優先道路の定めがない細い街路で起きた交通事故とタイ警視庁の判断

「ほんの一週間前まで、自分のクルマは完璧と信じて疑ったこともなかったけれど、いまでは、エンジンはいつまた動かなくなるか分からないような状態だし、運転席の窓は走行中にすぐ落っこちてしまうし、車体も見てのとおりのありさまだし。いっそのこと、 Toyota Vios をローン(4年ローンで月々の返済額は約10,000バーツ)で買ってしまおうかしら?」

午後2時すぎ、ノンタブリー市内をサンカターン寺からチャルームプラギアットウォーラハーン寺へ向かって走行していたところ、交通事故に巻き込まれた。友人が運転している1994年製の7代目 Toyota Corolla が、市街地のただなかにある見通しの悪い交差点へ時速30キロで進入した瞬間、交叉する街路から出てきた1979年から1987年のあいだに製造されたとみられる4代目 Toyota Corolla が友人のクルマの左後方に突っ込んできた。

いくらタイでも、ここまで古いクルマにはめったにお目にかかれない。

事故を起こした相手は家族連れの3人組だった。運転をしていたのは30代前半の公務員の男性で、それぞれ助手席には公立学校教諭の母親、後部座席には20代後半の妹が乗っていた。運転していた男性がクルマから降りてきて、喧嘩腰でいろいろと捲し立ててきたが、僕が「起きてしまったことは仕方ない。公平かつ公正な手順を踏んで事態を穏便に解決させよう」と促したところ、その母親が「わたしは公立小学校の教諭よ。無茶をするつもりはないわ」と言って割って入ってきた。

友人のクルマは、年間の掛金が1万バーツ強の自損事故特約付きの第3種自動車保険に加入しており、保険会社に2,000バーツを支払うだけで元通りの状態に修復することができる。しかし、友人は自分の過失責任をまったく認めようとしなかった。一方、自賠責保険にしか入っていなかった相手は、せめて自分のクルマを修理するための費用ぐらいはなんとかしてぶん取ろうと鼻息を荒くしていた。一向に解決の目処が立たないまま、交渉は平行線をたどった。このままでは帰国の飛行機に間に合うかどうかも怪しくなってくる。さしあたって、助手席の日除けに貼ってあった「事故マニュアル」の指示にしたがって保険会社へ連絡を入れて、職員の到着を待つことにした。

約20分後、110ccバイクに乗った保険会社の職員2人組が事故現場に到着した。ひとりが書類に必要事項を記入しているあいだ、もうひとりが警察に電話をかけて現場検証を要請した。その30分後、ノンタブリー警察の真新しい Toyota Hiace が到着した。モンコン警察中尉は、感情的に話す事故当事者たちの話を適当に聞き流ながら、保険会社の職員に対して状況説明を求め、そして「判決」を下した。

「この交差点では頻繁に事故が起きている。で、そのたびに私は同じ結論を下しているのだが・・・・・・今回もまったく同じだ。双方の過失責任は同等である。理由は2つ。ひとつは、交差点へ進入する前に双方が一時停止をして、しっかりと左右を確認していれば防げていたはずの事故だから。もうひとつは、交差点の手前に設置されている標識は郡の役場が独自に設置したもので、警察や交通法規とは一切関係がないため、どちらの道路が優先とは甲乙つけがたいから。道路の幅はこの際、過失の割合とは無関係だ。したがって、双方の過失割合は同等、すなわち五分五分である。それぞれ400バーツずつの罰金を支払って警察署で調書を作るのもいいかもしれないが、結論はどうせ変わらないのだし、すでに現時点でかなりの出費が確定しているだろうから、ここは示談にして互いの時間と出費を節約したほうがいいんじゃないか?」

友人は最後まで自分の責任を認めようとしなかったが、それでもなんとか説得して、それぞれ自分のクルマの修理費用は自分で負担する、ということで決着した。こんなつまらないことにこれ以上の時間を取られたら、今晩のお楽しみがなくなってしまう。

――寺へ行ったところで事故は起こるんだから、行くだけ無意味なんじゃない?

午後5時すぎ、ホテル「バンヤントリー」へ向かうクルマのなかでそう言ったところ、友人は憮然としながら冒頭のようにコメントした。午後10時35分発のタイ国際航空640便で成田空港へ向かった。

ABOUTこの記事をかいた人

バンコク留学生日記の筆者。タイ国立チュラロンコーン大学文学部のタイ語集中講座、インテンシブタイ・プログラムを修了(2003年)。同大学の大学院で東南アジア学を専攻。文学修士(2006年)。現在は機械メーカーで労働組合の執行委員長を務めるかたわら、海外拠点向けの輸出貿易を担当。