自分の将来を左右するような重大な計画を立てて実際に実行へ移すときには、事前にその目的を明確にして、そこから期待できる結果についても十分に検討しておきたい。さもないと、目的を達成するまでに気が遠くなるほどの時間的なロスを強いられることになるし、最悪の場合、なにも成し得ないまま目の前が真っ暗になるような思いをすることになるかもしれない。
どうせ海外へ行って生活をするのであれば、その経験を通じて身に付けたものを武器にして、今後の人生を有利に展開する方法について考えておきたい。もし英語を学ぶのであれば、コストを度外視して米英などの英語圏の国へ行って、英語ならバリバリ話せますぐらいの実力は身に付けておきたいし、タイ語だってせめてポーホック(小学校6年生相当のタイ語能力試験)に合格できる程度の実力がないとまったく話にもならない。もし、ネイティブにすら通じないような短い文(3語から5語程度の文)がしゃべれるだけで「○○語が使える」と主張できるのであれば、僕はなんと日本語、タイ語、英語、ラオス語、ミャンマー語、カンボジア語、台湾語、韓国語の「8ヶ国語も操れる」ことになってしまう(実際にまともに使えるのは最初の3ヶ国語だけで、ラオス語や中国語は読むことはできても会話をすることができない。のこりの3ヶ国語は挨拶程度しか知らない)。
バンコク都内にある日本料理店へ行くと、明らかに娼婦と分かるタイ人の女性を連れて得意げになっている日本人に出くわすことが多い。彼らはきまって饒舌で、しかもキーワードとなる単語のことごとくが日本語に置き換えられているため、自分の言いたいことが相手にまったく伝わっていない。端から見ていると「娼婦が日本語を理解できないからオマエはタイ語を使って話しているのに、そのキーワードとなる単語をすべて日本語にしてど――するんだ!?」と思わずツッコミを入れたくなる。
世の中には、バンコクに住んでいる年数だけを根拠に(ひどい場合はタイへの旅行回数だけを根拠に)、自分はバンコクに精通していると主張するような奇特な日本人も少なくない。しかし、言語による情報収集能力ゼロの人が、どうやって物事を分析して正確な結論を導き出すことができるのか。多くの場合、彼らは視覚や嗅覚などの動物的な直感だけをもとに、謎の分析を経て、現実から著しくかけ離れている自分にとって都合が良いだけのモウソウを毎日のように発明しており、それらはタイ関係の日本語のウェブサイトにも多数掲載されている。残念なことに、現状ではモウソウや思い込みを根拠としている「タイ人は○○だ」というような偏見や迷言が大腕を振ってまかり通っている。
バックパッカーの旅行スタイルは、旅行ガイドブックに紹介されている記事の一部を参考にして、それを実践してみることで、実際に「非日常」を体験することに重きが置かれている。しかし、非日常世界の住民たちの主張が理解できなければ、結局はガイドブックレベルの知識すら身に付けられないはずだ。
効果が限りなくゼロに近いことを、何年何十年と続けていても、能力の向上なんて期待できるはずがない。日本でフツウに働きながら定期的な収入を得て、帰宅後のベッドのなかで旅行ガイドブックや専門書を読んでいたほうがどれだけ有意義だろうか。
歳をとればとるほど、求職活動をするときに高度な専門性や職務経験が要求されるようになる。それに気づいた3人の日本人がきょう、日本へ本帰国することを決意した。あすにでもチケットを買いに行って、来週中にはバンコクを離れるという。
ここのところ、スィーロム通りにある珈琲屋に籠もって友人たちと朝までペーパーを書く日々が続いている。