タイとカンボジアの歴史認識問題

「アンコールワットがあるシアムリアップという街は、いまはカンボジアの領内にありますが、1907年にプラヂュンラヂョームグラーオ大王(ラーマ5世)がフランスに割譲するまでは、サヤームの領土の一部でした。つまり、アンコールワットは、その時代までのタイの文化が体現されているのです」

あさ、ヂュラーロンゴーン大学の文学部4号館の教室で、きょうの「タイ文化」の講義でゲスト講師として招かれた、サヤーム協会の代表を務めている王統派の歴史家が、そのように言い放った。そこで、休み時間になってから文学部の学生食堂へ行って、カンボジア人のクラスメイトに直撃インタビューをしてみた。

「タイのカリキュラムに沿って歴史を勉強してきたようなヤツらには、もっと勉強してくれ、と言ってやりたい。彼らの主張は、近代史の一部分においては正しいのかもしれないが、それを言ってしまえば、かつてこの一帯はクメール帝国が支配していたわけだし、タイの文化だってアユッタヤー朝がクメール帝国へ侵攻したときに、パクってきたもんだろ? カンボジア人とタイ人のあいだにある反目は、タイ人による勘違いがそもそもの原因だ」

タイ人の歌手ゴップ=スワナン・コングイングが2003年1月に「カンボジアはタイのアンコールワットを盗んだ」と発言したことを受けて、カンボジアの首都プノンペンでおこなわれた抗議活動に参加していた市民たちが暴徒化し、タイ大使館が焼き討ちにあうという事件が発生している。しかし、タイ政府としては、国民統合のための歴史教育、愛国心を鼓舞するための歴史教育という立場から、カンボジア側の主張を受け入れることは絶対にできないだろう。

夜、トーングロー15街路にあるパブ Escude へ友人たちと繰り出した。ところが、空いている適当なソファーを見つけて腰を下ろしたところ、店員が申し訳なさそうに「当店においでになるのは今回が初めてでしょうか」と尋ねてきた。店員によると、週末になると多くの客で賑わうが、それ以外の日は閑散としているらしい。それだけに、閉店までソファーが満席になることはなく、スペースを広く使うことができてよかった。

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バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。