民族主義的珈琲店「バーンライ」

「国旗の降納をおこないます。みなさまご起立ください」

午後6時、高架電車エーガマイ駅の前にある珈琲屋「バーンライ」で、それまで店内に流されていた音楽が突如中断され、客に起立を促す店員のアナウンスが流された。オレンジ色のポロシャツを着ている10人の店員たちが国旗掲揚台の前で一列に並び、そのうちのふたりが掲揚台のロープを握っていた。

なんて不思議な店なんだろう。タイでは国旗法の規定で国歌が聞こえたら起立しなければならないことになっているが、通常、公的な施設(庁舎・教育機関・鉄道駅・長距離バスターミナルなど)にいなければ強制されることはない。だから、国歌の放送が聞こえにくい珈琲屋のなかにいれば起立しなくても良いはずだが、この店では午前8時と午後6時になるとラジオで放送される国歌を店内のスピーカーから流し、客に対して起立を求めて、国旗を掲揚と降納をおこなっている。

20060106-2@2x珈琲屋「バーンライ」の不思議は、それだけにとどまらない。屋外にある国旗掲揚台の隣には、タイの伝統芸能である仮面舞踊を演じるための舞台(多くの場合「ラーマギアン物語」が演じられる)があって、そのなかに登場する夜叉の仮面などが展示されている。また、各所には「文化的な振る舞い」をするように促す掲示が貼り出されており、特に椅子で寝そべったり、テーブルの上に座ったり、足を投げ出したりすることが固く禁じられている。その背景には、この店の経営理念でもある「理想の農民文化の実現」があるという。

富国強兵から国家総動員へという時代、大日本帝国の政府は学校教育などを通じて、人口の8割以上が農民だった日本人に対して「武士の魂」を植え付けることに成功した。伝統文化とは、美点のみを強調し、同時代に存在した汚点は無視してバッサリと切り捨てる。先祖代々継承されてきたものではなく、新しくでっち上げた「古き良き価値観」を人々に信仰させるためのものだ。日本でも茶の湯をはじめとする絢爛豪華な桃山文化が語られることはあっても、同時代に武家の支配階層で流行した戦国大名と小姓のあいだで育まれていた同性愛について語られることはほとんどない(ってゆうか、同性愛なんて想像するだけでもイヤだ)。

タイの歴史教科書には、ねつ造された文化や伝統が多数登場する。タイ文字の起源とされているラームカムヘーング王碑文や年中行事のローイグラトングの起源についても、タイの国外では懐疑的に見る論文が多い。

そのため、珈琲屋「バーンライ」は、本来あったと考えてられいるものを過剰に美化した「伝統的な行動規範」を客に要求しているといえる。それが奏功して、結果的に上品で居心地の良いカフェ文化を創り上げることに成功している。

珈琲屋「バーンライ」の1号店は1998年、サーイチョン・パヤオノーイによりガソリンスタンド「ポートートー」の一角に開設された。このエーガマイ店は、その後に作られた。この店が理想としている農村文化は、ラングスィットから北へ60kmほど離れたサラブリー県ノーングセーング郡にあり、ここで収穫された米はバーンライ各店舗の料理に用いられている(でも、おかずのほとんどは冷凍食品だから、この店で美味しいのはご飯だけだ)。

この店は、グルングテープ大学グルワイナームタイ校舎の北およそ1.1kmの地点にあって、その最寄り駅である高架電車エーガマイ駅のすぐ隣にある。今はちょうどアサンプション大学の中間試験が間近に迫っているため、さまざまな大学に通う学生たちが集まって自習をしている。

きょうは、高架電車サヤーム駅の前にあるショッピングモール「サヤームパラゴン」に入っている日本料理屋「大戸屋」で友人と昼食をとってから、ヂュラーロンゴーン大学の試験前自習室となっているスィーロム通りにある珈琲屋 Coffee Society へ行き、その後、グルングテープ大学とアサンプション大学の試験前自習室となっている高架電車エーガマイ駅の前にある珈琲屋「バーンライ」へ出かけた。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。