのコンテナハウスの使用料、持ち家の状態を保全するためのメンテナンス費用、駐在員と帯同家族全員の日本一時帰国費用と日本滞在費用、日本から食品医薬品を取り寄せるサービスの利用料、などがそれにあたります。

4-2. 従業員300人未満の中小企業における駐在員35歳家族帯同モデルの1か月あたり給与

従業員300人未満の中小企業に勤務している35歳の駐在員が家族を帯同してバンコクに赴任したときの1か月あたり給与は387,028バーツです。

所定内(時間外勤務手当等を含まない)の手取り年収は、日本勤務時の3,636,754円から5,969,527円(1.64倍)に増加します。

ベースとなる賃金データを東京都労働産業局の中小企業の賃金・退職金事情(2018年)、ベースとなる駐在員の海外給与と国内給与を労政時報第3921号の従業員300人未満規模の企業に置き換えて項目4-1の要領で計算すると、海外給与85,757バーツ、国内給与212,693円、年間賞与938,947円、駐在手当142,812円、海外環境手当50,000円、家族帯同手当25,000円(配偶者+子供2人)となります。

中小企業の労働条件が大企業に対して劣っていることは知られていますが、年間賞与と各種手当はさらに薄くなる傾向があります。借上社宅のグレードが下がっていることもあって、1か月あたり給与は大企業より120,711バーツ(23%)少なくなります。

4-3. ブラック企業における駐在員35歳家族帯同モデルの1か月あたり給与

これが現採OLさんご要望の、ひどい駐在員の処遇例になります。

ブラック企業に勤務している35歳の駐在員が家族を帯同してバンコクに赴任したときの1か月あたり給与は257,749バーツです。

このブラック企業では、すべての職種でみなし労働時間制が導入されているうえ法律に沿った運用もなされていないため、もとより時間外勤務という概念はなく所定外給与の支給もありません。手取り年収は、日本勤務時の3,696,946円から4,416,955円(1.20倍)に増加します。しかし年間1,211,405円の追加費用があらたに発生するため、実質的な手取り年収は3,205,550円(0.87倍)に減少してしまいます。

タイに長いことお住いの方であれば、駐在員のご家族から「スクールバスの利用料負担がキツい」といった声を聞かれたことがあるかと思います。これがそのケースにあたります。この企業では子女教育手当の上限が子供ひとりにつき年間40万円までとされているため、会社から受けられる補助は子供ひとりにつき最大でも月額10,112バーツしかなく、駐在員本人が授業料の約半分と送迎バス利用料の全額を自己負担しているのです。子供がふたりいる家庭の場合ですと、毎月の自己負担額は30,320バーツとなりますので、手取りわずか11,750バーツの海外駐在手当だけでは補填できず、海外に赴任したことによってかえって損をすることになります。やむなく家族を帯同せずに単身赴任を選ぶとしてもこの会社の単身赴任手当は月額わずか3万円と少ないため、日本とタイの二重生活をしたらそれまでの生活水準は維持していけません。つまり、海外転勤の辞令を受け取ったら最後、国内勤務時よりもひどい生活になることが確定します。

しかも借上社宅のグレードが低いため、駐在員のモチベーションは駄々下がりになっているそうです。この企業で海外駐在をするメリットはまったくありません。ゼロ、もしくはゼロ以下です。

これでは趣味の悪い罰ゲームのようなものです。

この企業にお勤めの方から聞いた話では、海外赴任中の離職者が後を絶たず、任期をまっとうして帰国してもその後に家庭崩壊してしまうことがよくあるそうです。こんなひどい労働条件のもとでは、駐在員本人はもとより、その家族に不満が募っても不思議ではありません。

たとえ30代の標準的な現地採用者(月収71,205バーツ)に対して3.72倍もの収入があってもこのようなありさまなのですから、言わずもがな、現地採用者の生活がどれほど厳しいものかは想像に難くない、と思います。

