タイ映画「ヂェオ」

彼女がいないまま迎えるクリスマス。はじめての体験はどんなものでも貴重だが、それでも何もせずに自室にひとりで引き篭もってふて腐れているばかりではあまりにも惨めすぎる。仏教国のタイでも、若者たちは日本と同じようにスウィートな一日を楽しんでいる。

そこで、高架電車のエーガマイ駅前にある映画館 Major Cineplex へ友人と行って、おととい公開されたばかりのコメディー映画「ヂェオ」(英題:M.A.I.D., GTH配給)を鑑賞した。

この作品を監督したスィン=ヨングユット・トーングゴーングトゥン(38歳, ヂュラーロンゴーン大学報道放送学部卒)は、日本でも公開されて話題になったコメディー映画「サトリーレック」(鋼鉄の淑女, 2001年)の監督として知られている。脚本を担当しているソムマーイ・ルーサウラーンは、コメディー映画「パラーングチョンプー」(SAVING PRIVATE TOOTSIE, 2002年)で名声を得て、タイ陸軍放送(チャンネル5)で現在放送されているテレビドラマ「メロドラマ」では原作を務めるなど今をときめく有名作家だ。主人公のウェーオを演じているベーンツ=ポーンラチター・ナ・ソンクラー(24歳, スィーナカリンウィロート大学文学部演劇学科卒)は、テレビドラマ「ナーングアーイ」やテレビCM「ウエラ・サニードロップシャンプー」に出演するなど今注目を浴びている。

タイ映画「ヂェオ」のあらすじ

タイは近年、新興工業国として急速な発展を遂げてきたため、国家機構における政治的・経済的な監督システムの整備が立ち遅れたままの状態になっていた。事態を憂慮したタイの首相は、利権によって甘い汁を吸ってきた政府高官たちの不正を暴き、国家の発展を促すことを目的として、タイ警察本部の犯罪制圧局を定年直前に退官したばかりのプラセーリット(ソムチャーイ・サックティグン演)を長とする密偵組織「ヂェオ」を結成した。

主人公のウェーオは、貧しいイーサーン地方(タイ東北部)からバンコクへ出てきたばかりの出稼ぎ労働者だったが、仕事があまりにもできないためメイドとして住み込みで働いていた家からすぐに追い出されてしまった。バンコクに住んでいる姉を頼ろうと地理不案内の街を右往左往していたところ、任務中の「ヂェオ」を救出するために現場へ急行していたプラセーリットのバンと接触した。プラセーリットがウェーオの応急手当をしているあいだに、ヂェオは逃走に失敗して全員射殺されてしまった。

ウェーオは、プラセーリットの家で住み込みのメイドとして働くことになったが、やはりメイドとしての仕事ぶりは目を覆わんばかりだった。ある日、プラセーリットは一念発起してウェーオを工作員として訓練することを決意して、あらたに3人の隊員を雇い入れて、国家のために働く密偵組織である「ヂェオ」を再結成した。

ヂェオの4人組は、毎回のようにドジを踏んでは、任務のことごとくを失敗に終わらせてきた。特にチアングマイのホテルで踏んだドジは致命的だった。

紆余曲折を経て、ヂェオは政府高官が違法なカジノから巨額の利益をあげている証拠が記録されているコンピュータのデータを入手することに成功した。しかし、同時にプラセーリットの秘密を知ってしまう。

ヂェオは国家の発展のために首相が組織した密偵組織ではなかった。女性関係のトラブルが原因でプラセーリットが特定の政府高官を逆恨みして、弱みを握って嫌がらせをするために結成した素人の探偵団にすぎなかった。正義はむしろ政府高官のほうにこそあった。

秘密を知ってしまったヂェオの4人組は、上司のプラセーリットから命を狙われ、敵にも追われる羽目になった。4月に行われるタイ正月を祝うソングラーン祭りの行列に紛れ込んで敵を撒こうとしたが、これにも失敗。敵が用意したトラックに追い込まれてプラセーリットもろともトラックの荷台のなかに監禁されてしまった。

プラセーリットのあまりの無能ぶりにあきれ果てた元愛人は、トラックの荷台のなかでプラセーリットに銃口を向けた。そして、その美しい姿からは想像できない低い声で真実を告げて引き金を引いた。

「実はオレ、男なんだ」

プラセーリットはあまりの理不尽に動揺して唖然としながら息を引き取っていった。

プラセーリットの死でようやく生命の危機を脱したウェーオは、トラックのなかに監禁されたままだったが、(タイでは貧困とマヌケの象徴とされている)水牛にまたがってやってきたヂェオのメンバーのひとり「ヂムヤイ」によって救出された。こうして、自由の身となったヂェオの4人組はそれぞれの道を歩み始めた。

タイの映画俳優は、学歴や容姿だけで選ばれることが多く、役者としての能力は必ずしも高くない。この作品に登場する役者たちも大半が中学生の「学園祭の出し物」レベルの演技力しかなく、切り替えが早いカメラワークと派手な映像効果でなんとかカバーしているようなありさまだった。

前半部分のコミカルな雰囲気のなかで、シリアスな展開へ移行していくことを観客に期待させておきながら、後半部分でその予想をことごとく裏切るという完全反転型のストーリーだった。腹を抱えて大笑いできる場面や、社会問題として話題となっている舞台をふんだんに織り交ぜられているなど、観客を飽きさせないための工夫が随所に見られた。また、タイ語の字幕が必要になるほどのコテコテな方言が頻繁に飛び交い、チアングマイにあるターペー門で毎年行われている名物のソングラーン祭りを小道具に用いるなど、地方出身者の心をガッチリと掴む内容となっている。

この映画を一緒に見た友人の感想。

「タイの映画は、容姿のいい裕福な家に生まれた子女が主人公と決まっているけれど、この作品では金持ちでもなく賢くもない出稼ぎに来たばかりの女の子が主人公というところがポイントね。そう上手くもない演技で笑いをとることで、観客に親近感を与えることにも成功しているわ。ほら、わたしたちと同じ、いかにも『普通の人』ってカンジがしなかった?」

この作品は、多額の制作費用を投じてタイの大衆娯楽を映画館のスクリーンのサイズまで拡大したものだ。素人のおもしろおかしい演技で大衆の笑いをとることには成功しているが、芸術性はかなり損なわれている。役者の演技力を数段落として、笑いをとる場面を極端に増やした香港映画といった印象だ。

先日の20日に映画演劇論の担当講師から課された課題で、あすまでにこれと同じぐらいの長さの映画レビューを英文で4本も書いて提出しなければならない。映画のレビューなんか真面目に書いたことがない僕にとっては、辛くしんどい作業になりそうだ。

その後、別の友人からアマリ・アトリウムホテルのクリスマスディナーに誘われた。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。