きょうの日記は、これまでのバンコク留学生日記の禁則事項を無視して、性的な話題が満載の内容となっております。ご不快に思われる方は、どうか読み飛ばしてください。こういうのがタイ関係のブログで流行っているようなので、自分もそれ系のネタをどうしても書いてみたくなったのです。
午後2時、チアングマイ市内にあるホテル Lotus Pang Suan kaew をチェックアウトして、すぐ隣にあるセントラル百貨店でカメラの充電器を調達した。昼食後、美容室へ行って洗髪してもらってから、市内にある旅行代理店で予約を入れて、ふたたびホテル Lotus Pang Suan kaew (1,250 バーツ)にチェックインした。
「わたしは、ジェーンニーと同じチアングマイ大学で日本語を専攻しています。とは言っても、ジェーンニーは成績優秀者リストの常連、わたしは第二部(夜間学部)で落第すれすれの落ちこぼれですけど。元々、わたしたちは小学校時代の友人同士で、卒業後はずっと連絡を取り合っていなかったんですが、大学に入学したときに偶然再会したんです。わたしの実家もいちおう裕福なほうですが、ジェーンニーには、諸外国に点在する豪邸と、パブへ行けばオトコたちがわんさか寄ってくるようなアイドル並みの容姿がありますからねぇ。まあ、わたしなんかとはぜんぜん比較になりませんよ。あははは」
午後3時半、チアングマイ大学の人文学部東洋言語プログラムで日本語を専攻しているゴーイのクルマに乗って、チアングマイ大学の裏手にある、タイ映画「夏休み」(2008年)の舞台にもなったコーヒー屋「牛乳広場」へ移動して、中間考査の試験対策をしているほかの日本語専攻の学生たちと合流した。
“お目にかかる คือ 謙譲語 ของ 会う ไม่มี 尊敬語”
「『お目にかかる』は、『会う』の謙譲語で、尊敬語なし」
“ご意見 กับ お料理 มันเป็น 丁寧語 เหมือนกัน แต่ทำไมมี お แล้วก็มี ご ด้วยล่ะ?”
「ご意見とお料理は同じ丁寧語なのに、なんで『お』のほかに『ご』まであるの?」
チアングマイ大学の日本語専攻では、ヂュラーロンゴーン大学やプラヂョームグラーオヂャーオクンタハーンラートグラバング工科大学(キングモングット工科大学ラートグラバング校)の日本語専攻に準ずる高度な日本語教育が行われており、そのレベルはタイ国内にある大学の日本語専攻としては五指に入る。専用の教科書「日本語文法初・中級1」の前半部分(第11課まで)では、丁寧語、尊敬語、謙譲語、現場指示詞、文脈指示詞といった、日本の中学校レベルの文法事項が扱われていた。
それでも、 JEES 日本語検定試験でいう3級程度の日本語能力しかない外国人の学生に日本語の文法を教えるのは、日本語がネイティブの中学生たちを相手に教えるのとは勝手が異なる。会話の経験に乏しく、教科書の解説に依存しがちな外国人の日本語学習者たちが、動詞の活用や音便の適用ぐらいならともかく、日本語特有の微妙な言い回しをそのまま身に付けるなんてまず不可能だ。
「わたしたちは、あまり良くない学生です。ですから今晩、試験勉強が終わったら、みんなで飲みに行きましょう。あしたの試験はどうせ3時からですし、得意の日本語文法だけなので大丈夫です。漢字は難しいけれど、日本語会話と日本語文法は対策が簡単なんです」
その後、ピング川の畔にあるコーヒー屋「ワーウィーガーフェー」へ移動して、パブがオープンするまでの時間をつぶし、午後7時半からパブ「象船着場」で、普段着に着替えた学生たちと บัคเก็ต(バックゲット)と呼ばれているビールと栄養ドリンクのカクテルを飲んだ。
「あなたの後ろにいるオンナの人は、顔が悪いですね」
日本語専攻の学生たちによると、他人の陰口をたたくときに、日本語はとても重宝するという。確かに、相手が理解できなければ、何を言ったところで問題にはならないし、ちょうどこれと真逆のことは僕自身が日本で好き放題やってきている。結構便利だ。あす午前9時から試験がある学生もいたため、午後11時でお開きとなった。
「わたしを抱っこしてください」
午前零時、ホテル Lotus Pang Suankaew Chiang Mai の531号室で、ジェーンニーにそう言われたが、日本語の「抱っこ」とは幼児を抱き上げるという意味の名詞で、近くに幼児がいないこの状況では、いったい何をどうしたら良いのかまったく見当がつかなかった。それに、身長が170センチもある長身の女子大生を持ち上げるというのも、およそ「抱っこ」のイメージからはかけ離れているし、この部屋の広さからして、仮に持ち上げたところで運んでいく場所もない。
―― え? で、どうすればいいの?
“ก็กอดเค้าหน่อยดิ แล้ว オチンチン ของผู้หญิง ภาษาญี่ปุ่นจะเรีกว่าอย่างไรหรอ?”
「だから、わたしを抱いてよ。でさあ、女の子のオチンチンは日本語で何て言うの?」
日中、コーヒー屋「牛乳広場」へ向かうクルマの中で幼なじみのゴーイが話していたように、ジェーンニーの容姿は申し分ないし、肌の色も白い。ネイルや化粧等の手入れもきちんと行き届いており、見ているだけで思わず惚れ惚れとしてしまう。よくよく観察してみると、セルウッドアセテート素材の黒縁のフルリム眼鏡の奥にある(本来)整っているはずの二重の眼が、妙にイヤラシイ雰囲気を放っている。しかし、いずれにせよ、この質問でジェーンニーの意図はいよいよ明確になった。数秒考えたのちに回答し、興ざめしないよう慎重に日本語の名詞「抱っこ」の定義と用法について説明した。
「あなたのオチンチンを、わたしのオマンコに入れてください。 หัว オッパイ(乳首)は、日本語でなんと言いますか?」
日中、他人の所有物や行為を表す名詞の前には、「お」や「ご」を付けることがあると説明したばかりだが、それをこの文脈で使われると、必要以上にエロくなりすぎて、日本語ネイティブの僕自身も当惑する(あまりの展開の早さに圧倒されて赤面する段階は瞬時に通り越した)。それに、このセンテンスで丁寧語を使うのをこれまでに聞いたことがなかったせいか、ものすごく興奮してきた。ある意味、「メイド萌え」をしている人たちが女性に期待しているような特別な何かに似ているかもしれない。でも、日本人っぽく言うのなら、ここでは日中に解説したばかりの指示詞(こそあど言葉)を使うか、もしくは目的語そのものを省略して欲しかった。
“んはぁ、わたしのピンク・・・・・・桃色の乳首をもっと吸ってください。わたしのオマンコの声、スゴいです。 เปลี่ยนเป็นท่า イヌ หน่อย”
「んはぁ、わたしのピンク・・・・・・桃色の乳首をもっと吸ってください。わたしのオマンコの声、スゴいです。イヌの体位(後背位)に変えてよー」
―― 「声」は人間や動物が喉を使って発生させる音にしか使えないよ。オマンコはしゃべれないから、「音」って言わなきゃダメ。
ああ、もうメチャクチャだ。目の前の光景もそうだが、会話の内容があまりにも常軌を逸しすぎていて、日本語を教えることすら困難になってきている。
“ขออีกรอบหนึ่งได้ป่ะ?”
「もう一回戦、お願いできる?」
別に構わないけど、あしたの日本語文法の試験対策は本当に大丈夫なの? ってゆうか、もう完全に日本語の会話ではなくなっているし。