5. 結び

筆者が現地日本人からの誘いに応じて2006年からバンコクで現地採用者として働きはじめ、2008年のリーマンショックや2020年のコロナショックのときに解雇されることなく、約14年間にわたって月給100,000バーツの労働条件を維持できたいうベストケース(すべてが上手くいった場合)であっても、当時筆者が希望していた「日本人として平均的な購買力をキープしながら家族全員に世界水準の医療を受けさせて、子供には日本人としての教育を与え、老後は日本人としての平均的な暮らしをする」という目標は実現不可能だった、というのが本稿の結論になります。

自分では日本人駐在員クラスの生活までは目指さない「控えめな目標」のつもりでいたのですが、実のところそれはとんでもなく贅沢で荒唐無稽な目標設定だったわけです。

そのときに日本人会社社長や銀行職員から提示されていた月給100,000バーツは、14年が経った今でも現地採用の課長級としては中位にあたり、部長級の下位にわずかに及ばないといった水準の賃金です。もし一度失職してしまったら、運良く再就職できたとしてもそれまでの月収は維持できず、おそらく保険や積立などの支払いは滞り脱退を余儀なくされていたことでしょう。それこそ日本人が「その日暮らし」と言って揶揄している発展途上国の一市民のようなひどい状況に陥っていたこと疑いありません。

風のうわさでは、その日本人社長が経営していた会社は2007年ごろに不渡りを出して倒産してしまったそうです。銀行職員ルートはいまでも興味深いと思っていますが、グラフ22で示したバンコクで普通の日本人として生きていくときに必要な収入(30代で261,672バーツ、40代で330,380バーツ)にはおそらく手が届かなかったでしょう。

日本より厳しい環境のなかで、どうして平均的な日本人に対してはるかに劣るような生活をしていかないといけないのでしょうか?

これでは趣味の悪い罰ゲームを通り越して、ドM専用の無理ゲー以外の何物でもありません。

この記事の2016年版(前回)では現地採用者の賃金データが古すぎるといったコメントをいくつかいただきました。そこで、この2020年版では、人材紹介会社JACリクルートメントが毎年発行している The Salary Analysis in Asia(2019年)やパーソネルコンサルタント・タイランドの在タイ日系企業給与福利厚生統計データ(2019年)をもとに、タイにおける日本人現地採用者の家計をあらためてシミュレーションし直してみました。

2005年1月のある日、僕たちヂュラーロンゴーン大学の修士課程に在学している日本人留学生の2人組は、タイ人の友人たちが大学や仕事が終わってから合流するまでのあいだ、いつもより少ない人数でスィーロム通りにある行きつけの珈琲屋 Bug and Bee でペーパーと呼ばれる課題小論文を書いていた。ちょうどそのころは2006年修了見込みの大学院生が日本で就職活動を始めるタイミングにあたり、雑談の内容も自然と卒業後の進路の話題になった。

そのときのやり取りがきっかけで、タイ語を学び始めたころからなんとなく思い描いていた、タイの国内で直接雇用されて働く、いわゆる現地採用になるという選択肢は完全に消えた。

バンコクで現地採用者として働いている共通の知人や友人のひとりひとりを引き合いに出して、それぞれの年代で直面するであろう問題をはじめ、将来希望するとみられる進路やその実現可能性について検討してみたところ、いずれのケースでも暗く悲観的な見通しとなったからだ。

  • いずれは帰国して日本で働かないと人生設計が成り立たない。
  • どうせ日本で仕事を探すことになるのなら、転職活動を有利に展開できる若いうちのほうが良い。
  • 現地採用者として働いてキャリアを積み、どれだけ多くのポイントを稼いだところで、加齢によって失われるポイントのほうが多いとあっては割に合わない。

それが僕たち留学生の出した結論だった。

あれから15年という月日が流れた。そのときに名前のあがった何人かはすでにこの世から去り、また何人かは困窮を極めいつこの世から旅立ってしまっても不思議ではないような深刻な事態に直面している。

はなから人生設計に無理があったのだ。持続可能なキャリア形成においても、年金の積立や不動産の購入といったライフイベントを見通した資金計画においても、とうの昔に致命的かつ不可逆的な間違いを犯してしまっているのだ。それをこれから挽回できる可能性は万に一つもないだろう。

