大学院修了後の進路が決定しました

近年、経済のグローバル化により、日本国内における産業の空洞化は急速に広がっている。長引く不況によるリストラや就職難の影響で、日本の労働人口に占める非正規労働者の割合は劇的に増加した。かつて「日本株式会社」といわれた日本特有の終身雇用制度は崩壊し、転職型の労働社会への変化はもう誰にも止められないところにまで来ている。

これまでの社会の仕組みが大きく変わろうとしていた2001年、僕は金融機関の社内IT職を離れ、すでに日本企業が多数進出している東南アジア地域に関する専門知識を身に付ければ、産業の空洞化によってじり貧となりかねない状況に対しても十分対応できると考えてタイ留学を決意した。そして、もっとも高度なタイ語教育を行っているヂュラーロンゴーン大学文学部の集中タイ語講座(インテンシブタイ)と、タイにおける最高学府であるヂュラーロンゴーン大学の修士課程を修了することができれば、専門家の層が薄いタイ語やタイ関連の分野で一定の優位性を確保できると考えた。

留学3年目を迎えたいま、先行き不透明な日本でキャリアを重ね、安定した老後を迎えるまでの道筋について、真剣に検討するべきときが来た。

数ヶ月前、僕には3つの選択肢があった。それぞれの実現可能性を十分に吟味したうえで、もっとも安全で、かつ、仮に失敗しても容易に修正できる進路について慎重に慎重を重ねて検討した。

ひとつめは、大学院の博士課程へ進学し、将来的に研究職を目指す進路だった。圧倒的なタイ語力と、タイ最高の学位を手みやげに出願すれば、きっとどこかの研究室に潜り込むことぐらいはできるだろう。しかし、あわよく研究職に就けたとしても、准教授になるまでは赤貧の生活を強いられることになるし(そもそも准教授になれるかどうかだってあやしいし)、教授になるためのハードルはあまりにも高すぎる。しかも、日本で大量の余剰博士(定職に就けない博士)たちの存在が深刻な社会問題となっている現状を考慮すれば、特に地域研究のような潰しの利かない分野が専門では、仮に失敗したときに自力で事態を打開するための手段がなく、社会復帰の機会を永遠に失うことにもなりかねない。

博士の進路は、就職が62.7%、失業者または無業者が30.4%、死亡または行方不明が6.9%とされている(文部科学省科学技術政策研究所「博士号取得者の就職構造に関する日米比較の試み」, 2003年)。

ふたつめは、現地採用として働いて、バンコクに残る進路だった。実際に中国の大学を卒業した日本人留学生のほとんどは、現地に残り、そのまま現地採用として働いていると聞いている。しかし、現地採用者の生涯賃金が日本人平均の16%~33%しかない現状を考慮すれば、とうてい日本人としての経済力を維持していくことができるとは考えにくい。しかも、バンコクに3年も住んでいるから、貧困にあえいでいる一部の日本人たちの底辺生活がいかに惨めで耐え難いものかであるかを十分に知っている。貧しい生活のなかで、自分のプライドを保つために、自分のへボさを顧みることなく、タイ人を一方的にバカにしてばかりいる中高年のようになるのは絶対にイヤだ。それに、自分には現実世界を無視してモウソウの世界のなかに引き籠もっていられるほどの強靱な精神力もないため、タイという階級社会のなかで平均的な大卒タイ人以下の水準まで落ちぶれるのは何が何でも避けておきたい。

ちなみに、これまでにあった現地採用としての最高のオファーは、日本人現地採用の標準月給40,000バーツに対して、家賃交通費込みで月給100,000バーツだった。

こうして、第三の選択肢である、日本へ帰って「普通」の会社員となる進路だけが残された。会社員として「普通」程度の経済力さえ維持できれば、誰に恥じる必要もない。もちろん、自分のプライドを守るために、現実を無視してモウソウの世界へ逃げ込む必要もない。世間一般の「普通」の日本人たちと同じ価値観を共有し、「普通」の日本人としての生活を送っていくこともできる。4年間にわたって続いてきたすべてに満ち足りた生活を捨て、日本での平凡な生活を余儀なくされるのは甚だ不本意ではあるが、それでも将来的にタイの現地法人へ出向させてくれる企業で働いていれば、「普通」もしくはそれ以上の日本人として、いずれこのバンコクの地にふたたび返り咲くことができる。

そう考えて、3月下旬に一時帰国して、ほかの学生たちより少し出遅れたかたちで就職活動をはじめ、4月下旬に内定をゲットした。来年の4月からは東京都心にある専門商社で働き、それ以降は一日でも早いタイ赴任にチャレンジすることになる。

帰国後はいわゆる平凡な「サラリーマン」となるわけだが、もし現地法人への出向が実現すれば、これまでの学習の成果を発揮する機会に恵まれ、しかも、会社からは月給の半額程度に相当する海外勤務手当を受け取り、運転手付きの社用車を貸与され、家賃5万バーツ以上のコンドミニアムにも住まわせてもらえる。タイという極端な階級社会のなかで、いちおうの優位性を主張できるようになるわけだから、とりあえずはそれで良しとしておきたい。

一連のタイ留学とそれにともなう進路を決定するにあたっては、留学初期において「バンコク赴任体験記」の作者であるギィさんから数々の貴重なアドバイスをいただいた。彼のおかげで、タイ語コースの修了後に大学院へ進学することができた。そして、もうひとりの貴重な親友からの刺激があったからこそ、なんとかここまでやってくることができた。この機会に、おふたりには心から御礼を申し上げたい。

留学が終了するまで、あとわずか9ヶ月間しかない。のこり少ない貴重な時間を少しでも有意義なものにするよう、これからも最善の努力を惜しまないつもりだ。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。