先日、このときのクラスメイトと8年ぶりに話した。そのときはただの茶飲み話にすぎなかった「他人の人生シミュレーション」が恐ろしいほど的中していたことに驚くとともに、大学院終了後すみやかに帰国して就職するという正しい選択をしたことで、今こうやって上場企業の普通の日本人会社員として平穏な暮らしができていることを確認し、ただただ喜びあった。

いまになって20代のころを思い返してみると、まだ若かったこともあって、現地採用という働き方が人生設計や資金計画におよぼす影響の重大性を十分には理解できていなかった。あまりにも軽く考えすぎていた。当時は、タイという理不尽きわまりない熾烈な階級社会において、収入が平均的な日本人より少なく、タイ人に対して経済的な優位性を十分に示せないのは居心地が悪いのではないか、ぐらいの認識しか持っていなかった。

タイという階級社会で生きる

2004.10.06

タイにおける日本人現地採用者の待遇に関する実態調査

2004.06.09

実際はそんな生易しいもんじゃなかった。生死にかかわるような、人生における重要な岐路に立たされていたのだ。本当に危ないところだった。もしあのときに判断を間違えていたら、いまごろもうお陀仏だよ。16年前の自分の願いはかなえられていなかったに違いない。

タイ沈没の悲劇を目の当たりにする

2004.06.26

2 件のコメント

  • 初めまして。1ヶ月ほど前に貴ブログを見つけ、そこから昔の記事含め楽しく拝読させて頂いて
    おります。
    私は2009年~13年まで駐在員としてタイで働き本帰国し、2016年にタイ人の妻の出産を契機に
    渡タイし、現地採用として働いています。今回の記事も可能な限り客観・定量的なデータに基
    づいて考察を書いておられ「このブログを前職退職前に読んでいたら、現地採用の選択はしな
    かったかも。。。」と、正直若干の後悔の念も抱きながら拝読致しました。
    とはいえ、私はケイイチさんとほぼ同世代で今から日本帰国して再就職というのも正直難しい
    と思いますので、①可能な限り現在の職で収入を高める、②この記事を参考にさせて頂き子供
    の教育費、老後資金含め将来の収支を計画的に管理する、を地道にやっていこうと思います。
    DACOの現地採用の記事への反論も非常に興味深く、経済的な観点からは一般的な現地採用の
    給与水準では、とてもバンコクで日本人としての生活、教育、老後の資金が確保できるもので
    はない、という事が明確になりました。
    「タイで生活をしたいという願望の元タイで就職するのは個人の自由だが、『現地』採用なの
    だからタイ現地の(中の中~下位のタイ人の生活)水準で生活出来るレベルの給与レベルで
    す。」という真実を隠したまま、歪な統計をもとに「魅惑の海外就職」「キラキラのバンコク
    生活」「キャリアアップ」をアピールしても、やはりミスリードのための記事にしかなりませ
    んね。勿論、人材紹介会社はタイでの求職者がいなければ商売にならないので、良い所をアピ
    ールしたいのは分かりますが、この記事で人生が変わる人もいるかもしれないと考えるとこの
    記事のレベルは、アピールではなく捏造に近いと思いました。
    タイ関連のブログはたくさんありますが、ここまで統計に基づいた考察ブログには初めてお会
    いしましたので、お忙しいとは思いますが次の更新を楽しみにしております。

    • はじめまして。私がタイに留学していた2005年ころに今後の進路を検討するにあたってどうしてもほしいと思っていた資料が2020年のいまになってもまだ存在していないようでしたので、当時の判断の妥当性を検証してみたいと思って自分で作ってみました。想像していたよりかなり厳しい結果になった、というのが正直な感想です。このブログの更新予定はしばらくありませんが、今回の分析で現地採用者の方がやっておくべきことは明確になりましたので、優先順位の高いものから順に着手いただければ、と思います。

  • ABOUTこの記事をかいた人

    バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。